すずかんMAGAZINE NO.31 真の演説家・尾崎咢堂先生に学ぶ
2003.11.26 


みなさんお久しぶりでございます。鈴木寛です。
選挙直後に総選挙に関係したことをメイルで書くことは厳密にいうと
公選法上若干疑義がございますので、
当分の間、メルマガでは、おとなしくしておりました。
遅ればせながらですが、総選挙では様々な方々にお世話になりましたこと
心より御礼申し上げます。

民主党東京都連の選挙対策事務局長を務めさせていただきましたが
心身ともに疲れ果てました。首都決戦では、わが民主党の勝利に終わり、
正直ほっとしているところです。

総選挙後に召集をされました特別国会で、私鈴木寛は、
参議院文教科学委員会の理事、憲法調査会幹事に就任いたしました。
ライフワークである人づくりを国づくりの中心に据え、ポスト・モダン社会に
おけるガバナンスのあり方を世に問うために、参議院議員になることを
決意した私にとりまして、当選三年目でこのような大役を仰せつかり、
まさに、身の引き締まる思いです。今まで私を支えていただいた皆様に
感謝の気持ちでいっぱいでございます。

今国会は、予算委員会開催後すぐに終わってしまいますが、
次期通常国会に向けていろんな準備に励んでいきたいと思います。
総選挙が終わり、11月23日には、神奈川県の津久井町で行われた
第一回の「演説の甲子園・尾崎行雄杯青年演説大会」に出かけてきました。
津久井町は憲政の父である尾崎行雄先生の生誕地です。
地元で活動されている「尾崎行雄を全国に発信する会」が主催し、
私も企画をお手伝いしたのですが、
その前提として「私は、ディベートと演説は全く違うものだと思っています。
世間で多く行われているディベート大会ではなくて『演説大会』にしましょう。」
と私は申し上げました。

常々、国会で論戦を聞いていて、ディベートと演説とを取り違えている議員が
少なくないのはとても残念だと思っていましたので、私の持論を率直に
申し上げました。その思いを地元の皆さんにしっかり汲んでいただき
今回の開催に至りました。

稀代の名演説家・尾崎行雄先生が学んだ慶応義塾でも、福沢諭吉先生が
演説の普及に尽力されましたが、相手を論破することにエネルギーを注ぐ
ディベートちがって、演説は、一人の人間として全人格をかけて聴衆と心を
通すものだと思っています。さらに、人々を魅了し、人々・社会・時代を
動かすのが『雄弁な演説』だと思っています。

審査をご一緒した都立大学助教授の宮台真司さんも
「議論に勝って動機づけに失敗するということがよくある。」と述べて
いらっしゃいましたが、「人の心に灯をともす」ことこそが演説の核心です。
私は、政治家を目指す若者には、ディベートに長けるのではなく、
演説で人々を感動させることができるような存在になることこそが
大事なのだと主張し続けていますし、私自身もいつも自分にも言い聞かせています。

大会では、中学生2名、大学生6名の素晴らしい演説を聴いた後の
パネルディスカッションでは、私がコーディネーターを勤めさせていただき、
審査委員の宮台真司さん、NHKの角プロデューサー、咢堂先生の妹さんの
お孫さんでもいらっしゃる天野津久井町長、河村たかし衆議院議員と一緒に
「演説論」について議論を深めました。

自らの体験に基づき、感情がこもっていて、志に満ちた行動を伴う言葉こそが、
人々を納得、共感、感動させ、新たな行動を生み出す。尾崎咢堂先生が
人々の心を揺さぶったのは、大日本帝国憲法下で言論の自由がなかった
時代に、命の危険を顧みず、勇気をもって、自説を曲げず、自らの考えを、
人々に訴え続けたことにあった。これからの時代というのは思いだけでは
動かない、志を元氣に主張するだけではなく、その夢や志を具体的に
どのような手順と方法と戦略をもってそれを実現していくかについても
語っていかなければならないといった。大変に示唆に富んだ議論がなされました。

総選挙でも、多くの候補者の絶叫?!を聞きましたが、果たして、真の演説と
呼べるものがどれだけあっただろうかか?と反省した次第です。

尾崎咢堂先生は第一回総選挙以来連続25回当選、議員在職は63年に及びました。
来年2004年が没50年になります。今回、改めて尾崎先生の足跡に触れ、
国会に身を置く者の一人として、初心に返り、ディベートではなく演説の
大切さを常にかみしめながら、国会が再び言論の府として再生するため、
人々を魅了し時代を動かす演説家としての人間としての修業を一から
始めなければとの決意を新たにした次第です。
ちなみに、青年演説大会は、東京大学で学ぶ韓国人留学生の姜星運君が
優勝しました。実に立派な演説でした。