スポーツを愛する人たちのために

プロ野球プロ野球2リーグ12球団制維持

すずきかんは小泉内閣が打ち出した日本育英会廃止にストップをかけ、奨学金対象者を69万人から114万人に増やしました。
2004年夏のプロ野球2リーグ制廃止・球団縮小の危機において、1リーグ制に反対する超党派議員連盟(日本プロ野球の更なる飛躍・発展とスポーツ文化振興による地域活性化を推進する会)を仙谷由人衆議院議員と共に立ち上げ、その事務局長に就任、プロ野球ファンの為に、そして子供達の夢を守るために、盟友である古田敦也氏(東京ヤクルトスワローズ選手兼監督)と共に、球団新規参入にかかわる協約改正に携わるなど、プロ野球12球団維持に力を尽くしました。「野球の未来を創る会」の発起人の一人にも名を連ね、2007年3月の西武球団裏金問題では、国会の文教科学委員会で選手ひとりを悪者とせず、体質構造の抜本的な改革を求めるなど、現在も球界発展の為の活動を続けています。

サッカーW杯開催成功

中学高校時代、通産省時代とサッカー部に所属していたすずきかんは、日本サッカーW杯誘致の立役者の一人でもあります。通産省サッカー部(FC MITI)に所属していたすずきかんに、ある日、キャプテン格の平田竹男先輩(現在、日本サッカー協会名誉副会長)が、ワールドカップ日本開催を提案。当初は半信半疑だったものの、87年に通産省産業政策局長の私的懇談会として「スポーツ産業研究会」が設置され、Jリーグ発足のキッカケに。その直後から在ブラジリア日本大使館参事官として赴任し、ワールドカップ誘致に奔走した平田氏をアシスト。 98年からは、すずきかん自身が、JAWOC(2002年ワールドカップ日本組織委員会)の情報通信委員に就任(2002年の大会終了まで)。IT計画策定をはじめ 大会の円滑な運営に尽力しました。議員当選後は、サッカー外交推進議員連盟副会長兼事務局長に就任。国会議員サッカーチームに所属(背番号は7)し、日韓議員サッカー大会に出場するなど、サッカーを通じた外交を実践しています。

他にもスポーツの分野では、1999年にラグビージャパン元監督平尾誠二氏とともにNPO法人スポーツ・コミュニティ&インテリジェンス機構を立ち上げ副理事長に就任するなど、この国のスポーツ振興に力を尽くしています。


←戻る
©2007 鈴木寛 事務所