現在、国会において国立大学法人法案が審議されています。私、鈴木
寛
も、民主党の大学改革ワーキングチーム事務局長としてこの問題に当選以来携わってきました。この法案は、戦後の大学行政の根本を50年ぶりに大転換する極めて重要なものですが、政府提出法案を見て唖然としました。「羊頭狗肉」「換骨奪胎」「だまし討ち」とはまさにこのことです。そもそも我々民主党が、大学改革論議をリードして来たこともあって、昨年春には、参議院で大学問題集中審議が行われ、昨年秋の臨時国会では、私立大学の学部学科新設・再編を許可制から届出制に緩和し、専門職大学院制度も創設するなどの学校教育法の改正が図られました。
そうした流れのなかで今回の国立大学改革についても、当初、政府からは、国立大学に対して独立の法人格が付与され、より自律的で機動的な運営が確保されるようになりますとか、事前規制ではなく第三者評価導入による事後チェック方式に移行しますといった方針が説明されていましたので、私も、「知の時代」の主役である大学の発展にとって、有意義な第一歩となると期待しておりました。ところが、法案をみて、期待は完全に裏切られました。
大学ごとに法人格は付与されるものの、自律的運営や事後チェック・第三者評価とは逆行し、霞ヶ関による大学自治への介入を推し進める内容となっています。即ち、各大学の中期目標は文部科学省が定め、財務省にまで協議することになっています。財務省は、いずれにしても、毎年の予算編成で、予算査定をするわけですから、それに加えて、6年間にわたる中期目標や中期計画を事前に口出しするいわれは全くありません。予算単年度主義のなかで、将来の予算をコミットできるわけでもないですし、目標や計画が、予算制約によってはじめからシュリンクした内容になってしまいます。これからは、大学も国から予算がつかなければ、大学の才覚と努力で、他から研究費を引っ張って来ることもできるわけですから、目標や計画は、大学が自由に作るべきです。また、理事の数や経営協議会の人員構成比など各大学に任せればいいことまで仔細に法律で縛っています。例えば、理事の数が、九州大学は8人、東京大学は7人と法定されていますが、そこにどんな合理的根拠があるのでしょうか? こうしたことは、理事は10人以内と規定しておいて、大学側の自主判断に委ねればいいと思います。
また、独立行政法人通則法が準用され、省庁による管理・監督権限は一段と強化、さらにはお目付け役として監事は文部省からの天下りが送り込まれることになります。特に、研究については、文部官僚がどうしてその目標を定めたり、計画を認可したりできるのでしょうか? こうした、愚策によって、日本の研究者が研究の本筋とは関係の薄い、お役所への報告書作成作業に翻弄され、研究へのエネルギーがどんどん削がれていきます。京都大学の佐和隆光教授は、衆議院参考人の質疑で、大学のソヴィエト化に他ならないとおっしゃっておられましたが、まさに、その通りです。これによって、大学の研究現場の雰囲気がどんどん重くなっていくことが残念でなりません。
また、第三者評価導入といいながら、評価主体は、文部科学省の下部組織である国立大学法人評価委員会で、文部科学省から独立した純然たる第三者評価機関が如何に立ち上げられるのか全く明らかになっていません。研究評価は、その道の専門家による、ピア・レビューを主とするべきです。教育評価も、人材を受け入れ側からの評価もあってしかるべきです。
まさに、近年、教育行政の規制緩和が進む中、文部官僚が虎の子である国立大学への支配だけは死守したいとの思いが露骨に剥き出された法案となっています。文部官僚は、いまだに、自分たちが大学を指導することによって、本当に大学がよくなると信じ込んでいるのです。なぜ、大学現場関係者の自主性・自発性と、それを取り巻く内外の知的関係者からの評価によるガバナビリティの向上を図るという考え方をとれないのか? 役人万能主義を捨てられない彼らの時代錯誤ぶりには、あきれるばかりです。
そもそも戦後の大学政策の歴史は、憲法で保障されている学問・教育の自由を実現するために、先人たちが血のにじむ努力を傾注してきた歴史でもあります。大学の多様化・個性化・自律化が叫ばれている今の時代に、なぜ、半世紀の積み重ねを踏みにじり、霞ヶ関による研究・教育への介入法案を提出するのか全く理解できませんし、そもそも、言論・表現の自由は民主主義の根幹ですが、表現する内容を創りあげるのが学問であり、言論する人材を育てるのが教育であるという意味において、民主主義の原点が霞ヶ関官僚によって脅かされつつあることに、私は、重大な懸念を抱いています。
我々民主党は、法人化には賛成です。しかし、その目的は、大学の自律と社会からの評価による自己革新であるべきです。我々は、各大学が、文部科学省支配から脱却し、それぞれのユニバーシティ・ガバナンス(大学の自己統治能力)を向上させ、独自のイニシアティブの下、学内外の英知を結集して創意工夫に満ちた自己改革を行ない、その努力と成果が、多様な複数の第三者評価機関によって多元的・多角的に評価され、さらに革新が促進され、不断に継続されていくことこそが望ましいと考え、私、鈴木 寛と内藤正光参議員が中心となって、民主党修正案をまとめました。しかし、衆議院では、全くの修正もなされぬまま原案が通過してしまいました。半世紀ぶりの大学政策の大転換が、与党のみの賛成で粛々と行なわれようとしています。本当にこれでいいのでしょうか? 私も、国会内で引き続きがんばりますが、マスコミなどでもほとんどこの問題とりあげられません。
今こそ、大学関係者・言論関係者をはじめとする知に携わるすべての人々の奮起を期待したいと思います。そして、国民的大議論が盛んに行なわれ、その中で、大学政策の行方が決せられることを切に望みます。
2003年05月26日
すずかんMAGAZINE NO.25
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