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  ◆著作権法改正について


 今般、政府より著作権法の一部を改正する法律案が提出されました。今回の改正は、一言で申しますと、インターネットの普及によって音楽や放送の再配信が容易になっている状況に対し著作者の権利を守ろうという趣旨で、インターネットでの再配信に対してもしっかりと創作者保護のための権利設定を確実しよう、というものでありました。様々な違法コピー等が問題になっている昨今でありますから、民主党としても本改正案に賛成をすることと致しました。

 その質疑に民主党を代表して私が登壇したのですが、私はそうした枠を越えて、もっと大きな意味で著作権を論じようということで、遠山文部科学大臣らと議論を交わしました。著作者の権利も重要ですが、それよりももっと重要なことは、情報化社会のインパクトをしっかりと認識し、そしてスムーズに対応できる社会基盤を創ることにあります。以下が、今回の質疑を通じて繰り広げた私の主張です。

◆著作権には二面性とフェアユース
 
 著作権というものを考えるに当たって、まず著作権とはどういうものであるのか、ということを考えなければなりません。そのことに関してカリフォルニア大学バークレー校のパメラ・サミュエルソン教授は、著作権は大きく分けて二つに分類できると主張しております。

 一つは著作権とは商品であり、著作者の財産権を保護するための砦であるという考え方。もう一つは著作権とは著作者の個人的権利を超えた、より大きな社会目的・社会厚生を実現するための文化資産である、という考え方であります。荒っぽくいえば、我が国においては、著作者の個人的利益もさることながら、社会全体の利益の十分念頭において制度設計を行うべきだと思います。

 たとえば、米国著作権法などには「フェアユース」という考え方があります。これは著作物の作者が創作活動のインセンティブを失わないように彼らの正当な権利をきちっと保護すると同時に、併せてその著作物がどんどんと社会に流通して、誰もが公平に、安価で、平易に利用するという利用方法であります。

 情報化が進むということは、多くの情報がデジタル化された状態で保存・管理されるということです。デジタル化ということはコピーが容易になる、ということであります。そのことは、コピーが無断でなされる可能性が増えるともいえますが、裏を返せば、デジタル化によって情報流通も容易になっていくわけです。社会全体の公益から考えた場合、情報がより円滑に流通されるということは極めて重要なことです。

◆情報化社会に応じた著作権のあり方とは
 
 どの時代においても、著作物の創作者がその創意工夫と努力が確実に報われるような制度づくりを行うことは不可欠です。しかし、現在の我が国の著作権法制の問題は、著作物の創作者の権利保護を、単に複製権を独占的に権利者に付与するという方法にのみ基づいて行っていることです。

 しかし、私の考えでは、情報社会における著作権法制は、そうした次元にとどまるのではなく、フリーアクセスやオープンアーチテクチャーといった情報社会においては、創作者が十分に報われる一方で、円滑な情報流通も図られるという、双方に十分留意した権利設定のあり方を考案する必要があります。 情報社会革命とは、経済革命であり、政治革命であり、文化革命であり、全ての社会的な要素が関わっていく社会革命でもあります。情報社会革命の進展に伴って、経済至上主義から、人間同士のコミュニケーションをもっと大事にしていくというように、社会の価値観そのものも変わっていくわけであります。旧来の経済至上主義の発想では、情報とは単に産業活動の付加価値を上げていくための道具にすぎません。その考え方にたつ限り、一番大事なことは、創作者の経済的報酬が増えることです。しかし、経済的報酬もさることながら、情報創造活動そのものやコミュニケーション活動それ自体に価値があり、尊重されるべきものであるという発想に立った場合には、人々のコミュニケーション活動を充実するということを一番の目的として著作権法制も再考していかねばなりません。

◆次なるニ一世紀型社会を目指して

 多少込み入った話になってしまいましたが、今、二一世紀に入って世界全体が産業社会から情報社会へのちょうど過渡期にあると考えています。そういった社会変化の中で、色々な人々が双方向的にコミュニケーションを行い、時間・場所・言語などの制約を飛び越えて様々な活動を協力して行っていく、そのこと自体が素晴らしいのだと、そういうことに参画していく次世代を作っていかなければならないのだと、そうした社会を作っていくための原動力となることが、私の役目だと確信しています。もちろん、いろいろなことを根本から考え直し、検討し直していくことが必要です。大変な努力が必要なことは覚悟しています。

 100年以上も前に、ちょうど江戸の封建社会から明治の近代社会へと時代が変革していく時には、伊藤博文、西郷隆盛、大久保利通、山県有朋などの政治家が、一生懸命新たな社会作りのために力を注いでおりました。私はこの来るべき新たな時代に備えて、まさに政治家が、いや政治家であるからこそ、そういったイニシアチブをとって社会変革を進めていかなくてはならないと確信しております。


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