NO.37 あけましておめでとうございます
2005.01.01


あけましておめでとうございます。鈴木寛でございます。

新年あけましておめでとうございます。旧年中はひとかたならぬお世話を賜りまことにありがとうございました。本年も、倍旧のご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

 昨年前半は、参議院選挙で皆様に大変お世話になりました。結果は、ご承知のとおり、自民党を抑えて、わが民主党が最大議席を獲得いたしましたし、私が、選挙対策事務局長を務める東京都におきましても素晴らしい成果を上げることができました。これもひとえに皆様のおかげでございます。心より感謝申し上げます。

昨年の一月から六月まで開催された先の通常国会では、参議院文教科学委員会の野党筆頭理事として文教科学委員会の切り盛りをさせていただきました。とくに、私が慶應義塾大学SFC助教授をしていたときに金子郁容教授らとともに発表したコミュニティ・スクール構想は、構想発表から5年越しで、先の通常国会で法改正までこぎつけました。

コミュニティ・スクール構想とは、日本では一挙手一投足にいたるまで教育委員会によって指図を受けている公立学校(現状)を、その学校ごとに設置する学校運営協議会(地域住民、保護者、教員などで構成)を中心に、人事、予算執行、教育方針・内容、施設管理などについて自律的・自主的に判断し行動していくように学校運営制度(ガバナンス)の改革を行っていこうとするものです。こうした制度改革によって、当該学校で日々発生する諸問題に対して、より的確・柔軟・迅速な対応が可能になります。これによって、今の公立学校の再生・健全化を図ろうとする試みです。

私立学校と公立学校の違いを端的に申し上げれば、何か不安を感じたり問題が生じたときに、私立であれば、学校の最高責任者である校長先生に駆け込めば、何らか改善のアクションが速やかにとってくれると信じられているのに対して、公立学校の場合は、校長先生のところにいっても、それは教育委員会だとか、文部科学省だとかいう理由で、具体的な改善のアクションが速やかにはとってもらえないのではないかという不信があります。実態は、私立であれ公立であれ、ケース・バイ・ケースなのですが、傾向としては、そうした違いは事実でしょう。よって私たちは、公立学校であっても、その学校の判断で、日々の改善が不断に行われるような仕組みと実態を作っていこう、まさに、官立学校ではなく地域立の学校を作っていこうという趣旨でこの構想を掲げ、実現に向けて、奮闘している最中です。

今年の4月から、地域がきちんと学校運営協議会を組織し、その公立学校の運営について自分たちで主たる判断を下せるだけのしっかりした参画と支援が確保・期待できる地域であるならば、コミュニティ・スクールとして学校運営ができるようになります。是非、皆さんの地域でも、コミュニティ・スクール化を検討してみてください。

昨年後半も、民主党の次の内閣の文部科学総括副大臣として、教育政策に没頭する毎日でございました。特に、プロ野球問題と義務教育国庫負担制度問題に奔走した、本当に多忙な日々を送りました。選手会の古田敦也会長を陰でいろいろとお手伝いさせていただき、幸い、12球団二リーグ制は、維持されました。義務教育問題は、結論が単に先送りされただけの格好となりましたが、義務教育に対して金は出さないが口は出し続けたい自民党に対して、民主党は「国は義務教育に対して、金はだすが口は出さない」という方針で、すべての地域・子供の義務教育機会の確保と地域主権と現場主権の確立を目指すべく、義務教育財源確保法の制定を準備しています。

さて、本年ですが、日本の政治としては、郵政民営化問題、積み残された年金抜本改革問題など課題山積ですが、私といたしましては、民主党の教育基本問題調査会事務局長として、一月中旬から開始する次期通常国会で与党から提出される可能性が高い教育基本法問題について、微妙で高度な対応と調整を迫られることになります。また、私が幹事を務める参議院憲法調査会も次期通常国会で一つの大きな節目を迎えることとなり、その調整にあたらなければなりません。いずれの仕事も、わが国に新たな歴史をつくる、政治家冥利につきる仕事です。こうした仕事に携わらせていただけることのありがたさをしみじみと感じております。しかし、昨年秋あたりから、水面下では、さまざまな動きがありますが、いずれの任務も大変に難易度の高い仕事で、毎日、身の引き締まる思いで過ごしております。

教育基本法については、まず、基本法を作り変えることが、机上の空論とイデオロギー論争に終始することなく、実際の教育現場の改革につながるような動きにつなげていきたいと思います。二十世紀の左派と右派の不毛な議論を超越して、二十一世紀にふさわしい新たな基本法づくりを盛り上げていきたいと思っています。

とくに、今、我々が心しなければならないのは、「まず、国家・社会が、子供たちを愛せよ!」ということだと思います。公教育の対GDP比率、生徒・児童あたりの教員数、生徒・児童・幼児の教育費自己負担比率、奨学金の充実度など、どれをとってもわが国は先進国中最低水準にあります。

同邦の先輩・先人に対する敬愛の念があれば、おのずと愛国心は生まれてきます。そして、先輩・先人たちが自分たちにしてくれたことを、今度は、世の中や次世代にお返ししていこうということで、利他の心や公共心に溢れた若人が自ずと育っていくのです。

私自身の場合は、私のご先祖様は愛情いっぱいに私を育ててくれ、本当に多くの功徳を施してくれました。氏神様によく集っていた近隣・近所の皆様も、本当に子供たちを可愛がってくださいました。私が通った学校の先生方も、本当に親身に指導してくださいました。そして、国民の皆様方に納めていただいた税金によって最高の環境のなかで高等教育を授けていただきました。ですから、私自身は、家を愛し、強い愛郷心、愛校心、愛国心をもっています。今まで頂戴したご恩を、なんとしてでも、世の中や次世代のためにお返しをしなければならないと心から思っています。ですから、今、公職を担わせていただいているのです。

しかし、今の多くの大人たちは、納めた税金を、未来の人づくり投資に使うどころか、その何倍もの税金を公共事業に浪費しつづけ、その挙句、次世代に借金と環境破壊というツケを残し、今なお、自らとその周辺にいる人々の既得利権を守り続けるという政権を長年にわたって支持し、その存続を黙認してきました。

このような大人たちが、自分のことは棚に上げて、社会を敬愛しろと若者に強制したところで、彼らは全く納得がいかないと思います。このようななかで愛国教育のみを強制したならば逆効果になることは日を見るより明らかです。

わが国の不毛な愛国教育論争を解決する鍵は、実は、国民主権の徹底と、今の大人の独立自尊と愛国の徹底にあります。真の愛国とは、国粋とは全く異なります。子々孫々の未来永劫の幸福と繁栄ために、まず、自らが国内外の人々から、特に次世代の人々から敬愛される日本人になり、そして、そうした高潔な人々による共同体である日本社会を再び創建することにあります。

他の先進民主主義国では愛国教育は当然のように行われています。アメリカなどは最たるものです。にもかかわらず、わが国で愛国教育に対する根深い警戒感がいまだに払拭できない理由は、戦後60年経った今なお、わが国が、実質的な国民主権国家になっていないという厳然たる事実にあります。この国は、いまだに対内的には官僚国家であり、対外的には対米追従国家です。政権交代なき政治の下で、官僚統治機構は、一部の既得権者のための利益擁護機関に成り下がらざるをえません。

わが国に健全な民主主義教育が定着し国民一人一人が、自らの幸福追求を確保してくれる公共の担い手でもあるという自覚と責任を全うし、司法が立憲主義・民主主義の根底をしっかり守り、政府・国家が人民の人民による人民のためのものになり、国民の支配に完全に服していると実質的に言えるようになった暁に、さらに、マス・メディアが正常化し、冷静・的確な国民の議論のための公共圏が確保されるようになった暁に、日本中の各地・各所で行われる熟議によって「真の国益は国際社会において名誉と尊厳ある地位を獲得することにこそある」という結論が導かれ、偏狭な自民族中心主義は排除され、今の不毛な議論は解決されるのだと思います。

そうすれば、堂々と愛郷・愛校・愛国・愛地球を唱え、次世代にそうした健全な精神を育むことに、多くの賛同が得られる日が来るのです。国民主権の徹底を伴わない愛国教育の強化は偏狭な国粋主義を再発します。真の独立自尊が確立され、真の国民主権国家のもとで、子供たちに真の愛郷心、愛国心、愛地球心が自然なかたちで健全に醸成されるのを見守り育む。そんな日が早く到来するために、今年も、教育改革の現場で一生懸命頑張って参る所存です。倍旧のご理解・ご支援のほどお願い申し上げます。