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 ◆アジア外交


 私は、当選前から常々、21世紀こそはアジア外交だと申し上げてきました。その中でも、インド、中国、韓国については、特に当選直後から力を入れてきております。韓国については、ワールドカップもあり韓国のサッカー関係議員連盟のメンバー、特に、鄭夢準(チョンモンジュ)KAWOC会長らとの交流を深めてきました(6月27日のワールドカップのレセプションでも再びお会いしました)。また、インド、中国は、両国で人口約25億人ということで、特に、力を入れており、すでに両国併せて3回訪問しました。
 

◆しっかり残せた民主党外交の成果
 
 私は、以前から、ガンジーの行った運動とその根底にある思想について大変な関心と尊敬を抱いてきましたし、ガンジー以外にも、タゴール、アマルティア・センなど、私が感銘し傾倒している人物の多くがインド出身で、インドに大いに関心を持っていました。

 インドとの関係が深まることとなったきっかけは、9月11日の米国におけるテロ事件です。テロ直後には、インド・カシミール地方でも、地方政府機関への襲撃テロがありました。その直後に、カシミール州上院議長のダール氏がお忍びで来日され、私とも濃密な意見交換をさせていただきました。アルカイダによるテロが、ニューヨークのみならず、インド地区でも頻発しているという実態を認識し、問題意識を新たにいたしました。そして、それ以降は、インド、パキスタン、アフガン情勢について、インド大使館関係者と定期的に情報交換を行っております。昨年12月には、バジパイ首相が来日された際にも、平和創造やこれからの安全保障のあり方を考えるため、鳩山・パシパイ会談の実現に奔走いたしました。

 バジパイ首相が、インドに帰国された直後に、ニューデリー国会襲撃テロ事件が起こり、警護の方々が亡くなるという事件に発展しました。襲撃時には、国会内で全国会議員が仕事をしており、もし警護が破られていたなら、議事堂内で数多くの国会議員が機関銃によって打ちまくられるという、恐ろしい事態にも発展しかねなかったわけで、本当に緊迫した事件でした。

 わずか数日前にお会いしていた鳩山民主党としても、直ちに、お見舞いをさせていただくと共に、私は代表室次長として鳩山代表の訪アフガン・インドの準備を秘密裏に開始しました。

 まず、鳩山代表には、昨年末に9月11日の事件以降、日本の政治家としては初めてアフガンに入りカルザイ議長にもお会いし、東京での復興会議に議長ご本人が参加されることを強く要請いたしました。12月30日に帰国された鳩山代表には、旅のお疲れも癒えない1月9日に、今度は、インドに行っていただきました。そして、テロが多発するカシミール地方に、G8の党首クラスとしては初めての訪問を成し遂げました。

 インド政府に絶大なご協力をいただき、厳重警戒態勢の中、外務省からは止められながらの訪問となり、かなりのリスクを犯したのですが、フェルナンデス国防大臣にもご同行いただき、非常の成果の多い訪問となりました。

 折しも、その時期はインド・パキスタン問題が緊張激化している時期でしたので、1月冒頭にイギリスのブレア首相が、その直後、鳩山代表がインド入りする(1月12日には、羽田孜特別代表にパキスタン側からカシミールに入っていただきました)ことによって、中国首脳や米国首脳のインド・パキスタン訪問が相次ぎました(カシミール入りは鳩山代表のみ)。インド・パキスタン和平への先鞭をつけたということで、現地の新聞でも鳩山代表訪問は大きく報道され、さらに、この鳩山代表のカシミール訪問をきっかけとして、在ニューデリーの各国大使たちのカシミールへの訪問が相次ぎ、カシミール問題が各国から関心を集め、グローバルな課題として、位置づけられるようになりました。このことによって、鳩山代表は、インド首相から大変信頼を得ることとなりました。
 

◆平和創造に日本の果たすべき役割は大きい!

 私自身は、連休に菅幹事長と共に、ニューデリー、アグラ、チェンナイ、カルカッタなどに訪問してまいりました。今回の目的は、人民党総裁の招きに応じて、両派の国会議員とデリーで親睦を深めることと、日印50周年記念式典に出席することでしたが、インドの各地域をも視察し様々な実態を間近で見てまいりました。特に、アンダマン諸島を訪問したのは、日本の国会議員として我々の一行が初めてで、この地域の地政学上、交易上の重要性を再確認しました。

 この地域は、イギリス軍がインド政治犯を本土から移送し収監していた場所でもあり、日本軍も1942年から45年まで駐留していたところです。当時、インド民衆は、イギリスからの独立運動を戦っていた最中で、独立軍司令官のチャンドラ・ボースの招きに応じて駐留していた日本軍とインド独立軍とがイギリス軍相手に共闘していたという歴史があります。

 アンダマン諸島の北側に、ミャンマー領のココ諸島がありますが、実は、ここに中国軍の基地があるということで、中印安全保障上極めて重要なポイントです。また、この諸島は、中東からアジアに原油などを輸送する海路=いわゆるシーレーンのすぐ北に位置します。最近は、シーレーンでの海賊問題などが深刻化しています。さらに、将来的にはフリー・トレード・ゾーンについての構想もあり、この秋には、日本から6時間から7時間で行けるチャーター便が就航します。こうした大変多岐にわたる課題について、知事とも、かなり突っ込んだ議論をさせていただきました。

 6月には、インド・パキスタン問題が再び激化をいたしましたが、お正月と連休の代表・幹事長の相次ぐ訪問などにより、インド政府・人民党・コングレスと我が民主党とのパイプもすっかり太くなりました。私自身も、フェルナンデス国防相、パンディト首相特別顧問らと信頼関係ができました。

 ソフトパワーの時代といわれている21世紀には「対話促進による安全保障の実現」が重要な外交戦略になると思います。わが民主党の鳩山・羽田・菅の三氏が仲介役になって、両国間のコミュニケーション促進に寄与し、戦争突入という最悪の事態が今のところ回避できているという、この間の経験と実績は、「コミュニケーションによる平和創造」の可能性を日本が国内外に示すことができたという意味で大変有意義だったと思いますし、このことに携わった私にとっても大変いい勉強になりました。今後とも、「平和創造の世界のリーダーを目指す『対話と人道支援』を基軸に据えたコミュニケーション外交」をわが国に実現させていくために頑張っていきたいと思っております。

 さらに、安全保障上の観点から、インドが大変重要な場所であることは言うまでもありませんが、元々私が携わっていたIT分野での印日交流に力をいれていきたいと思っております。
 

◆今、一番ホットな国 中国とすずかん

 中国については、いろいろな想いを持っております。30年前、私がまだ8歳の頃テレビで見た周恩来氏のことを鮮明に覚えております。私にとって最も敬愛する歴史上の人物の1人は、周恩来総理だと思います。私が政治家になったのも周恩来氏の影響が大きいと思っています。

 私が初めて中国に訪れたのは1992年でした。当時、通産省からAPEC、華僑経済圏研究のためにオーストラリアのシドニー大学の特別研究員として派遣されており、シドニーから中国に出張しました。シドニー大学では、中国人の教授の下、中国共産党史の勉強もしておりました。ちょうど香港返還の直前で、?小平(トウ・ショウヘイ)氏が「一国二制度」という考え方を打ち出し、それを国際外交の中で展開するのを見て、中国の深い知恵に感心していました。それ以来、今までに八回ほど、北は大連から南は南寧まで訪中いたしました。昨年11月に北京、天津に行き、第9回日中経済会議に出席し、朱鎔基首相にもお会い致しました。

 また、この連休には上海で、上海国際問題研究所の主催する日中国交30周年記念シンポジウムに出席しまして、菅幹事長が基調講演、私はパネラーとして参加し、多くの中国知識人の方々と交流を行いました。パネリストには、周恩来氏の秘書・通訳をされた周さんという方もいらっしゃって非常に有意義な交流ができました。

 さて、この10年間の中国は、自動車産業などの分野で大変な成功を収めた上海を手本に、沿海部の各地域の工業化を成功させました。農産物など細かい貿易上の問題はありますが、基本的には日中の経済協力は非常にうまくいっていると思います。特に、垂直分業が大変成功しており、日中両国は切っても切れないサプライチェーン、生産体制の絆というものができあがっています。

 更に、90年代後半から新しいポイントとしてIT革命が進展し始め、中国は既に世界の情報化を進めるリーダーの一角を担っています。中国は、今、工業化と情報化の2つを同時に行っているという非常にユニークな経済発展を図っています。おそらく世界でも初めての挑戦だと思います。情報化の分野については、日中は、工業化のときの垂直分業ではなく、むしろ水平分業、それぞれ得意な分野を役割分担しながら協力してやっていくという、新しい形の経済協力体制を模索すべきだと考えています。

 WTO加盟後、日中の合作は、政治的なトラブルを横目に、経済分野においては、どんどん進んでいくと思います。また、中国はインドと並んで多くの人口を抱えているわけで、その一五億人が経済的に成長していくと、それに伴って、環境問題、都市問題、食糧問題、エネルギー問題がこれから30年間で相当深刻化します。もし、これらの問題に対する対応を誤ると、中国やインドなどの国内問題ではなく、地球全体、人類全体の存亡の危機に関わることは間違いありません。そこで、こうした問題の解決のためには、単に西洋近代科学のパラダイムだけでは解決できず、孟子や孔子を学んできた日中両国の賢人の知恵を出すことが大いに必要になると思います。

 私も、中学、高校などで学んだ中国の古典、故事成語が、今の私のよりどころとなっています。是非、これからの中国では、古典を若い世代にも広めて頂きたいと、お願いしてきました。

 これらの問題に関連して私が考えますのは、人間の教育が充分でない状況においては、人間の要求・欲望は限界がなくなります、まさに、不十分な教育の下で経済が単に発展した場合には人間の「欲」が社会を破壊する可能性があります。市場主義がそのまま進展していったときに生ずる問題を、我々はアジアの知恵を結集して、問題解決をしていかなければならないと思います。中国が社会主義経済体制を温存するのだとすれば、その点にこそその意味が残っているのかもしれないとも感じています。

 この秋にも、訪中して、30周年にちなんで日中のITの若者の交流を行うことを予定しております。これをきっかけに、日中合作をさらに進めて、日中の若者による混成チームが日中一緒に研究や事業を行っていくための機会を用意できればと考えております。
 

◆中印をはじめとするアジア外交がこれからの鍵!

 これからも引き続き、アジア外交、特にインド、中国、韓国を重点的にやっていこうと思っています。国会議員になって良かった思う最大の点は、大学や官庁にいたのでは絶対に会えなかったような要人でも、東京選出の上院議員となったスズカンとは、どんどん会っていただけるようになったということです。こうした要人と親しく交流を深めるたびに、皆さんに本当に絶大な応援をしていただいて国会議員になってよかったなと感じております。同時に、日本を代表してお会いしているわけですから、将来世代を中心とした他国のリーダーとのコミュニケーション、信頼関係をどんどん構築していきたいと思っております。

 もし、インド、中国のことで、お力になれることがあれば、是非、気軽に声を掛けていただければと思っております。また、インターネットで放送しているスズカンTVでも、「スズカン・チャイナ」という企画を、事務所に手伝いに来てくれている早稲田大学の留学生、黄(コウ)君と一緒に放送しております。また、是非、「スズカン・インド」についても今度やっていきたいと思っています。


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