2006年3月16日 文教科学委員会
〜教育基本法の改正等について〜
○鈴木寛君
民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。
ただいま広中議員と文部科学大臣始め、教育基本法の質疑がございましたが、もう少し私は詳しくお話を伺いたいと思いますが、先ほど大臣は、教育基本法の提出に至る努力を文部科学省としてされるという御答弁をされましたが、具体的にはどういう御努力をされているのか、お教えいただけますでしょうか。
○国務大臣(小坂憲次君)
答申をいただいてもう既に三年以上たっておりまして、できるだけ速やかに改正案の取りまとめが必要だと認識をいたしておりますが、これに各党内での取組の状況がございます。それをしっかりまず見極めさせていただく。また、与党においての議論というものは、法案提出においては具体的なステップとして必要というのが現実でございます。そういったものを見ながら、それぞれの要路の皆様に私どもとして機会を見てこの促進方お願いをしているという状況でございます。
○鈴木寛君
私どもの教育基本法に対する立場を申し上げたいと思いますが、我々民主党は改正には賛成でございます。改悪には反対でございます。という立場でございまして、大いに教育基本法を頂点といたします教育法体系が現実の教育現場に対してどのような影響を与え、そしてその教育現場が今どういうふうになっているのかと。それに対して、教育というのは制度論だけではございませんが、制度論も極めて重要な、教育現場を改革するための非常に必要な、重要な部分でありますから、その点で必要なこの改正といいますか、良い改正は、それについての議論は決して我々やぶさかではないという立場なんですけれども、小坂大臣も御就任されてから、この平成十五年三月二十日の中教審のいわゆる答申は何度もお読みになって、そして御自身で吟味をされたというふうに思います。
で、先ほど広中議員の質問に対して、なぜ教育基本法の改正が必要だと判断するかというお答えの中で、半世紀たって社会情勢がかなり変わっているという点、それから、そういう中で道徳心、公共心、自立心と、いわゆる徳育について少しきちっともう一回見直していくべきではないか、こういうお話がございました。
私、まあその議論自身を頭から否定するつもりはないんでございますが、それだけかなというのが私はこの答申に対する思いでございまして、私たちも、実は民主党に教育基本問題調査会というのがございまして、そこに作業部会がございます。私自身もその事務局長をさせていただきまして、先ほど申し上げたように、教育基本法を中心とする教育法体系というものが、正に戦後五十年たって、まあ戦後といいましても、昭和二十二年の段階と、それから特に一九五六年に教育委員会法がなくなって地方教育行政法になったと。そこから、その前とその後とで、少しといいますか、かなりコンセプトにおいて変更がございます。そういうことも踏まえまして、五十年というのか六十年というのか、まあいろいろな考え方ありますし、もちろんこの五十年の中でも、お隣に西岡先生いらっしゃいますけれども、様々な変遷を遂げてきているというふうに思います。
そういう中で、私たちは、我々が教育基本法を議論する上で、やはり今の教育現場においてどういう問題が起こっているのかと、かつ、何が重要な課題なのかということをやはり念頭に置きつつ議論をするということが大事だというふうに思っておるんですけれども、改めてお伺いをいたしますが、教育基本法の改正を目指しておられるわけですね。それはいいですよね。その目的というのはどういうふうに考えておられますか、お答えいただきたいと思います。
○国務大臣(小坂憲次君)
教育基本法の改正を通じて、今日、皆さんの方から御指摘をいただいている日本の置かれた学力低下、あるいは今の若者の情動関係の現実的な側面、そしてまた環境や国際情勢の変化、こういったものに対応できる人材の育成と、そのためにその基本となる教育基本法を改正して、一つの教育のあるべき方向性を明確にすること、それを基に、先ほど委員がおっしゃられましたように、それを中心とした法体系を構築していく、そしてそれに基づいた実施体制の整備をしていくということだと思っております。
こういう機会を通じまして、野党の皆さん、それぞれで現場で御議論をいただいているそのポイントをまた御指導いただきまして、そういったものに対して私も認識を深めさせていただきたい、このように考えております。
○鈴木寛君
我々は、やはりこの改正をする、あるいは教育法を頂点とする教育法体系、特に我々は地方教育行政法については抜本的な見直しが必要だと思っております。
したがいまして、そうした基本法を頂点とする法体系の中で、一つ一つこの検証をして、我々は、少なくとも地教行法は一定の手直しが必要だなというふうな見解を持っておるわけでありますけれども、やはり教育現場を良くするということがこの法改正あるいは制度改正の目的でなければいけないと思っています。
更に申し上げますと、やはり現場で起こっている問題を解決すると。それから、やはり教育改革というのは、正に草の根のといいますか、国民運動的な教育改革が不断に、連続的に改革がずうっと続いていくと、そういうことをやっぱり推進をしていくということ。それから、どうしても行政、文部科学省の行政にお任せをしていたのでは、いわゆる霞が関発の改革では限界があって、やはり政治主導で突破しなければいけない懸案が私は少なからずあろうかと思います。そうしたものをきちっと決着をさせると。それから、憲法二十六条あるいは教育基本法で様々な趣旨が、非常に尊重すべき、あるいは実現を、もっともっと充実を図っていくべき趣旨というのがありますが、それが例えばこの五十年、六十年の時間の経過とともに解釈が、解釈改憲ではありませんけれども、教育基本法自体の解釈が、文言は同じでもかなり変容をしていっていると。
例えば、学習指導要領の法的拘束性でも、十年に一回の学習指導要領のたびにその法的拘束力というのは、これぎりぎり読んでいきますと、学校教育法の、しかも省令でその法的拘束力が、何といいますか、振り子のように揺れているわけでありまして、あるいは今我々が大変大事だと言っている学習指導要領も、これ法的性格というのは極めて、あいまいとは申し上げませんけれども、実は文教委員会で学習指導要領は議論できない、まあできなくはないでしょうけれども、最終的には文部省の告示、通達というレベルでいろんなものは決まってしまって、それがどういうふうに決まり、どうなるかということについて逐次国会で報告をいただいたり、あるいはそれをきちっと国会にかけて議論をさせていただくというフレームワークになっていないなど、文部科学行政といいますのは十五年ほど前からは国会に法律をお出しになるということがきちっとやられるようになりましたが、それ以前はなるべく政府部内での様々な諸制度を手当てによってという癖があった時期もあったということから、いろんなことが本当に潜んでいるんですね、通達だったり省令だったり。
そういうことをやはり分かりやすく、大事なことはやっぱり法律に書いてある、あるいは基本法に書いてあると。で、なるほどと、それを見れば、ああこうなんだなと。いや、実はこういう運用なんですかとか、そういうプロしか分からないという法体系は私はやっぱりきちっと正すべきだというふうに思っておりますし、それからまた、日本も国際社会の一員でございます。
教育に関する国際条約とか国際的な取決めというのは様々この間ございました。その実現のためにやはり国内法の整備あるいは国内法との連動と、こういうことも必要でございます。これもずっとある意味で積み残された、今日、後にもう一度国際人権規約についての御議論をさせていただきたいと思いますが、そのほかにも子どもの権利条約だとかサラマンカ宣言だとか、いろいろな国際的な動向と日本の法制度とのハーモナイゼーション、こういう問題を、ああなるほどと、教育基本法を始めとする教育法体系というものを一から、ゼロから議論をし直すと、ああこういういいことがあるんだなと、目に見えて現場がこのような方向に変わっていくんだなと、こういう、何というんでしょうか、予感ができる議論を私は国会でしていかなければいけないと、こういうふうに思っているところでございます。
私どもは再三にわたり、この国会の場に教育基本問題調査会的なものを設置をしていただいて、そして、これはちょうど憲法調査会がいろんな意味で参考になろうかと思いますけれども、毎週、それぞれのテーマごとの専門家の方あるいは現場の関係者に来ていただいて、そしてその方々から非常に中身の濃い情報提供をいただいて、そしてそれをめぐって委員同士が議論を深めると。しかも、憲法調査会は、大臣も御存じだと思いますけれども、恐らく今ある国会の議論の中で最も議員の自由発言が認められている数少ない場の一つだというふうに思います。事前の質問取りもございませんし、出たとこ勝負の、本当にこの国について、あるいはこの社会について、あるいは世界観、歴史観という、それぞれの議員が日ごろ考えていることをぶつけ合う場になっているわけでありまして、私はこの教育基本法というのは憲法附属法とも言うべき極めて重要な法律だと思っておりますので、そういう意味で憲法調査会に準ずるような形で教育基本問題調査会を国会の場で設置をし、そしてそういった問題について一つ一つ、もちろん中教審でもいろんな議論をしていただいておりますけれども、やはり国会でもっともっといろいろな論点について議論を深めていきたいと、こういう主張を私も、あるいは民主党全体としてもさせていただいているわけでありますが、今日に至るまでそういう議論が国会の場でなされていないことは率直に言って大変残念に思っているわけでございまして。
小坂大臣、大変残念ながら通常国会は今国会で取りあえずのあれが、もちろん再任という可能性もあるかもしれませんが、あるいは総理になるという可能性もあるわけでございまして、そういう意味で是非やっぱり国会で議論しようということについてリーダーシップを取っていただきたいなと、こういうふうに思っているわけでありますが、国会で教育の基本的な問題について議論をすることの是非について、大臣、いかがお考えでしょうか。
○国務大臣(小坂憲次君)
御指名いただいてよろしいんですね。
鈴木委員の御指摘には共感する部分もたくさんございます。しかし、今日、私は内閣の文部科学大臣という職を拝命をいたしておりまして、国会の組織につきましては国会の場で決めていただくのが三権分立でございます。
憲法調査会と同じような教育基本問題調査会とか、仮称、そういうような御提案があるということの認識だけ今日は持たしていただきまして、御高説を拝聴させていただきました。
○鈴木寛君
先ほど、提出に至る努力をいろいろ与党にされているということでございますから、その一環でこのことも含め御説得をいただければというふうに思っております。
それでは、少しその教育基本法の中身に入りたいと思いますが、教育基本法の第三条、これ教育機会の均等をうたった条項であります。教育基本法の中でも極めて重要な条項の一つだというふうに思いますが、これをどのように変えていくおつもりか、お答えをいただきたいと思います。
○国務大臣(小坂憲次君)
三条を変えるつもりがあるのかどうかという御質問でございますけれども、現在、教育基本法の改正に向けての作業を進めていると、また、各般の御議論を注目さしていただいていると申し上げました。そのような中で、教育の機会均等ということについてはしっかりとこれは維持していかなきゃいかぬという基本的な考え方は持っておりますが、条文的にどのようにするのかということについては、それぞれの御議論をまって対応したいと思っております。
重ねて申し上げますが、教育の機会均等を守るということはこの義務教育の根本でありますし、教育の根幹であろうと思っておりますので、そのような認識を持って対応さしていただきたいと思っております。
○鈴木寛君
三条は、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」と。人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって差別されないということが書いてあるわけでございますが、二月一日の予算委員会でも質問をさせていただきましたが、いわゆる格差問題ですね。今国会の一つの争点になっているかと思いますが、特に教育の分野で申し上げても、就学援助費の支給率が小泉内閣になってから四割も増えている、東京では四分の一、そして東京のある区では四十数%に上ると、こういった実態があること。これについては先日の予算委員会でも議論をさせていただきました。
そして、この経済力格差ですね、親の経済力格差に対応して、先ほども広中議員と大臣ほか文部科学省の幹部の皆様方と御議論をさせていただいた学力低下問題、これは極めて連動をしていると。例えば、読売新聞の世論調査で申し上げますと、格差が広がっているとする方が八一%、小泉改革が影響しているという方が五六%、そして、ここをよく聞いていただきたいんですが、今の日本では努力しても格差は克服できないと思っておられる方が五九%いらっしゃるんです。小泉総理は、格差いいじゃないかと、頑張った人が報われていると、こういうことでありますが、五九%の日本の方々はもうあきらめているわけですね。
要するに、日本の問題は大人も子どももやっぱり脱力感といいますか無力感といいますか、そういうものがやっぱり蔓延しているということは、これは極めて重要な問題だというふうに思いますし、先日も申し上げましたけども、先進国にいろいろな党があります。アメリカでいえば共和党そして民主党、イギリスでいえば労働党と保守党と、それぞれ機会の均等なのか、機会の平等なのか結果の平等なのか。これはそれぞれ一長一短あって、その時々の社会が活力を求める場合にはどちらかというと機会の均等の方を国民は選択し、しかしそれが余りにも格差が広がり過ぎた場合には、正に結果の平等を推進をする党を国民が選択します。そのことによって政権交代が行われ、中長期的に見れば安定した、しかも健全な社会の発展というものが形作られていると、こういうことだと思いますけれども。
私は、小泉総理のいろんな一連の答弁で問題だと思いますのは、スタートラインがこの国は違い始めてきていますよ、それが二代、三代にわたってきていますよ、これは大問題じゃないですかと。先進国のすべての政党の中で、スタートラインが違っていていいと、その格差を是認するという、そうした政治家あるいはそうした政治あるいはそうした政党は、私は小泉自民党以外にはないんだと思います。
小坂大臣に是非その点お伺いしたいんでありますけれども、教育現場における格差、あるいは大臣自身のこの格差問題についてどういう見解を持っておられるか、お聞かせいただきたいと思います。
○国務大臣(小坂憲次君)
これは、今国会の本会議あるいは各委員会においても、小泉内閣、小泉総理の考え方、こういった観点から格差議論というのが盛んでございます。
小泉総理がおっしゃっておりますように、すべての差のない社会というのはあり得ない、何らかの形で差は存在する、その中で努力するものが報いられて先へ進めるということは必要なことではないか、そういう意味でそういう格差というものはあってもいいんではないかと、こういう考え方を述べられております。ただ、同時に小泉総理は、その格差が固定するということになるとそれは問題だということは自分も認識をしている、こうもおっしゃっているわけでございます。
私も同様に考えております。その格差が固定してしまうと、今委員は、数代にわたってもう格差が固定化してしまってスタートラインが違うんだという御指摘がございました。具体的にどのようなことをおっしゃっているのかちょっと分からない部分がありまして、それは、地域的な、住む地域がそうであるがゆえに格差があるんだということを御指摘になりたいのか、あるいは門地というような言葉が先ほどの三条の中にあるのは御存じだと思いますが、門地によってもうすべてに差別が行われているんだという御指摘をされたいのか、その辺もう少し御説明いただけますと私も分かりやすいと思っております。
○鈴木寛君
それでは、御説明を申し上げたいと思います。
私もいろんな現場を歩かせていただいております。例えば、こども未来財団というのが調査をしています。年収一千万円以上の御家庭の子弟は、あるいは子弟及び御両親は、そのお子さんが大学、大学院への進学を希望しておられる方って八九%ぐらいいるんですよ。これが、年収が二百万円から四百万円になりますと、そもそも大学進学への希望をすること自体がこれ四四%、半分になってしまうわけですね。
それから、私やっぱり小泉総理の御発言の中で問題だなと思いましたのは、我が党の前原代表の質問に対して、いや、勉強だけがすべてじゃないと、こういうおっしゃり方をしました。小泉総理は、勉強だけというのは、いわゆる狭い意味で、いわゆるペーパーテストで測る勉強と、こういうふうにおっしゃりたいんだと思いますが、文部科学省は決して公教育の中でそうした教育だけをやってこられたわけではありません。知育、徳育、体育、昨今は食育も含めて、正にバランスの取れた、そしてわざわざ生きる力という考え方もお出しになって、あるいは、さらには人間力ということもお出しになって、文部科学省あるいは日本の教育というのは、いわゆる小泉総理が言っておられる勉強だけをできる子どもを育ててこようとしたのでは全くなくて、人間力であるとか生きる力であるとかということをバランスよくトータルに、もちろんその子ども子どもの個性、特徴に注目して引き出すということでありますけれども、そういう総合的な考え方でいわゆる勉強をする環境を提供しようとしてきたんだと思います。だから、そのことを踏まえたときに、勉強はできなくてもいいということになってしまうと、これは公教育の否定になってしまうわけですね。
それから、恐らく、いわゆるペーパーテストができなくても、確かに私たちのころはペーパーテストが駄目でも、野球ができるとかサッカーができるとか、あるいは絵がうまいとかあるいは歌がうまいとか、いろんなことが、それぞれ別々のお子さんが、歌はこの子とかあるいは野球はこいつとか、また餓鬼大将みたいなのがいて、それで何となく調和というかバランスが取れていたところあると思うんですけれども、今は、今同じ調査で、習い事、習い事ですね、ここには水泳教室とか、あるいは最近は学校のクラブ活動というのは子どもの数よりももっと上回るといいますか、下回る勢いで減っているんですね。それは馳副大臣よく御存じだと思いますが。
そうすると、クラブ活動も、あるいは運動とか文化部もありますけれども、そのクラブ活動も今どんどんどんどん公教育の現場から減っています。なくなりつつあります。さらに、少子化がその輪を掛けて、例えば野球部があるところはサッカー部がなかったり、またその逆だったり、それからまたラグビー部なんというのはもうほとんどこの少子化の中で難しい状況になってきて、スポーツをやるにも、例えばJリーグのジュニアチームとか、水泳などもそういうことになっていて、結局年収が一千万円以上のところは七九%が習い事をさせられるんですよ。一方で、二百万円から四百万円の世帯は三八%しか習い事ができないんです。ここもスタートラインで、いや、私はペーパーテストはあれだけども運動とかでと思っても、結局は水泳教室に行けるのはある程度年収がある御家庭の子弟と。幾ら水泳をやりたくても、あるいは幾ら体操をやりたくても、あるいはいろいろな、野球やりたくてもといっても、ここに格差問題が厳然として生じていると。
こういう統計からも明らかですし、そして、就学援助費の比率が高いという区を回ってみますと、もうそうした現場でおっしゃるのは、結局いわゆる経済格差がそうした学力格差あるいは人間力向上のためのチャンスの格差につながっていて、そして先生方も同じようなこと考えています。世論調査でも八割だと思いますが、学校の先生方も家計の格差拡大を感じておられる方は七七%。ですから、大体合うんですよ。やっぱり、八割は格差が広がっているなと思っておられるし、学力の二極化というものに家計の経済が影響しているというのが四八%。やっぱり、半分はそういうふうに感じておられる。そこで、親が子どもさんの面倒を見ることができなくなっていると思っておられる方も七割いらっしゃるし、それから経済的な面でも。
ということで、結局親の、保護者の職業あるいは保護者の収入によって、結局お子さんのそうした生きる力を伸ばしていくというところに格差が生じている。これをもって私は、だから、スタートラインがもうそこで違っているんじゃないでしょうかということを申し上げているわけであります。
○国務大臣(小坂憲次君)
委員が御指摘になったことについてはそれなりの理解が深まったわけでございますが、同時に、小泉総理がおっしゃった、教育だけ、教育だけといいますか、勉強だけがすべてじゃないと言ったのは、各学力調査を引かれて格差があるではないかという御指摘、また世帯収入、ジニ係数等を御指摘になった上での格差があるではないかという御指摘に対しての答えとして勉強だけがすべてではないと言ったのは、人生において、その人生の成功のチャンスということを左右するのは勉強だけではないでしょうということを指摘したと、私はこう理解しております。恐らくそうであろうと思うんですが、したがって、教育を否定しているわけでもないし、また、教育に格差があっていいというふうに思っているわけでもないというふうに私は弁護をしておきたいと思います。
その上で、今委員が御指摘になったような収入に格差が生じている。それは経済の発展段階において、すべて同レベルになるわけはないわけでございまして、差が生じるのはそれぞれの時点であります。
今経済が非常に、バブルと言われた時代から、そのバブル後の低迷期を経て、ようやくまた回復期に向かいつつあるという段階でございます。その段階において、何といいますか、バブルの後遺症によって被害を受けなかった部分、それから被害を受けたけど回復しつつある部分、被害を受けて回復できない部分、それらの社会的な、それぞれの地域的な、あるいは企業の規模及び企業の、何といいますか、成功度合い等によってその収入に格差が出ている状況があることは、私もそのとおりだと思います。
これが回復するに従って収入の低いレベルの方々の収入が向上し、そして収入の高いレベルの人たちの、税制等による、今日若干緩和しておりますけれども、しかし、税制上、社会へその所得の再配分が行われておりますから、その機能を使うことによって、いい再配分が行われるようになって底上げが達成できることを我々政治家としてはやっていかにゃいかぬと、こう思っているわけでございまして、教育の現場に親の経済状況が反映しないように奨学金制度の充実を図ったり、また、それに加えて、就学援助を求められる方が増えているという御指摘もありますけれども、そういった部分で対策を取るなど、その経済的な格差が教育の機会の格差にならないように努力していくことが必要だと、このように認識をいたしております。
○鈴木寛君
大臣は大変に経済政策にお強いのでそういう御説明になるんだと思いますけれども、私、申し上げたいことは、富の再配分という議論は、これは経済的格差の問題についてはそれで結構なんですけれども、教育の格差、最後に、今の御答弁の一番最後に、親の経済格差が教育の現場に持ち込まれないようにと、そこなんです、そこを丁寧に議論を私はしたいわけでありますけれども。
就学援助などで、正に現金給付の分配によって格差を是正するというもちろん政策もあります。しかし、教育行政で極めて重要なことは、そうした現金給付によっての再配分を図るということのみならず、というよりか、それよりも現物給付でもって教育環境を、あるいは教育機会というものを結果として補整をしていく。
更に申し上げますと、先ほど銭谷局長の御説明にもありました。私は見解極めて一致します。日本の学力低下問題は、結局一番、レベルワンとレベルツーと言われているその層が増えてしまったと。昔は四分の一ぐらいだったのが、それが三分の一になって、全体的に引き下げているということです。そうすると、今日は時間がありませんから非常にラフに申し上げますと、就学援助をもらわざるを得ない家庭の子どもたち、それから、そこは何とかかつかつやっていけるけど塾などに通わす余裕のない層、そして、塾だろうが家庭教師だろうが、スポーツ教室だろうが水泳教室だろうが何でも行けるという、この三つの層に私は分かれているんだと思います。そして、一番所得の高い、さっき申し上げた、例えば一千万以上のところは全然学力レベルは下がっておりません。
一番問題なのは、正に就学援助費をもらったり、あるいは、そこは何とか払うけれども、いわゆる塾等で補習ができない子どもたちの学力がどんどんどんどん低下をしているということだと思うんですね。じゃ例えば、現物給付的にこの問題をどういうふうに解決をしていったらいいかというと、これも共同通信が教員へのアンケートをしておりまして、いわゆる学力に後れがある子どもへの対応が現在の学校ではできていないと答えられている方が九四%ですよ。恐らく私の現場を歩いている直観もそうだと思います。
じゃ、どうしたらいいかと。対処法ですけど、これも私のフィーリングに非常に合うんですけれども、個別指導をした方がいいというお答えをする教員が七二%、それから、チームティーチングなどで複数で教えた方がいいという教員が五六%、それから、朝とか放課後に補習をやった方がいいという教員が三〇%、私これどれもそのとおりだと思いまして、これ是非やるべきだというふうに思いますし、それから、フィンランドなどの場合は、元々授業設計の段階で、二割の子どもたちは授業だけでは十分に付いていけないということを想定して、個別学習で、あるいは補習のようなことでそこは補整をしていくんだということを織り込み済みで教員配置計画なども作られています。
これも同じことだと思いますが、これ結局、教育現場を良くするというのは、私は、いろんな議論がありますけれども、もちろん必要条件と十分条件で分けなければいけませんが、少なくとも必要条件の点で申し上げますと、やはり教員の質と量ですよ、間違いなく。今の個別指導だろうが、複数教員だろうが、放課後の補習だろうが、これやっぱり教員が要るんです、必要なんです。
したがいまして、私どもはマニフェストの中でもOECD並みの教員配置レベルに日本も上げていくべきだということを明確に言っております。例えば、平成十八年度の予算案の対案などでも、教育の部分については、これは純増で増やして、そしてOECD基準に一歩でも近づいていくと、こういう方針を出させていただいているわけでありますけれども。
私が今日議論をしたいのは、先ほど、大臣は大変誠実なお方でございまして、広中委員の質問に大変誠実にはお答えをいただいているんでありますが、しかし、政治というのはやっぱり結果責任の部分もございますので、私は、他の幹部に聞いていただければ分かるんですが、いつもこの委員会では非常におとなしく議論をさせていただいているんですが、この行革推進法ですね、これはやはりちょっとというか、かなり大臣の御業績に汚点を残す法律になっているのではないかということを指摘させていただかないわけにはいかないということでございます。
五十五条の三項に「政府及び地方公共団体は、公立学校の教職員」云々とありまして、「その他の職員の総数について、児童及び生徒の減少に見合う数を上回る数の純減をさせるため必要な措置を講ずるものとする。」という条文が行革推進法で入って、そして国会に提出をされてまいりました。
これ、私、閣議決定の後に、その日にこの条文案を手に入れたわけでありますが、これ大変申し訳ありませんが、完敗だと思います。圧敗だと言わざるを得ない。もう少し逃げる余地とか、今大変だと思います。もう歴代の、この五年間の文部科学大臣は、遠山大臣に始まり、河村大臣、中山大臣、そして小坂大臣と、私、五年間文教科学委員会お世話になっておりますが、四大臣とも大変に、小泉総理の下でお仕事をされているのは大変だなと。そして、この文教科学委員会ではそうした大臣をとにかく超党派で盛り上げようと、こういうことでやってまいったわけでありますが、私も理事をさせていただく者として大変に悔やまれるのは、やはり秋の特別国会でもっと議論をしておけば良かったと。
そして、正に行革推進法、あるいは行革の重要方針で十二月二十四日に閣議決定があって、今のような自然減を上回る純減も約束させられてしまったし、それから、先ほどの答弁で少しちょっと、もう一回改めて事実関係を伺わなきゃいけないなと思ったんですが、昨年の十二月十六日に行われた文部科学大臣と財務大臣とのお話合いの中で、平成十八年度において第八次公立義務教育諸学校教職員定数改善計画の策定を行わないという決定になっております。これは先ほどさらりとおっしゃいましたし、それから御答弁の中で第七次ではいろいろ頑張ってこられたんだと、頑張ってきたんだという大臣の御答弁がございました。私も、もちろん限られた財源の中で、厳しい財政の中で、第七次定数計画で十分とは言えませんが、しかし半歩半歩この教育現場における人の厚みを厚くして、人材を厚くして、そして様々の課題に取り組んでいこうという踏ん張った跡がこれ第七次の定数改善だというふうに思っております。
そこで、いよいよ八次だと、八次で頑張るぞと、大変だけれどもと、こういう中で、平成十八年度においてこの第八次公立の定数改善計画を策定しないというのは、これはやはり極めて重要な決定であって、そして、もちろん本意ではないと思いますけれども、内閣の御一員として、全体としてこうしたことを閣議決定し、さらに今申し上げました行革推進法の中で、あの書き方は法律の書き方じゃないですよ。政令とか計画とか省令とか、少し、後に揺り戻せるというか、余力ができたときに反撃できるところであのように、閣議決定でああ書いてあるんであれば次なる閣議決定でひっくり返せばいいわけなんですが、今回の行革推進法というのは別にこれ時限法じゃないですよね。そうすると、これが条文で純減というところまで書かれてしまったと。これは極めて残念でありますし、教育現場に極めて深刻な影響を与えるということは私は指摘させていただかざるを得ないと、こういうふうに思います。
いま一度答弁を求めますが、八次定数改善はまだ可能性があるんですか、ないんですか。それから、どうしてこのようにクリアに書かれてしまったのか、もう少し何とかならなかったのか、お答えください。
○国務大臣(小坂憲次君)
御指摘のことについては、鈴木委員御自身教育現場におられて、また御自身、今お話しになりましたように、当委員会の議論を通じて流れ全体をごらんになっていらっしゃいました。最終的に出てきた法律の内容がこのようであれば完敗だとおっしゃる。そういう評価は鈴木委員の評価のみならず、恐らく野党のここにお座りの皆さんも同じような評価をされているんだろうと思いますが。
しかし、私の方といたしましては、各般の議論を通じて、私が就任いたしました時点でもうほぼ大勢は固まってきておりまして、その中においては義務標準法の言う教員、教職員という枠組みで純減をするというような形になっておったわけでございますけれども、しかし実際に教育現場を見渡しますと、給食調理員の方もいらっしゃるし、あるいは用務員を始めとしたいろいろな周辺の皆さんも、いわゆる教職員としての立場で学校を守っていただいている皆さんがいらっしゃる。であるならば、そういったもの全体を見る中で対応をするということならば、これを完全否定してしまえば行政改革の考え方そのものを否定することになりますので、そういった意味で、ぎりぎりのところでお受けをするという形でこのような条文になっておりますが、しかし閣議をいたしましたときの平成十七年十二月二十四日の閣議決定の内容といたしましては、国が定数に関する基準を広く定めている分野の職員、すなわち教育、警察、消防云々ありますが、二百万人おるわけですが、ついては地方の努力に加えて国が基準を見直すことによって、これまでの実績、五年間で四・二%であったわけですが、これを上回る純減を確保するという大枠がまず決まりました。
その中で特出しで、「特に人員の多い教職員」というふうに記述をされたものですから、特に人員が多いことは事実でありますから、特に多い人員、教職員と書かれることはやむを得ないとしても、その対象となるものは何かと言われれば、「(給食調理員、用務員等を含む。)」については児童生徒の純減に伴う自然減を上回る純減を確保するということで、この行政改革の推進に協力をすることとしたものでございます。
また、第八次の定員改善計画について、一、二、三、四とこう来て、七の次は必ず八だといえばそうかもしれません。しかし、この八次というものを本年度は作成をいたしませんでした。こういった激変期に当たる時期に当たりますんで、その変化の中で私どもは最大限に教育現場の実態を踏まえて実を取るということで、今回はその名称を冠した定数改善計画とはいたしませんでしたけれども、先ほど申し上げましたが、三百二十九名の改善ということが実施できるように、合理化の中で積み上がりましたものをそっくりそのまんま改善に充てるんだということで守り抜いたつもりでございました。
このようなことによって、現場においては少数教育、習熟度別指導、食育、こういった新たな課題を推進するために必要な定員は確保できたものと考えているわけでございます。
○鈴木寛君
済みません、実を取った、あるいは守り抜いたという御答弁があったんですけれども、どういう実が取れたのか、あるいは何が守り抜けたのか、もう一度御答弁ください。
○政府参考人(銭谷眞美君)
まず、昨年暮れの総人件費改革の閣議決定に至りますまでの間の経緯についてちょっと御説明を申し上げますと、昨年の十一月の経済財政諮問会議の報告以下、教職員については児童生徒の純減に伴う自然減を上回る純減を確保するという表現のみであったわけでございます。
といいますのは、そうすると、これはいわゆる公立学校の標準法に基づく教職員について、子どもの数が減ったのに見合う教職員の減少数、これを上回る純減をするということになるわけでございますので、文部科学省としては、この考え方はいわゆる教員について考えた場合、教育条件の悪化ということを招来をするわけでありますので、今の教育条件を悪化させるわけにはいかないというまず主張をいたしまして、その結果、折衝の結果、「人員の多い教職員」の部分につきまして、その教職員に「(給食調理員、用務員等を含む。)」という文言を挿入をしていただきました。
この結果どういうことになるかといいますと、当初の案でいきますと、義務標準法及び高校標準法対象の教職員約九十九万人でございますけれども、これに加えて給食調理員、用務員等、約十一万人の職員の方がいるわけでございますが、これを合わせた全体で児童生徒の減少に伴う自然減を上回る純減を確保すればいいという、こういうことになったわけでございます。
つまり、私ども、担当の方と確認をし合っておりますのは、標準法に基づく教職員については自然減による純減まででいいということを確認をし合っているわけでございます。つまり、今よりも教職員配置が少なくともこの閣議決定の中では悪くなることはないということが確認をされているわけでございます。
なお、今般国会に提出をされました行政改革推進法におきましては、公立学校の教職員その他の職員の総数について、以下、先ほどの自然減を上回る純減をさせるということになっておりまして、その他の職員というのがつまり給食調理員、用務員等を含むという意味合いでございます。
ですから、私どもといたしましては、この総人件費改革の中で、教職員の配置等については現在よりその条件を悪くするということにはしないということでずっと折衝をしてまいったところでございます。そのことを先ほど来大臣は申し上げたわけでございます。
○鈴木寛君
要するに、給食調理員と用務員さんを犠牲にして教員は守ると、こういう御説明にしか聞こえないんでありますが、それはやっぱり学校という実態、それから今学校安全が問題になっております。先ほども大仁田委員からありました。やっぱり用務員さんがきちっとかぎを閉め、あるいはドアの門扉の管理をする、あるいはそうした学校のいろんな侵入路のところとか、やっぱりそういう重要なお仕事もされているわけでありまして、そこで削ったからって戻しますということだけでは私はなかなか納得は得られないんではないかというふうに思います。それで、これはもう私どもは反対をせざるを得ません、この行革推進法については。
私、今日、是非申し上げたいのは、要するに文部省の中のお財布の中で右や左やっていても、これはなかなか苦しい議論というか、余り建設的でない議論でありまして、やっぱりこれだけ教育が問題になっていて、そしてこういう中でやっぱり正面突破で是非言っていただきたかったなと思います。
この間、例えばメディア、これは耐震の問題のときも大臣に御質問を予算委員会で申し上げましたが、ほとんどメディアでこの問題が取り上げられていませんよね。それは逆に言うと、政治の場でのこの問題の、何というんですか、重要度、これはやっぱり大変な問題なんだということについて、もっともっと多くの関係者に理解をしてもらう、あるいは他の閣僚にもどの程度御理解をいただいたのかと。
それから、私これ条文をよく読んで、これ、ここも問題だと思いましたのは、五十五条の三項ですね。ここだけ「政府及び地方公共団体」と入っているんですよ。三位一体で地方分権でと、教育に重点を入れる県はどうぞお増やしくださいと一方で言っておきながら、何で行革推進法で地方公共団体をも主語にして、この自然減を上回る純減をという措置を講ずるという義務を課せるんですか。これはおかしいと思います。
仮に三位一体、我々は反対で、あの政府のおっしゃっている三位一体には我々は反対ですけれども、例えば教育公務員については倍増するんだと、あるいはどんどん増やしていくんだと、こういう県の独自性というものを認めるという芽すら、この条文の作り方では、これ、一項と二項は「政府は、」となっているんですよ。五十五条の一項と二項は。三項になって「地方公共団体は、」ということが出てくるわけでありまして、この辺りも私は大変に大問題だというふうに思いました。
是非これ、今国会引き続き議論をさせていただいて、いかにもう一回反転攻勢をするか。そして、教育についてきちっとやっぱり、やっぱり教育は教員の人と質が基本であります。ここを何とか……(発言する者あり)だけど、量がないものは上げようがないんですよ、いない人の質は上げようがないんですよ、それは。(発言する者あり)そんなことありますよ。
○委員長(中島啓雄君)
まあ、ちょっと場外は静かに。
○鈴木寛君
それで、いや、そういうことだから結局、自民党は教育に対する予算とか人とかを増やせないんですよ。文教科学委員なんですから、これはやっぱりちゃんと本当に教員が日本にとって大事なんだと、こういうコンセンサスを私は是非皆さんとともに確認をしていきたいというふうに思います。
それで、五十六条の三項にも人確法の話がございます。私は、人確法の目的であります「すぐれた人材を確保し、もつて学校教育の水準の維持向上に資することを目的とする。」と。この目的は全くその意義は減ることはない、むしろ高まっているというのが日本の教育の現状だと思います。もちろん、それに至る方法論はいろいろあります。お金を付けるだけが方法論ではありませんけれども、しかし、そのためにも、単に評価だということだけではこれはなかなか難しいということを申し上げておきます。
それから、これは教員の質の問題とも絡みますが、正に教育の機会の均等で、大分時間がたってまいりましたので先を急ぎますが、教育基本法の中でもっともっと議論をしていただきたい項目の一つに特別支援教育、これはやはり特出しをして私は更に議論をすべきではないかというふうに思います。
そこで、もう議論させていただきたい話一杯ございますが、今日は弱視の方々、弱視児童の拡大教科書の問題、これ、お願いを申し上げたいと思います。
これは文部省の御理解によりまして、著作権法の改正の中で、いわゆる弱視者が使う拡大教科書についての著作権許諾の問題、これは解決をしていただきました。これは大変に現場も感謝をしていただいているようでございます。これは率直に御礼を申し上げますが、今問題になっておりますのは、しかも補償金の支払も免除されております、ボランティアの分は。
ただ、結局、弱視の皆さんの拡大教科書がボランティアの人によって作られるという実態なんです。今ボランティアの方々がもうパンクしておりまして、せっかく法制度で措置を講じていただいたんですが、今二千名から三千名の弱視の方がいらっしゃいますけれども、その方々に拡大教科書が具体的に届いていないという問題、これを何とかしていただきたいと思います。
この方策としては、大きく言うと二つございまして、教科書の出版社に拡大教科書の出版を義務付けていただくというのが一つですね。それから二点目は、これは私は即刻できると思うんですが、教科書の出版社に教科書のデータ、それこそデジタルであるわけです、今や。そのデジタルデータを、ボランティアの方にデジタルデータをそのまま提供することを義務付けていただきたい。
そうしますと、後はそれを使って、正にオン・デマンド・プリンティングという方法がありますから、それによってその子に応じた教科書ができるようになるんですけれども、今これが提供されないものですから、アナログで一々コピーを取ってという事態になっていますので、これは即刻できますので、是非、文部科学省、お願いをしたいと思いますが、いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君)
弱視の方に向けた拡大教科書について二点お尋ねがございました。
まず、後の方のお尋ねでございますけれども、いわゆる教科書会社にデジタルデータの提出を義務付けるという点でございますけれども、これについては、現在でもこのデジタルデータについては、教科書協会において一定のルールの下にこれを提供するということで取り組んでいるわけでございます。
教科書会社はあくまでも民間の企業でございますので、新たにデジタルデータの提出を義務付けるということは一つの規制になりますので直ちには難しいと思いますけれども、御要請があればこのデータを提供すると。そして、可能な範囲で協力を行うということについては現在も行っておりますし、私どもも各教科書会社に協力の呼び掛けということはしてまいりたいと思っております。ただ、残念ながらまだ余り御要請はないということでございますが、これから出てくるのかなというふうに思っております。
それからもう一つ、拡大教科書の作成を教科書会社に義務付けるといいましょうか、もうちょっとやらせるという点でございますけれども、実は弱視の児童生徒につきましては、その見え方が大変様々でございまして、児童生徒一人一人の見え方に対応した様々のやっぱり大きさの教材が工夫をされるということが大切でございます。
それで、今はこういった子ども一人一人の見え方に対応した拡大教科書をボランティアの方の御協力を得ながら作成をしているわけでございますけれども、実はその方が弱視の子どもに対してより適切な教科書を供給することが可能であるというふうに思われます。各教科書会社に必ず発行を義務付けても、それはもちろん経費の問題も、掛かりますけれども、本当にその拡大教科書が合う子どもさんのためだけのものになるかどうかという疑問もございまして、もちろん今一社やっているところがありますけれども、それではやっぱり使えないという弱視の方もいるわけでございますので、私どもとしては、ボランティアの方々が拡大教科書を作る際に、いろんな意味で、事務手続その他、作りやすいように十七年度からいろいろな工夫もしておりますけれども、まずはそちらの方でやっていくというのが基本かなというふうに思っているところでございます。
○鈴木寛君
いずれにしても、弱視の子どもさんにきちっと拡大教科書が確実に手に行くように、文部省、最大限の御支援をお願い申し上げたいと思います。
それでは、時間がなくなってまいりましたので、ちょっと医学教育の点についてまとめて質問をさせていただきたいと思います。
まず、産科と小児科ですね。これは、今、一人医院というのが非常に多くて、大変に過酷な勤務条件の中で、辞められてしまう方が大勢出ております。それから、新規にお医者さんになる方が産科と小児科を敬遠をすると、こういう状況にございます。もちろん、文部科学省だけでできることには限界があることは承知しておりますが、しかし、是非できることはやっていっていただきたいと思います。いかがかということです。
それから、まとめていきますが、二つ目はがんの問題でありますが、日本人は二分の一ががんになり、三分の一ががんで亡くなると、こういう状況になっております。それで、今日申し上げたいことは、特にそのがんの種類が、胃がんは減って、乳がんとか肺がんとか前立腺のようながんが増えておりますので、こうしたがんは、今までのように手術というよりも、放射線治療が効くケースが多い。今四人に一人が放射線ということになるわけでありますが、アメリカでは三人に二人が放射線治療を受けておられるということでございます。
それで、そうしますと、国民の四人に一人は何らかの形で放射線治療を受けることになりますが、日本の場合は、放射線治療の専門医が五百名しかいない。アメリカが五千名でございます。はるかに少ないと。これでは正に放射線治療難民、がん難民の中でも放射線治療難民が出てくるということでございます。これはかなり文部科学省の施策で何とかなる部分でございまして、すなわち、放射線科には放射線診断と放射線治療とあるんですけれども、放射線治療専門の教授職あるいは講座というものが少ないので、海外のように正に診断と治療というものをそれぞれきちっとつくっていただくということを、是非文部科学省として応援をいただきたいというふうに思います。
それから、あわせまして、これは厚生省ではできません、文部省の話ですが、これは理工系の専門家も必要で、そちらも足らないそうでございまして、大体放射線医と同じだけ理工系のそういう人材が必要だと思います。この前も国立弘前病院で過剰照射が、要するに被曝量が十倍ぐらい、非常に過剰になってしまったというので事故がありました。こうしたこともやっていただきたいと思いますし、それから、そもそもこれからのお医者さんというのは、もちろん治すための医療技術、これは是非とも学んでいただかなければいけませんが、どうしてもこのいわゆる終末期医療、ターミナルケアに携わるという観点から、緩和ケアとか、あるいはそもそもの死生観とか生命倫理とか、こうしたことも医学教育の中で充実をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。お答えください。
○委員長(中島啓雄君)
時間も経過しておりますんで、簡潔に。
○政府参考人(石川明君)
ただいま大変幅広い視点からの大学における医学教育の充実についてのお尋ねがございました。時間の関係もございますので手短にお答えさしていただきますけれども、既に委員御案内のとおり、小児科、産婦人科、大変少ない状況が指摘をされておりますし、放射線治療というものの重要性も指摘をされております。そしてまた、ターミナルケア、こういったものの重要性も指摘をされております。
これらにつきましては、御案内のように、医学教育でのモデル・コアカリキュラムといったようなものを関係者でもってつくって、これを基にそれぞれの充実改善を図っておるところでございます。特に、小児科、産婦人科等も今後充実を図ることが必要と考えますし、それから講座、それから放射線等の部分についても、なかなか専門の講座といったものは設けるのは難しゅうございますけれども、こういったことも含めまして、それぞれの学部での教育の充実を図られますように、私どもとしても積極的に促してまいりたいと、このように考えております。
○鈴木寛君
終わります。