2003年7月8日
民主党文部科学ネクスト大臣
牧野聖修
本日、参議院文教科学委員会において「国立大学法人法案」が可決した。本法案は、従来以上に各国立大学に対する国の関与を深めるものであり、「自律的な環境のもとで、個性豊かな魅力ある国立大学を育てる」との提案趣旨とは程遠い“換骨奪胎・羊頭狗肉”法案であると言わざるを得ない。
民主党は、文部科学省による不要な監督から国立大学を切り離し、各大学の独自性と自律性に基づく発展を促すという方針には賛成の立場である。国会審議が始まる遙か以前より精力的にこの問題に取り組み、「学習者・研究者本位の大学」「創意ある不断の改革を現場から自発する大学」「社会に開かれ、社会と連携・協働する大学」を目指して、多くの貴重な意見や情報を基に議論を重ねてきた。だからこそ、国会に提出されたあまりにも“志の低い”政府案には大きな失望と怒りを感じるものである。
政府案は、大学運営の骨格であり、各大学の基本的価値観を定義づけるところの「中期目標」を文部科学大臣が定めることとしている。さらに、運営交付金の多寡にも大きく影響する「大学の評価」を文部科学省に設置される評価委員会が行うとあっては、正に“入口と出口を官僚が握ったままの大学”であり、百年に一度の改革と謳うには到底及ばないばかりか、新たな天下り天国を生むこととなるのは明白である。
2月末に政府案が提出されて以来、我々はその問題点を厳しく追及し、改革を真のものとすべく粘り強い交渉を行ってきた。4/1には『国立大学法人法案及び関連法案の対応について』とする中間報告をとりまとめ、さらに5/12には、「中期目標」の策定主体を各大学に移し、「評価」の多様性確保、教育・研究面における大学の自主性確保などを骨子とする『民主党修正案』を明らかにした。修正案は記者発表以来、多くの大学関係者や報道機関からも「検討に値する」「何としても修正を実現すべき」という高い評価を得たところである。
我々のこうした動きに呼応するように、国立大学法人化問題は国会審議が後半に入って広く世論の関心を集め、政府案を厳しく批判する声が上がり始めた。我々は『政府案反対・徹底審議継続要請』のメールやFAXを、過去に類を見ないほど大量に受け取っている。延べ数千人の有識者や大学関係者が賛同し、カンパを基に全国紙に掲載された『国立大学法人法案の廃案を訴える意見広告』は4次にわたり、また『国の過剰介入に歯止めを』(5/24西日本新聞社説)、『文科省支配を断て』(6/2朝日新聞社説)、『歴史的大学改革に水を差す官僚支配』(6/12日経新聞社説)、『国会軽視の事前介入−文科相謝罪で打開の道探る』(6/21東京新聞)、『法人化で数百人天下り−“役員”に官僚出身者』(6/26東京新聞)といった見出しが紙面に現れるに至っても、なお与党はいたずらに政府案を妄信してこうした国民の声を無視し続けてきた。議会人として無責任の誹りを免れることはできず、教育・研究に関わるすべての人はこの事実を深く胸に刻むべきである。
さらに本来の会期末であり、政府案が廃案または継続審議となっていたはずの6/18を越えても与党は民主党の提案を一顧だにすることもなく、真摯な対応の示されなかったことを重ねて遺憾に思う。また参議院に議論の場を移してからは累次にわたり委員会が紛糾・停止し、大臣の陳謝も3回に及ぶなど異常な審議経過であったことも併せて指摘しておく。
我々は、政府案の国会上程以来およそ130日間にわたる衆参の委員会審査等を通じて、仮に政府案が成立した場合でも運用において大学の自主性は最大限尊重されるという文部科学大臣答弁を重ねて引き出しており、また本日の委員会採決にあたっては23項目に及ぶ附帯決議をつけている。しかし多くの大学関係者の抱く様々な懸念が払拭されたものとは到底言い難い。
我々民主党は、知的立国を目指す我が国の“核”を担うべき国立大学が、本法案の持つ矛盾と政府の欺瞞によってその役割を十分発揮できないという事態を回避し、また我が国の高等教育そのものが暗澹たる方向へ踏み出すことを阻止するために、法案の再改正も視野に入れて不断の見直しと働きかけを行ってゆく。
2003年7月8日、委員会採決後に文部科学省内で「記者会見」を行う
牧野聖修民主党党ネクスト文部大臣ら 〈写真左側にスズカン)
|