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 ◆W杯成功 万歳!


 日韓共同開催のワールドカップが終幕しました。この1ヶ月間は大いなる感動の連続でしたが、チケット問題など多少のハプニングはありながらも、日本の決勝トーナメント進出、韓国のベスト4となりました。中・高時代サッカー部に所属し(神戸市一部リーグ優勝経験もあります。もっとも私は、プレイよりもマネジメントワークの方で貢献しましたが・・)、そして、大会誘致の段階から今回のワールドカップに携わってきた私にとって感慨もひとしおです。

 思い起こせば、通産省サッカー部の若手でワールドカップを誘致しようと志を立てたのが、今から15年前。当時は日本リーグをやっても国立競技場はガラガラでしたから、本当にゼロからのスタートでした。通産省は、89年通産省産業政策局に、スポーツ産業研究会を設置し、翌年「スポーツビジョン21」という報告書をまとめました。同時に、90年代産業政策ビジョンの中でも、スポーツはじめ生活文化産業振興の重要性を指摘し、スポーツ産業振興政策を開始しました。93年にJリーグが発足し、我が通産省の先輩平田竹男氏がブラジル大使館勤務になり、ワールドカップ誘致問題が本格化。何よりも日本のサッカー関係者、そして、政界、財界、スポーツ界、地方自治体、サポーターなど、本当にサッカーを愛する全ての皆さんが、それぞれの立場で、それぞれに全力を尽くし、みんなの努力がつながって結実した結果、W杯日本開催にこぎつけたのです。そして、私自身も、この3年間は、ワールドカップ日本組織委員会(JAWOC)の情報通信委員を仰せつかり開催のお手伝いをさせていただきました。

 今回の日本代表の快挙には、日本再生のヒントが隠されているようにも思えます。若い力、新たなる才能を、花開かせることが、社会にとっていかに重要であるかを示唆しているようでもあります。今の日本社会の問題は、そもそも若い力を育てていないか、実力ある若手の力が塩漬けになっているところにあります。

 サッカーの場合、トルシエ采配で実力ある若手を積極的に登用し、選手起用で成功していることは皆さんご承知のとおりですが、見逃してはいけないのは、きちんと10年前から、サッカーの裾野を広げ、若手の育成を着実に図ってきたことだと思います。

 日本の優秀な選手は、静岡が輩出してきました。前回のフランス大会では11名、今回も6名が静岡県出身です。なぜ、静岡か? それはスポーツ少年団活動が極めて盛んだからです。学校の施設を利用しながらも、地域一体となって地元の子供たちの面倒をよく見ています。このスポーツ少年団活動は、裾野を広げるためにも大いに役立っているのです。

 そして、もう一つ人材育成で特筆すべきは、Jリーグ発足当初から立ち上げてきたクラブ・ユース活動です。今回大活躍の稲本選手も宮本選手も市川選手も、クラブ・ユースの出身者です。93年のJリーグ発足当時からJリーグの各クラブの傘下にジュニアを育成するクラブをつくりました。今までの学校体育・部活に依存しない、子供から若手までの一貫した育成システムをつくりました。これが10年たって功を奏しているのです。

 さらに、今の日本が、サッカーから学ぶべきは、一大国民プロジェクトの必要性です。サッカーの成功も、15年間にわたりスポーツ・芸能・学術・地域・産業・政治・行政・学校など、ありとあらゆる関係者が、中央でも、地方でも、頑張ってきたことによって今日があります。その際に、企業は裏から支え、地域やNPO・公益団体(サッカー協会は財団法人)がリードしたことによって、いろんな関係者を巻き込むことに成功しました。今、日本にこうしたあらゆる関係者を巻き込んだ長期プロジェクトを、目先の経済的利益にとらわれず、立ち上げていくことが必要です。だからこそ、NPO・NGOが重要なのです。

 サッカーの成功を参考に、「若い力を開花させる日本」づくりのために、新たな日本再生の教育システムや国民プロジェクトをも視野に入れた取り組みが、いかに重要であるかを改めて感じました。

 さて、昨秋の韓国国会議員との親善試合に引き続き、今回のワールドカップ開催中にも、イギリス、そしてロシアの国会議員との親善試合が、国立競技場でありました。イギリス国会議員チームとの試合では、中々の好ゲームを展開しました。その後のレセプションでも、アフガニスタンの若い世代のためにサッカースタジアムの建設をしようという話や、いかにサッカーを通じて世界平和を実現していくかといったことなど、中身の濃い交流・意見交換が出来ました。

 すずかんもお馴染みの背番号7のユニホームを着て2試合とも出場。ロシア戦の前半にはゴールキーパーも務めましたが、日ごろの運動不足を痛感させられました。

 また、この7月には、新しくサッカー外交議員連盟が発足しました。私も副会長兼事務局長になりました。ちなみに、通産省時代、一緒にサッカーのために頑張った平田竹男さんが霞ヶ関を辞められて、日本サッカー協会専務理事になられましたので、これからも二人三脚で頑張ります。「サッカーは世界の言葉」との理念のもと、対話外交を実践していきたいと思っています。

 国会が忙しい毎日でトレーニングをする時間もなかなか取れませんが、次の機会にこそ、華麗なゴールを決めたいと思っています!


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