2004年06月01日
○鈴木 寛
民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。
両参考人の先生方(慶應義塾大学大学院教授金子郁容君及び東京大学大学院助教授勝野正章君)、ありがとうございました。
勝野参考人にお伺いをさせていただきたいと思いますが、恐らく勝野先生もあるいは金子先生も、いろんな学校の現場をごらんになり、あるいはそこにかかわっておられて、あるべき、何といいますか、子供を中心とした、そしてそれを取り囲む大人たちがどういう重層的な豊かなコミュニティー、学びのコミュニティーを作っていくか、そのイメージについてはそんなに違いがない、あるいは私もそのところについては、そういう手厚いといいますか、分厚い、かつ多様な学びのコミュニティーを作っていくんだというイメージについてはそんなに違いがないのかなというふうにお話を伺っておりました。
ただそこで、少し御質問させていただきたいわけでありますが、今回、我々は法律を作るあるいは改正をするということをやっているわけであります。それで、あるべき論の中で何を法定しなければいけない、あるいは制度化しなければいけないのか、何を現場あるいは当事者の裁量にゆだねなければいけないのかと。この辺りが正に制度設計に携わる我々としては非常に悩ましいわけであります。もちろん、制度というのは、必ず作用と副作用といいますか、ねらったものとそれに伴う副作用というのがある。それが制度論の常でありまして、そういう中で、そういう問題意識で御質問させていただきたいわけでありますが、教職員が学校運営の主体的な担い手であるというのは、これは常勤でありますから、教職員は、これはある意味で当然といいますか、そのことについては私は何ら反対をするわけではございません。
ただ、最近、少しガバナンスということについて議論の蓄積が深い企業経営論の世界の議論を参考にしますと、商法の大改正がありまして執行役員制度というのが入りました。これはどういうことで入ったかというと、従来は株主総会という正にステークホルダー、その会社組織のステークホルダーがすべて集まった総会があって、それによっていわゆる取締役会あるいは取締役あるいは代表取締役のビヘービアというのが制度上はきちっとチェックをされ、そしてその総意が反映されるという、フィクションといいますか、そういう下で会社組織というのは運営をなされてきました。
しかし、極めて複雑化、多様化する企業経営の中で、年一回の株主総会だけでは正にステークホルダーである株主の意向というものが十分に反映をされないと。そういう中で、取締役というものを執行取締役とそうでない社外取締役といいますか、株主総会の総意を日常にその代弁者として、正に執行部に対してチェックなり指導なりあるいは要望なり、そうしたステークホルダーの声を執行部に伝えていくと。そういう議論の中で、執行役員とそうでない取締役を分けて取締役会の位置付けというものを変えてくると。
そういう議論が十年ぐらいあって、その中で商法の改正が行われて、しかし、今なお従来型の会社制度に基づいて運営されている会社も非常に多いし、それから、新しい正に執行役員制度というものを取り入れて幾つかの新しい企業経営の取組がなされていると、こういうふうに私は理解しております。
学校運営といいますか、学校ガバナンスといいますか、ここについても正に今そういうステージに我々は立ちつつあるんだと思うんです。私も、開かれた学校づくりの考え方、冒頭に勝野先生が大前提とおっしゃった話、全く一〇〇%共有いたします。
じゃ、その上で、そのことを本当に実現あらしめる、今までも確かにPTAというものがありましたと。そして、重要なステークホルダーの一部である保護者ないしは子供の代弁者としてのPTAというものがありつつも、しかしそれが、もちろん十分に機能した時期もありました、あるいは十分に機能している学校も引き続きあると思います。しかし、どちらかというと、いろいろな変遷によって、いわゆる教育委員会あるいは更にその上に乗っかっている都道府県教育委員会、昔はそこに多くの教育長を出していた文部科学省と、こういう管理系といいますか、いわゆる行政系も、もちろん税金を出している納税者の代弁者として、これはステークホルダーの一つだと私は思いますけれども、その意向がバランスとして非常に強く利き過ぎていると。そういう反省の下に新しい学校はそれを生かしていこうと、こういう話だと思います。
そこで、教職員が運営の担い手であるという、これは私は当然だと思いますし、そうせざるを得ないと思いますが、しかし、ある意味で現場で学校の主体性あるいは学校の自主性というものがもう少し尊重された形での、学校運営ではなくて学校経営といいますか、学校づくりと言った方がいいと思いますが、経営という言葉にはいろんなものを含みますから。ですから、プロデュースとディレクションというのがあるわけですね。そういう意味での学校づくり、学校プロデュースという観点に立ったときにどういう組織といいますか、ボードを編成するかというのが恐らく今回の重要な議論なんだというふうに思います。
そこについて少しお伺いしたいということと、そのときに、所有者意識という言葉は私は余り適切ではない、先生がお使いになっているわけではないということはよく存じています、ほかの議論の中で所有者意識という言葉が挙がっているわけでありますが、むしろ当事者意識というふうにそのところを言い直した上で今後の議論を進めていきたいと思いますが、正に当事者意識と動機付けというのは表裏一体の関係にあります。
私は、あるべき組織論の中で、五反野もそうでありましたが、開かれた学校づくり協議会という極めて自由濶達に意見をできるフレームワークがあって、その総意あるいはPTAの総意、それを集約した場として学校理事会というのは構成されている。恐らく、あるべき論はこういうふうに二重三重のすごく手厚い丁寧な、私は熟議、熟論の公共権というものが形成されるということは大事だと思っていますけれども、そのときに、ですから先生がおっしゃっていることは全然反対はないんです。自由に意見を言える場が必要だと。これはおっしゃるとおりです。
しかし、それだけでいいのかなと。PTAもそうだったじゃないですかと。それから、今多く行われている開かれた学校づくり協議会、いろんなところでできるようになりました。それもかなりそういう意味では進んでいます。そこで足るのか。しかしその先に、この前も五反野に行って、PTAで今までは議論していただけだったと。しかし、そこでかなりの総意として学校にきちっと直してもらいたいと思ったときに、学校理事会に出て、この前は宿題の出し方の話と生活指導の話をそろえてほしいと。今まではPTAの中で完結していたわけですね。しかし、それが言えるようになったのは大変大きいと。ここは何らかの決定権限といいますか、要するに決議の中にコミットできると。そのことが、逆に言うと、今まで、最近の私は問題だと思っているのはPTAの体質です。極めて言いっ放し、無責任、学校押し付け型の議論というのが先行している。そこにある種PTA改革ということを行っていくのにも、自分たちの議論をした、その先には、まともな議論をしないと、逆に言うと、まともな議論をすれば学校は変わっていくんだと。先生いみじくもおっしゃったように、学校協議会とか三者協議会を作って地域が成長していくと同時に、保護者も成長していくという極めて重要な契機だと思うんです。
そういう意味で、私は、もう一歩、従来の自由濶達なPTAというフレームワークからもう一歩経営に近いところに私は踏み込むべきだというふうに思っているんですが、今の点についてコメントがございましたらお聞かせをいただきたいと思います。
○参考人(勝野正章君)
一つは、やはり委員の動機付けというふうに書かれたところだというふうに思います。
私は、先ほど申しましたように、人事や予算に関する正式なフォーマルな権限というふうなものが委員の動機付けというふうなものをそれほど左右しないのではないかというふうな考えを持っておりますけれども、そのことはまたコミュニティ・スクールのこれまでの研究実践校等々での経過といいますか、までも踏まえて少しまた議論をしなければいけないところかなというふうな思いもあります。
もう一つは、やはり教職員を学校運営の主体に位置付ける、そのときに単に主体として位置付けるというふうなことではなくてというふうなお話であったというふうに思うんですが、今回のこの法律案で一番やはり私、問題だというふうに思っているのは、教職員とそれから保護者、あるいは地域の住民が直接そこで意見を交わし合うというふうな場面がこの法律案を見る限りは出てこないことなんですね。本当はやはりそれがなければ、今、議員がおっしゃられたような熟議ということ、熟論というふうなこと、また公共性のある議論というふうなところに私は高まらないというふうに思っています。
これが、法律案を見る限りでは、結局そこでの経路、保護者や地域住民の意見が反映される経路というのは校長を通じてというふうな形になっております。学校運営協議会は校長に対して意見を述べる、あるいは人事に関しては教育委員会に対して意見を述べるというふうな形です。先ほど言いましたように、学校評議員制度についても申しましたように、場合によったら学校の中で校長という、いっても実際には背景といいますか、前提には市教職員会議での議論というふうなことがあってのことだと思いますので、その点は実際の運用というところも気を付けて見なければいけないかというふうに思いますけれども、やはり私、これ制度的に問題で、最初におっしゃられたように、どこを、何を制度として決めて何を学校の自由なり裁量に任せるかというふうな観点でいいますと、今回の法律案が学校長と学校運営協議会というふうな関係になっているというふうなこと、そのところには教職員が必要な委員としての規定がないというふうなこと、それが非常に大きな問題だというふうに思っています。
○鈴木 寛
もう一問、勝野参考人にお伺いをしますが、私はどちらかというと政策論の勉強をしてきた立場なんですけれども、今回の改正案を見ながら、また再びその悩みを、何といいますか、新たにしたということなんですが、三の(二)で校長が様々な基本方針を作成をする、こういう文言が問題だというふうなお話がありました。私も、実態論からすれば、これは「校長が」が主語ではなくて、「学校が」というふうにすべきだと私は思っています、恐らく金子先生もそういう御意見だと思いますが。
ただ、これが我が国の立法技術論上、いわゆるほとんどの権力行為というのはその組織の長を主語にするということになっていると思います。特に内閣法制局を通した法案というのは、恐らくそういう統一的な整理がされていて、これは文部省法令だけでの問題ではなくて、すべての霞が関から出てくる法令は、その組織がということを決めたいときに、しかし書き方としてはその組織の長がと、例えば文部科学省が何々をするという法律の書き方はないわけですね。すべて、当然、文部科学省の方々がいろいろ手分けをしていろんなことをしているわけでありますが、法律上出てくるのはすべて文部科学大臣がとなっているわけですね。
これは、日本の正に行政法の在り方に根差す根深い問題でありまして、しかしすべての国民の皆様方は行政法、特に我が国における行政法体系の立法技術論のところについての理解がある方は極めて少ないわけで、そうすると文言だけ見ますと、これは要するに学校の長である校長が、正に教職員を含んだ、あるいはもっと言えば私は生徒、保護者、要するに学校のステークホルダーすべてを含んだその代表者としての校長が基本方針を作成すると、こういう意味であるべき。恐らく中教審あるいは教育改革国民会議、多くの方々の意図はそういうことであるんですが、しかし、いざ法律に書こうとなると、校長がと書かざるを得ない。
そうしたときに、個人の校長を指しているのか、しかも校長というのは教職員の代表者、同輩の首席の校長なのか、それとも教職員を管理する立場の正に教育委員会の代行者としての校長なのかと。これも非常に、読み方によって非常に不明瞭になってくるという中で、ここは何とか知恵がないかなと思って悩んでいるわけでありますが、これは正に運用及びその他の規則等で少し法律的な縛りの少ないものの中で工夫をしていくしかないなと思っていますが、その点について、もう時間が過ぎたようでありますが、何かコメントございましたらちょうだいできればと思います。勝野先生。
○参考人(勝野正章君)
先ほど亀井議員さんの方から教育委員の改革の話もありましたけれども、実際に今、教育委員会制度の運用の仕方を見てみますと、すべての教育委員会がというわけではないかと思いますけれども、この規定は教育委員会、校長の非常に強いトップダウン式の教育課程編成、あるいは学校運営の方針の押し付けになる可能性が大いにある規定だというふうに私は思っております。
以上です。
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○鈴木 寛
民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。
今回の地方教育行政法の改正案でございますが、俗にコミュニティ・スクール法案というふうに言われております。
御承知の方も多いかと思いますが、実は私はこのコミュニティ・スクール構想の提唱者の一人でございますが、提唱者から申し上げますと、この法案をコミュニティ・スクール法案という言われ方をするのは少し違和感がございます。もちろん、私たちが元々提唱いたしましたコミュニティ・スクール構想を実現するために、その障害になっている地方教育行政制度の一部手直しをする、そのことが構想の半歩前に出るということに、プラスになるということまでも否定するつもりはありませんが、これイコール、コミュニティ・スクール法であるというのは、少し私としては違和感があるということを冒頭に申し上げたいというふうに思います。
それで、今やインターネットで検索をいたしますと、コミュニティ・スクールという言葉が五万件から七万件検索をされますから、使う人によってもうまちまちの文脈でまちまちに使われるわけですね。もちろん、いろんな方がいろんな文脈でお使いになったらいいと思います。そのことによって、この国の教育の在り方ということについての議論が深まるわけでありますから、そのことは大いに私は歓迎をしたいことだと思いますが。
そもそも私たちがどういう理念、考え方、あるいは試行錯誤、あるいは思考のいろいろな、いろいろ考え、現場を見、また現場を見て考え方をもう少し直し、そういうことをいまだに不断に続けているわけでありますが、そのことについて少し冒頭お話をさせていただいて、是非文部省には、あるいは委員の皆様方も含めてでありますけれども、もちろんこの法律改正の制度について関係者に周知徹底をしていただくというのは、これは当然でありますけれども、やっぱりそこに、裏側にある、あるいはその下敷きになった議論とか理念とか、ある意味で教育に正解はございません。みんな悩みながら、しかし一生懸命みんなやりながら考えているわけでありまして、そこの部分をやはり丁寧に現場にお伝えをいただいて、そしてまた現場にやっぱりいろんな知恵があって、我々も、机の上で考えていたというよりも、本当にいろんな現場へ行って、むしろ教えていただいたと。そのことをただ単に考え方にまとめたということでございますので、少しお話をさせていただきたいと思います。
コミュニティ・スクール構想という言葉自体は、これもまた歴史的に見ますと何十年かに一回リフレインされる概念であります。しかし、今回のコミュニティ・スクールという概念、構想は、私たちが二〇〇〇年の十二月に「コミュニティ・スクール構想」という本も出版をさせていただきましたし、教育改革国民会議の席でそういう文言が出てきたかと思います。
しかし、その下敷きは、大臣、「ボランタリー経済の誕生」という本をお読みになったことおありでしょうか。実は、コミュニティ・スクール構想の根っこはこの本が必読書でございまして、是非お読みいただきたいと思うのでありますが、元々一九九二年の七月に、午前中の参考人でありました金子郁容先生が「ボランティア」という岩波新書を書かれました。そこで、これからはボランティアという概念が社会問題を解決していく、あるいは社会を作っていくソーシャルプロデュースの極めて重要な要素であるということを指摘をされて、九二年当時はまあそうかいなという感じであったわけでありますが、九五年の阪神・淡路大震災で金子先生自身も、阪神、神戸、被災地に向かわれまして、正にそのボランティアということを学生とともに実践をされた。そこでボランティアという概念が一挙に広がったわけでありますが。
その一年前に、一九九四年の三月に、実はボランタリー・エコノミー研究会という研究会が、金子先生それから下河辺淳先生、それから編集工学研究所の松岡正剛先生、その一年後に私もそこに参画をさせていただくわけでありますが、そういう研究会ができました。その一つの研究成果が九八年の一月に、この本の中にも盛り込んであるわけでありますが。
まず私、冒頭申し上げたいことは、この「ボランタリー経済の誕生」の中でコミュニティーソリューションという概念をそこで打ち立てております。コミュニティ・スクールというのは正にコミュニティーソリューションという考え方を教育、学校の現場に当てはめていったときに、コミュニティーソリューションが学校版になるとコミュニティ・スクールと、こういうことになるわけでありまして、これを介護の現場に当てはめるとコミュニティーケアと、こういうことになるわけであります。
それで、そのときの一番の問題意識は、この中にも書いてありますが、政府の失敗といいますか、政府の限界、と同時に市場の限界あるいは市場の失敗、この二つの今まで近代国民国家を動かしてきた社会システムというものが、もちろん引き続き重要な要素を担っておりますが、しかし、それだけでは社会の問題は解決できないと。そして、昨今、その限界といいますか、矛盾といいますか、ほころびというものが、恐らく全世界を通じたこうした社会問題に取り組む、あるいは政策、政治に取り組む人たちの問題なんだろう、課題なんだろうと。そこで出てきたのがこのコミュニティーソリューションと、こういうことでございます。
したがって、私たちは、いわゆる文部省がはしの上げ下ろしまで世の中三万校を超える学校の現場に一々細々言うということ、正に官立学校と、こう称していたわけでありますが、これももう限界に来ているだろうと。文部省さんも正に九八年、九九年辺りから教育の地方分権、そのスピードについては議論はありますけれども、方向としては現場に、教育現場に、またどの現場に渡していくのかと、権限を委譲していくのかというところについてはいろんな議論はありますけれども、少なくともディセントラライゼーション、脱中央集権化ということの方向には行っているわけでありますね。
それと同時に、いわゆるレーガン・サッチャーリズム、何でもかんでも市場原理に任せればいいと。ともすると、コミュニティ・スクールがレーガン・サッチャーリズムの文脈で議論されることがあります。これは提唱者としては極めて不本意でありまして、我々は、政府の限界とともに市場の限界というのを同時に結び付けてこの考え方を出しているわけでありますから、これも多くの先生方、釈迦に説法でありますが、市場原理というのは情報の非対称性がなくて、不確実性がなくて、不確定性がないときに神の見えざる手によって適正な資源の配分と社会サービスの効用の最大化というのが図られる。しかし、教育については必ず非対称性がありますし、必ず不確実性がありますし、という中でそもそも市場原理というのはこれはワークをしないと。
しかし、じゃ、政府の今までの官立中央集権型でも駄目だと。それでどうしようかといって多くの方々が悩んでいるわけでありまして、その中で、正に強制力を持った国のような強制機関でヒエラルキー的に何かを決めていくということではなくて、正に当事者が、ステークホルダーが子供を中心としてコミュニティーを作って、人的ネットワークを深めて、そして子供たちの学びの支援のためのコミュニティーを作り、そしてその人たちが試行錯誤、悩みながら熟議、熟論、ドイツにハバーマスというこれ学者がいますけれども、この人たちが熟議の民主主義ということを言っています。正にフォーラムを作って、コミュニティーを作って、いろんな人がいろんな立場から知恵を持ち寄って、そして新しい知恵を見いだして、そして現場に問うて、そして現場からのフィードバックをこれを不断に繰り返すという中で何らかの、オールマイティーな解はありません、しかし、三万校についての絶対の解はないけれども、その学校についての正解、その子供についての正解、その学級についての正解というものは見いだせるのではないかということがこのコミュニティ・スクールの根っこにあるコミュニティーソリューションの考え方であります。
そして我々は同時に、教育というのはこれは正に社会サービスでありますから、サービスの質というものは何に依存するかということについてもいろんな議論をいたしました。サービスの質というのは、正にカスタマイズとタイミングであります。正にそれぞれの子供の状況、事情、TPOとオーダーメードというふうに言い換えてもいいかもしれませんが、それぞれのTPO、正にタイム、プレイス、オケージョンですね、そうしたものに対してきちっとオーダーメードをしていくんだと。ですから、詰め込みとか画一教育の反意語はゆとり教育ではなくて、私たちは、オーダーメードしていくんだ、TPOに応じて子供たちにそれぞれオーダーメードするんだということが、サービス、とりわけ社会サービスの極めて重要な一つであります教育サービスの質を上げることになるんだろうと。
昨今、学校選択制の議論も、私たちはそのオーダーメード化の途上にあるものにすぎない。もちろん重要な半歩でありますけれども、今までは、どんな子供でも同じデザインの同じサイズの制服を着せられていたと。そうすると、ある子にとってはだぶだぶだし、ある子にとってはつんつるてんだし、それからみんな真っ黒の制服だった。それが複数の既製服になって、それが選択できますよと。しかし、これは全くオン・ザ・ウエーでしかなくて、次にはイージーオーダーがあって、最後には生地も、そしてデザインもサイズもその子供、その子に合ったぴたっとしたオーダーメードのものができていく、ここまで早くどうやって行き着くかと。その行き着くプロセスがいろんな、それぞれの事情とそれぞれの議論によって今繰り広げられているんだと思います。
それで、オーダーメードの特徴というのは、正に作り手と使い手が常にコミュニケーションしているんだ、フィードバックされているんだと。仮縫いがあって、どうですかと、仮縫いが合わないところがあればそれをまた戻すと。そういう仮縫いを何回も何回もしながら、その子供にとってベストな教育というものは何かというのを判断をし実行をしフィードバックをしという、この学校ガバナンスを確立をしようというのがコミュニティ・スクール構想の我々の考えました基本的な理念であります。
そうした中で、正に東京大学の前教育学部長の佐伯先生なんかも学びの共同体ということを言っておりますが、子供たちを、午前中の勝野先生なんかもおっしゃっておられましたが、学びの共同体というものをどうやって作っていくのか、こういう話であったわけであります。
そういう意味で、是非大臣、今回の法案を、もちろんきちっと制度を御説明をしていただく、徹底をしていただくということについては重要でありますが、そういうやり取り、もちろん私たちの考え方が完璧だとは思いません、いろんな考え方はあろうかと思いますが、そういう根っこの中でコミュニティ・スクール構想というのが今回こうした形で、法律の手直しといいますか整備という形でなったんだということについては、私たちの主張を現場に下ろしてくれと言うつもりはありませんが、教育改革国民会議でも中央教育審議会でもいろんな、本当に深遠な、深い議論がありました。そういうことも含めて、是非この法律の運営といいますか実行に当たっていただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。
○国務大臣(河村建夫君)
鈴木先生が金子郁容先生とともにあのコミュニティ・スクールの本をお出しになったことは私も承知をいたしておりますし、また、金子郁容先生、今日は残念ながら私は御意見を直接聞く機会に恵まれませんでしたが、お目に掛かって、これからのコミュニティ・スクールの話も若干でありますがお聞かせをいただいて、今また鈴木先生のお話を聞きながら、これに肉付けをしていただきまして、私も大いに得るところがあったと、こう感じておるわけでございます。
正に今の現社会、日本に不足しているもの、いわゆる官の持つ、政府の持つ限界、それから市場の持つ限界、その中に何を入れていくかということ。一つはNPOが今入ってきつつある。これもまだ正に発展途上でありますが、これをしっかりやっていくことが、まあアメリカなんかも確かに市場経済は強いんだけれども、NPOも非常に強い力を持って発展してきている、これが補っているという点がございます。
〔委員長退席、理事後藤博子君着席〕
そういうことから考えますと、教育もやっぱりそういう視点で見ていくという考え方というのはこれから私も非常に大事だ、習熟度別教育なんというのも正にそのオーダーメード教育の一つのやり方だと思いますね。そういう個性教育といいますか、正にそれがそうだろうなと思いながら今お話を聞いておったわけでございます。
今回のこのコミュニティ・スクール構想、正に地域運営学校というもの、これはその担い手になる一つの手段だと、こう思っておりますが、先生がおっしゃるように、これがすべてでございませんし、正にそういうものにしていく第一段階。
その前段階として、実は学校評議員制度もあったわけですね。これはこれでそれなりの役割を果たしてきておると思いますが、これも県によっては、まるで全然ゼロという県がある、一〇〇%という県もある。しかし、これを一歩進めていけばこのコミュニティ・スクール構想に当たっていくんではないかと、こう思っておりまして、今回、この法案を通していただいて、そのことを、正にこのコミュニティ・スクールが持つ意味といいますか、それを今、鈴木先生からお話しいただきましたような観点に立って、十分な理解の上に立って、それぞれの地域でそれぞれの地域の教育、それを生かした、それぞれやっぱり教育には地域の特性というものがございますから、そういうものをそこで発揮していただいて、これまでの学校の在り方をある意味では大きく変えていくといいますか、そのような役割を果たしてもらいたいと、こう思っておりまして、今回のコミュニティ・スクール構想の実現によって、正に教育改革の一環といいますか、学校が変わる、教育が変わると、こういう言い方を、表現をしてまいりましたが、その一助になるのではないかと、こう思っておりまして、五反野小学校の例を見るまでもなく、この実験校を一つ作るだけでも周囲の、これは選択制の意義もあるわけでありますが、に大きな影響も与えているという情報をいただきながら、これからこの法案を通していただいて、それぞれの地域がこれに取り組んでいただければこの制度の推進が進んでいく。
その中で、各地域は恐らくかなり試行錯誤されるし、場合によっては失敗という例も出てくるかもしれません。そういうものを通してより良きコミュニティ・スクールができ上がっていくだろうと、このように期待をいたしておりまして、その辺について文部科学省は、おっしゃるように、一々はしの上げ下ろしを云々じゃなくて、地域の取組をしっかり支えると、こういう視点で研修等々を通じながらこのコミュニティ・スクールの持つ考え方、これの周知徹底を図ることがやっぱり我々の仕事だろうと、こう思いながらこのコミュニティ・スクールの構想を推進してまいりたいと、このように考えております。
○鈴木 寛
ありがとうございます。是非そういう方向で御努力をいただきたいと思います。
もう少しコミュニティーソリューションの話をさせていただきたいんですが、我々、この本の中でも言いましたことは、いわゆるコミュニティーソリューションというものが正に機能する前提というのがあります。それは何かといいますと、ソーシャルキャピタルと言っていますけれども、ソーシャルキャピタルの存在というものがないところに形ばかりのコミュニティーソリューションを入れてもこれは破綻をする、失敗をする。ですから、きちっとソーシャルキャピタルというものがあって初めてコミュニティーソリューションを導入するんだと、これはセットできちっと我々議論をいたしております。
ソーシャルキャピタルというのは正に、もちろん学校評議員制度いいんでありますが、我々も、学校評議員制度、一生懸命調べました。ソーシャルキャピタルというのは、要するに、正に人的ネットワークというものがやっぱりなきゃいかぬ。その人的ネットワークが、いろんな人脈とかいろんな知恵とかノウハウとかを活用して社会にある何かの問題をきちっと解決をしていくというソフトウエアが、多様なソフトウエアがその人的ネットワークに蓄積をされていると、これをソーシャルキャピタルと、こう言っているわけで、要するに、地域に何か問題があったときに信頼のきずなで結ばれたそういう人的つながりがあるかないかと。
大臣おっしゃるように、あるいは山本正和先生も時々おっしゃっていますけれども、いわゆる、例えば山口県なんかでも村とか町に行けば、別にわざわざあえて指定なんかしなくてもソーシャルキャピタルはありますし、そしてその上に基づいてコミュニティーソリューションによって運営されたコミュニティ・スクールになっているわけです。しかし、御存じのように、例えば山口県なんかでも山口市とか徳山市というのはニュータウンができていまして、今や地方の県であっても新興住宅地になってきている。それから、大都市圏周辺部というのは昔からそうしたニュータウンがある。あるいは更に言うと、五反野なんかでもそうですけれども、既存の勢力が三分の一で新興勢力が入ってきてというような、旧住民と新住民の融和がうまくいっていないと。
そういう意味で、ごく一部の地方を除いて、いろんな意味でソーシャルキャピタルが下がっているというのが今の日本の現状だというふうに思います。それから、地方においても高齢化とか少子化という観点で下がっている。
それで、凶悪犯罪というのは、少年の凶悪犯罪というのは、実は残念ながら山口県とか佐賀県とかでいろいろな問題がありましたから、別に大都市の問題ではないというのは、むしろコミュニティーの崩壊とかソーシャルキャピタルの喪失という問題が全国津々浦々で起こっていると、こういうことだと思います。
それで、正にそういうソーシャルキャピタルを、これは鶏と卵なんですよね。先ほど勝野先生もおっしゃっていましたが、何か地域でやろうと、昔はお祭りとかなんとかと、そういうものがあればソーシャルキャピタルはある。じゃ、ソーシャルキャピタルがないところにどうやって作るかといったときに、コミュニティ・スクールのようなものを作ろうという運動がソーシャルキャピタルを増やすことになり、またそういう運動を続けることによってコミュニティ・スクールが運営できると、こういうある意味での相乗効果と鶏と卵の構造にあって、その部分をこれからどのようにうまく草の根から起こしていくのかと、こういうことだと思います。
それで、そのソーシャルキャピタルができていく上で極めて重要なことは、自発的参加なんですよね、一番最初は。その次は、情報供出で関係変化で編集共有で意味創発と、こういうことを我々、論理的に段階論をいう。このことはどうでもいいんですけれども。
要するに、今回のいわゆる地方教育行政法の改正において、文言上、決定的に抜けている概念がやっぱりこの自発的参加ということだと思います。
法律の作り方は、私も多少政策の勉強をしておりますから、どうしても元の地方教育行政法自体が極めて権力行政的な、一九五六年に作ったフレームワークを微修正をしながら今までやってきたということもあって、その中での書きぶりというものに限定があるということは十分承知しております。
したがって、私は地教行法の改正ではなくて、やはりコミュニティ・スクール法という形でやるんだったらやるべきではないか、あるいは今後そういうことをまた模索していけばいい。その中で、部分的に地教行法との整合性というのを取るという立法論はあったかなという、そこはやっぱり反省をすべきではなかったかなというふうに思っておりますが、申し上げたいことは、正にこれからこのコミュニティ・スクール構想というものをきちっと実のある、実体のある、本当に、そして子供たちが抱えている、あるいは学校が抱えている問題を解決していくための制度といいますか、試みにしていかなきゃいけないと。その上で、このソーシャルキャピタルというものをどういうふうに作っていくかというのは極めて重要なことだというふうに思っております。
私は、コミュニティ・スクールを作っていくという上で、これはいきなりできません。もちろん、もうその既に段階、過去から一生懸命頑張っておられてそういうレディーの、準備万端の地域も幾つかあるかというふうに思っておりますけれども、この法律ができまして仮に通りましたならば来年から施行と、こういうことになるわけでありますが、まずどれぐらいの案件がいわゆるこの地教行法、新改正地教行法の指定を受けるというふうに考えておられるのか、お答えをいただきたいと思います。
○国務大臣(河村建夫君)
今、鈴木先生の御指摘のあったこの運営の在り方が正にボランタリーといいますか、自発的であるべきだということ、私もそう思います。
五反野に行ったときも、正にこれはあれがうまくいっているというのは、あそこにおられる代表者の皆さんの気持ちというのは非常にボランタリーな考え方であるなというふうに思いました。むしろ、ああいう方々に謝礼が出ている、これはボランタリーも、ボランティアも全部無料とは限りません。有料でやらなきゃいけないケースも今はありますから、むしろ不思議に思ったぐらいでありますけれども、そういう視点に立たなきゃなりませんので、今回この法律を通していただいて来年四月から施行することになっていくわけでありますが、これをどの程度、数値目標が必要かどうかという問題ですね。
私は、これ省内いろいろ協議もしておるんでありますが、現時点で幾つ作ろうというようなこういう数値目標を持たないで、前回の、例の実験校を作るときに全国にどうだろうと、こう投げ掛けたときに三十ほど手が挙がってきたというんですね。そのうちの九校を今回選んで三年間やって、一応それが三年間が来るわけでありますが、そういうことを考えますと、できれば私は、まずは声が上がってくるのを待たなきゃならぬ、こういう方向でやりますと。そのときに、地域的な偏在もないようにということも考えながら、まず各県には少なくとも一つずつぐらいは必要ではないかと、こう私は思っておりまして、まだこの目標をきちっと決定しておるわけではございませんが、そういうことで正に声が上がってくるのを受けてやっていく。
前回、三十、手が挙がってきて、二十一は一応外れたことになりますから、そういうところがもう一回挙がってくれば、これはそういう非常に意識の高いところだとみなしたりしながら、おっしゃったような自発的な参加というのを重視しながらこの指定校を作っていったらどうだろうかと。私は現時点でそのように思っておりまして、具体的な数値目標は持っておりません。
○鈴木 寛
私も、文部省が数値目標を持っていただきたくないと思いますので、私の質問は、どれぐらいありそうかなと、何といいますか、認識されておられますかという質問でございました。それから、文部省はこれからは余り、口はつぐんで目はかっと見開いて地域の動向をよく見ていただくという行政姿勢が望まれますので、目標は持っていただかなくて結構なんですが、どれぐらい可能性があるかなということを御質問させていただきました。
それで、少し具体的な運用の話をお伺いしたいと思いますが、この前も五反野小学校に参りました。まあ五反野は指定を受けたいと、こういう理事会の理事長さん、副理事長さんのお声でございましたが、そのときに心配をされているお話がありまして、教員の加配の問題であります。今は研究開発学校に指定されておりますから、そういう意味で三百万プラス加配が来ているわけで、教員の加配が来ているわけでありますけれども、これが引き続き大丈夫かどうかと。
それから、ある意味でコミュニティ・スクール構想をやろうと。これ、日本というのはそういうところあるんですけれども、何でもいいことに一生懸命頑張ってやろうと思うと、そのことをちょっと面白くなく思ったり、足引っ張ってやろうと思ったり、あるいはちょっと頑張り過ぎているところをぽこっとこう、出過ぎたくいは打たれると、こういうところもあって、ぶっちゃけた言葉で言いますと意地悪されるんじゃないかと。
こういう、しかし、まじめな心配がございまして、こうした正に教員の加配の問題について、せっかくこういう試みであります。引き続き、もちろん地教行法に基づく指定とはいえ、ある意味で日本の教育改革に果敢に取り組んでいただいて、いろんな試行錯誤をしていただいて、そして地域の方々も関係者の方々も大変な御努力をいただくわけですから、しばらくの間、やっぱりこうした支援というのは必要ではないかと思いますが、この点について答弁をいただきたいと思います。
○政府参考人(近藤信司君)
教職員定数につきましては、いわゆる義務標準法によって学級数を基礎として算定するもののほかに、今、先生御指摘になりましたように、例えば個に応じた指導を行う場合ですとか、教育上特別の配慮を必要とする場合などについて予算の範囲内で特例的に加算をする、いわゆる加配制度があるわけでございまして、御指摘の五反野小学校につきましては、新しいタイプの学校運営の在り方に関する実践研究校として、いわゆる教育指導の改善に関する特別な研究を行うための研修等定数の一環として国としても加配措置を講じておるわけでございます。
この実践研究は十四年度から三か年計画ということでございますから、平成十六年度、本年度が最終年度ということになるわけでございまして、普通でありますならば十七年度以降は国の加配というものがなくなるわけでございますけれども、これまでの実践研究における成果、課題、そしてそういった五反野小学校を始め、そういった幾つかの実践研究校で大変今回のこの新しい、学校運営協議会制度を始めとする新しい公立学校の管理運営の在り方について成果を上げていただいたわけでございます。
〔理事後藤博子君退席、委員長着席〕
来年の四月から学校運営協議会制度がスタートをすると。まだ私どもも中で検討しているわけでございますけれども、そういった学校運営協議会制度をどうやって推進をしていくのかと。その推進方策について、さらに、例えばこういった、もし五反野小学校が、あるいはほかの実践研究校でもよろしいわけですが、その地域の、その教育委員会の指定を受けてこの学校運営協議会制度を導入をするといったような場合に、これらの学校はもう既にいろんな成果もあるわけでありますから、そういう学校運営協議会制度の推進役といったようなことで何がしかの役割を果たしていただくと。そういったときに、加配というようなことも頭に入れながら、何ができるのか、またこれは少し研究をさせていただこうかと思っております。
○鈴木 寛
是非前向きに検討していただきたいと思います。
五反野はこの前も理事会の方々がやりたいといって、その隣に足立区の教育長さんが座っておられて、にこにこしておられましたから、恐らく問題なく指定をされるんだというふうに思っておりますけれども、一方で現在文部省のコミュニティ・スクール指定校として三年間頑張ってこられた、まだ二年半でありますが、新宮市の光洋中学校とか、ほかにもいろいろなこのコミュニティ・スクールというものをできればやってみたいと地域の住民の方々、保護者の方々は思っておられるという地域は幾つかございます。もちろん法律ができてきちっと教育委員会が検討してからと、こういう話になろうかと思いますが、仮にこの学校運営協議会の設置の学校指定、その教育委員会規則によって行われると、こういうことでございますけれども、仮に教育委員会がその指定に消極的な場合に、しかし住民、地域住民、保護者というのは是非これやってみたいという声が非常に強くなってくる。
例えば、地方自治法の精神にかんがみる。もちろん私は地教行法と地方自治法がきちっとしたすみ分けをしているということは制度論上、立法論上は私も知っておりますけれども、しかし考え方としては、我が国は住民の例えば五十分の一が発議した場合にはそれは相当重いものとして地方行政の中で反映をさせなければいけないという少なくとも精神に基づいて地方自治というのは行われているわけであります。そういうことも踏まえながら、実態としてはやはり地域住民の強い声があった場合には、少なくともこれはきちっと検討をすると、俎上にのせると、そしてその是非についてはやはりきちっと検討し、議論をし、行うべきだと、こういうふうに考えておりますが、この点はいかがでございましょうか。
○政府参考人(近藤信司君)
おっしゃるように、学校運営協議会は公立学校の管理運営に関する機関でありますから、例えば首長が学校を指定するとか、そういうことはできない法律上の仕組みになっているわけでございますが、先生おっしゃいますように、確かに学校運営協議会を設置するかどうかは教育委員会の判断でありますけれども、やはり今回のこの制度を設ける趣旨等からかんがみまして、やはり教育委員会は地域住民や保護者のニーズを十分に把握をし、的確に反映をして指定を行う必要があるんだと思っております。そういったニーズがあるにもかかわらず、やはりそういった指定をしていかないと、やはりそれには合理的な説明責任というものが教育委員会に求められていくんだろうと思っております。私どもはそういったことから施行通知あるいは教育委員会を対象とするいろんな会議等でも是非そういったことでの周知徹底に努めてまいりたいと思っております。
○鈴木 寛
是非地域のそうした方々の声というのは尊重し、そしてただ尊重するというだけではなくて、聴いて終わりということではなくて、きちっと地方行政の現場で、教育委員会の教育政策の現場でその指定の是非についてきちっと考えて重く受け止めるということはいろんな機会をとらまえて周知をいただきたいというふうに思っております。
このコミュニティ・スクール構想でございますが、私たちいろんな人たち、思想家の考え方ということも参考にしてまいって、こういう考え方を作り上げたわけでありますが、その中にイリイチという人がいまして、この人はコンビビアル・ラーニング・コミュニティーという概念を言っております。このこともコミュニティ・スクール構想の極めて重要な思想的な下敷きにあります。コンビビアルというのは、これはともに楽しむという意味になりますが、共愉的学習共同体というのが日本語の訳でありますが、正にコミュニティ・スクールの背景といいますか、根っこにはこのコンビビアルなラーニングコミュニティーが形成されるということがこれからのかぎになるというふうに思っております。
例えば百升計算で有名な、私の友人でもありますけれども、土堂小学校の陰山先生、この方は兵庫県の山奥のと言うと怒られてしまいますが、朝来町というところで大変に頑張っておられました。私も現地にも伺って、いろんなことがやっぱり現地に行ってみると分かります。もちろん陰山先生、立派でありますけれども、朝来町の教育長というのは本当に立派な人なんですね。もう感動するぐらい立派な人で、なるほどと。やはりあの教育長がいたから山口小学校でああいうことができて、そして陰山先生が頑張った。別に、これは陰山先生も言っておられますが、別に陰山先生だけが頑張ったわけじゃないと。あの山口小学校全部の先生が頑張ったと。そして、それを本当に支える懐の広い教育長さんがいらっしゃって、教育長さんは地域との問題も全部この教育長さんの人柄と人徳と、そして汗をかいて走り回って、そして昔は青年団にも入っておられたということでありますから、正にそういう意味ではこれコンビビアル・ラーニング・コミュニティーであり、正にソーシャルキャピタルがきちっとできているなと。その上に、百升計算だけが注目される、これ本当にマスコミいけないことだと思いますが、陰山先生が一番言っているのは、朝御飯を食べさせてくれということと、睡眠時間を増やしてくれということが彼の一番の主張でありまして、百升計算はその彼の体系のごく一部なわけでありますが。
それはさておきまして、私は、私なりのコミュニティ・スクールの作り方といいますか、コミュニティ・スクール構想の、要するに本来のといいますか、本旨に基づいた段階論としてこんなイメージを持っております。
すなわち、まず土曜日に、充実した土曜日を正に地域が一体となって、保護者も一緒になって、それから教員の方々も自分の勤めている学校ではなくて自分の住んでいる学校に行って、そして地域の公共の施設、もちろん学校も含みますけれども、そうしたやっぱり土曜日を体験学習とかあるいはスポーツとか、例えば静岡県、これは清水市から始まりましたけれども、静岡県においては土曜日はスポーツ少年団でサッカーって物すごい盛んですよね。ワールドカップの選手の、例えばフランス・ワールドカップの二十二名のうち十一人が静岡県出身であります。そういうことから分かるように、正に静岡県というのは土曜日、日曜日はサッカーを通じて正に子供中心に、そこに保護者あるいはOB、OG、地域の方々が本当にコンビビアルなラーニングコミュニティー、共愉的な学習共同体を作っているわけであります。こうしたことが、例えば非行の防止とか青少年の健全育成に極めて有効な、働いています。別にこれはサッカー以外、でなくても、いろんな要素はあろうかと思います。最近はキャンプ一緒にやるとか、いろんなことがあろうかと思いますが、正にこういった土曜日、私も土曜学校運動ということを今推進していろんなところに働き掛けをさせていただいているわけでありますが、この土曜日を充実をさせて将来コミュニティ・スクールの受皿になるような地域を作っていくということに対して、これ文部省がまた、指導することではないんでありますけれども、支援すべきことだと思いますので、この点はどういうことになっているのか、お答えをいただきたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君)
先ほどから先生の方からソーシャルキャピタルのお話が随分出ておりますけれども、私どももやはりその地域において地縁的な人間関係あるいはボランタリーな人間関係を中心として地域づくりを進めていくということは教育において大変大事なことだと思っているわけでございます。
特に、学校週五日制が実施をされるに伴いまして、土曜日、さらには日曜日の子供たちの過ごし方ということについて、これまで以上にいろいろな体験活動、スポーツ活動の機会を醸成をしていくということが今求められているというふうに思っているわけでございます。もちろん全国、地域地域でいろんな事情ございますし、地域の成り立ち、あるいは現状も違うわけでございますので、一概には言えないわけでございますけれども、私ども、今いろいろな自主的な取組が各地で行われているというふうに思っております。文部科学省はそういう活動を支援をしたり、あるいはこれはなかなかいいケースじゃないかということでモデル的な事例を特に応援をしたり、いろいろな観点から土曜日のスポーツや体験活動の推進を図っているところでございます。
具体的には、全国子どもプランというものと、平成十四年度からそれを新子どもプランというふうに名称を変えまして、関係省庁や地域の関係機関、ボランティアの方々の協力の下に様々な事業を実施をし、応援をしているところでございます。
具体的にちょっと申し上げますと、一つは地域教育力・体験活動推進協議会というものを全国各地に設置をしていただく、そういうことの応援をいたしておりまして、そこが地域の土曜日を中心とした様々な体験活動の推進役になると。それからまた、そういう活動の情報提供をする体験活動ボランティア活動支援センターというもの、これはそれぞれ地域によって名称は御自由でございますけれども、そういう趣旨のセンターの設置の応援をいたしております。現在、それぞれ千か所を超えるこういう協議会、センターができております。
また、具体的な活動の場の整備ということで、子供から高齢者までのだれもがスポーツを楽しむことができる総合型の地域スポーツクラブ、この計画的な全国展開を図っております。現在、総合型の地域スポーツクラブは八百クラブを超えている状況にございます。このほか、土曜日に学校で行われるスポーツ文化活動等の指導員を配置する経費の地方交付税の措置も講じているところでございます。さらに、十六年度からは、スポーツや文化活動など多彩な活動を地域で大人の方々の協力を得て実施をする、子どもの居場所づくりプランというものに基づく地域子ども教室推進事業を実施をいたしておりまして、これも土曜日の活動ということが出てくるだろうと思っております。
こういったようなことで、私ども、地域の方々の協力を得て土曜日のこれらの事業を推進をし、地域の活動の充実に努めていきたいと、こう思っております。
○鈴木 寛
ありがとうございます。私も、様々な活動に着手をしていただいているということについては敬意を表したいと思いますが、そのときに、こうした土曜日の充実というのは何のためにやっているのかということをやっぱりきちっと確認をしながらやっていただきたいなと思います。
私は、もう何度も申し上げていますが、やっぱりこういう地域コミュニティー、さらに今のコミュニティーという考え方には、そういうローカルな地域コミュニティーと、いわゆるテーマコミュニティーと我々言っていますが、例えばサッカーでありますとか、スポーツでありますとか、正にそういうテーマ性を持ったものとローカル性を持ったものが合体をいたしますと非常にいろんな意味でいい活動になります。
それで、実は今スポーツクラブのお話がありましたが、私は、ラグビー前監督の平尾誠二さんが理事長で私が副理事長で、スポーツ・コミュニティー・インテリジェンス機構というNPOを、これ、議員になる前からずっとやっております。これは正に兵庫県神戸市で行政とうまく連携しながら、正にワールドクラスの人たちがインストラクター養成もやりながら、特に最近中学校におけるクラブ活動というのはなかなか学校教育だけでは難しいと、そういうコンセプトでやっておりますが、やはり施設とかそういうものというのは行政でやっていただきたいというふうに思いますけれども、それからクラブハウスの設置とか、そういうところでは大変感謝をしていますが、何にお金を付けて何はボランティアとかNPOとかに任せるのかと、この方針を、先ほども体験センターのお話がありましたが、またこれせっかくやっても箱ばっかりで、もちろん必要な箱もあります。しかし、箱を作ってそれでやりましたと、こういうことにならないように是非お願いをしたいと思いますが、そこに必ずコミュニティーと行政が、正にプライベート、パブリック、パートナーシップでコラボレーションするんだということについてよく認識をしてやっていただければ有り難いなというふうに思います。
そこで、そうやって土曜日で地域にある程度のネットワークができた、学校を支えてくれる受皿ができた、私はその次の段階は総合学習だと思うんですね。今までは土曜日でそれなりのいろんなネットワークができて、いよいよ月曜日から金曜に行われている総合学習、ここに地域の力を活用すると非常にいい充実した授業ができるということで、地域の方々を、御協力を仰いでいるというケースが大分増えてきているかというふうに思います。これは大変にすばらしいことだと私は思っております。
余談ですが、よく学校、地域、社会ということが教育の非常に重要な主体だと言われておりますけれども、私はもう一つやっぱり世の中というのは重要だと思うんですね。
と申しますのも、よく言われておりますけれども、小学生が学校に通っている時間は年間七百時間、テレビを見ている時間はもっとであります。もちろん学力については教員というものが一番そのプロフェッショナルであるわけでありますが、子供の起きている時間の学校に行っている時間というのは一割強なわけですよね。それ以外はテレビを見たり、いろんな世の中とのかかわり、しかもそういう意味で地域のかかわりが重要だということは、正に子供たちの生活の大半は家庭と地域で行われているわけでありますから、家庭の代表と地域の代表、あるいは地域での子供の様子というものを、生活面の指導からはやはりそうした方々が教育の現場に携わってくるということは重要だと思いますが、もう一つ、やはり今の子供たちの人格形成に明らかにメディアというものは大きな影響を与えていることは間違いありません。
そういう意味で、メディアリテラシーといいますか、情報の接し方といいますか、扱い方といいますか、テレビで新聞で報ぜられていることをうのみにするのではなくて、それをどういうふうに精査し、そして自分たちの生活、自分たちのリアリティーある生活の中に落とし込んでいくのか、解釈をしていくのか。こういういろんな課題、そういう観点の中で、総合学習の中では情報とか環境とか福祉とか、そういうことが学習指導要領の中で位置付けられている。そういうことで、今のことはメディアを例を取りましたが、環境についても福祉についても恐らく同じことがずうっと言えるんだと思います。
そこで、是非地域の方々、あるいはそうしたテーマコミュニティーの方も含めて、そうした充実した総合学習というものを実現していく上で、今の考え方というものを更に推し進めてコミュニティ・スクールの受皿作りを目指していただきたいと思いますが、この点についての文部省の考え方をお聞かせいただきたいと思います。
○政府参考人(近藤信司君)
総合的な学習の時間を今回の指導要領で新たに設けたのは、今、先生が御指摘のあったような点も含めて考えたわけでございます。
特に、総合的な学習の時間で国際理解、情報、環境、福祉、健康と、そういったものを各学校のまさしく裁量でいろんな形でやっていただこうと。総合的な学習の時間についても、これを制度として導入するときに、もっと国が明確に例えば活動の例、はっきりさせるべきではないかとか、いろんな議論もあったわけでございますけれども、私ども、これは地域や学校、子供たちの実態を踏まえて創意工夫を生かした学習活動を実施をしてほしいと。特に、今、先ほども申し上げました社会体験あるいは自然体験、ボランティア体験、いろんな体験、あるいは問題解決的な学習を積極的にこの時間の中で取り入れていただきたいと。そのためにはやっぱり地域の人々の協力、地域の教材、学習環境を積極的に活用していくと、これが総合的な学習の時間の一つの大きなねらいであったわけでございます。
この時間が本当にうまくいくかどうかと。もちろん教員の指導計画、指導力にも掛かっているわけでありますけれども、やはりこの時間の性格からいたしますと、地域の人々の協力、地域の人材をどうやって学校が活用していくかと、これが大変重要なことであろうと考えておるわけでございますし、そういったことはこれまでもお願いをしてきたわけでございますし、また私どもは、この総合的な学習の時間だけではなくて、やはり学校の教育活動に幅広く地域の人々の参加をいただくと、こういうことが大事だろうと思っておりまして、特別非常勤講師制度というような制度も設けて、例えばこれは平成十四年度には合計一万七千六百五十件、そのうち総合的な学習の時間で約二千八百件の特別非常勤講師の活用が図られていると、このように承知もいたしておりますし、また今私どもは、学校いきいきプランというようなネーミングで外部の人材を学校に導入をしていこうと。その中には、今申し上げました特別非常勤講師制度というものもあるわけでございますし、あるいは緊急地域雇用創出特別交付金、こういったものを活用して、外部の方々に教員の補助者としていろんな教科、総合的な学習の時間あるいは読書活動におけるそういう活用を図っていくと、いろんな事例もあるわけでございます。
いずれにいたしましても、そういった外部の方々の人材の活用と、これはこの今回の法案のねらいにも合致もするものでございますから、更に私ども、教育委員会等を通じてこういった外部人材の活用には努力をしてまいりたいと考えております。
○鈴木 寛
私も、特別非常勤講師制度、いろんな現場で頑張っておられる方々のお話を聞いたり、実際に授業を見に行ったりしたことが何度もございます。
これもさっきの学校評議員制度と同じなんですが、文部省さんは、何というんですか、一本釣りでやるところまでは来たんですね。次は、是非御提案を申し上げたい、あるいは御検討をいただきたいのは、あるやっぱりグループあるいはコミュニティーと学校が協力をする、あるいは教育委員会が協力すると、こういう段階を模索するべきではないか、あるいはそこに挑戦をすべきでないかというのが私の主張でございます。
それで、と申しますのも、やっぱり一本釣りした場合は、当たり外れと言ったらおかしいんですけれども、いろいろあります。うまくいく場合も極めて多いと思いますが、そうでない場合もある。あるいは、逆に言うと、そのことにリスクを感じてなかなかそこに踏み込めないと、こういうことがあるわけでありますが。
私は、いろいろな教育の、学校の現場を見ていますと、相対的に問題を抱えているのはやっぱり私はPTAだと思うんですね、相対的には。しかし、そのPTAをより、何といいますか、カルティベートといいますか、健全にしていくためには、やっぱりまず現場を一杯見せるということですよね。それから、それでもって、じゃ、この子たちのこの学級の、この学校の問題をどういうふうにしますかということについてやっぱり真剣に時間を掛けて議論していただくということだと思うんです。
それがないと、結局、メディア過多でありますから、保護者の方々もいわゆる新聞、テレビ、雑誌などからの情報で頭でっかちになっていると。そして、すべての学校はああいうもんだと思い、自分の子供が通っている学校もああだと思ってしまうわけですね。そして、先生の顔を見たら条件反射的に何か文句を言ってしまうと。こういう事態をどうやって乗り越えていくかといったときに、私は、やはり例えばそういう方々に一回でも学校の教壇に立っていただいたら、そのお父さん、お母さんは二度と学校の先生の文句を言いません。いかに教壇に立つ、そして三十人から四十人の子供たちの視線を浴びて、しかも、特に小学生のあの混乱の中で、四十分間、五十分間授業を終えるということがいかに大変でいかにエネルギーが掛かることかということを肌身で実感するからです。そこから初めて、本当に学校の教員というのは大変だなと、毎日いろんなことがあるなということを分かって、今までが批判者だったのが正に協力者に変わっていくということ。
それから、もちろんすべての人たちにそういう経験はできませんけれども、正にグループとして関与をしていけば、正に同じ立場にある保護者同士あるいは同じ立場にある地域の人同士の、正に熟議が繰り広げられる中で、先生の批判を受け売り的におっしゃっている方がいたときに、いやそうは言ってもねと、この前僕は教壇に立ってきたけれども、やっぱり大変だったと、準備するのに二時間も三時間も掛かったと、こういう話がなって、なるほどなと目を開いて、そしていろんなことを積み重ねていくということを各学校現場でやっぱり私は不断にやっていくんだというふうに思います。
そういう意味で、何でもかんでも学校が抱えよう、何でもかんでも教育委員会が抱えようということではなくて、市民相互の、あるいは保護者相互の、何といいますか、自浄作用といいますか、それが正にコミュニティーの持っている力だと思うんです。ですから、是非、次の施策というのはそうしたコミュニティーを育てるんだと、正に学校の最大の応援団ですから。それが敵対的関係、最近余り敵対的関係はなくなっていると思いますけれども、それを更に最大の強固な応援団にしていくために、是非今の制度を活用していただきたいなと、更に深化させていただきたいなということをお願いを申し上げたいと思います。
それで、やっぱり今回の地方教育行政法の改正案をいろんな方々と一緒に、衆参も含めて議論をしてまいりました。私、改めて思いますのは、やはり地方教育行政法というものの部分的な手直しということではもういかんともし難い状況に来ているのではないかなという感じを率直に持ちました。
例えば、今これはどうしても、日本の教育というのは、教育というのはこれ、権力行為という法的構成になっているわけですね。そうしますと、行政行為でありますから、例えば、その処分権限者の教育長とか首長とか、あるいは学校の話でも、学校がと書かなきゃいけないところを校長がと書かざるを得ないのは、これは要するに権力行為、処分行為であるからこう書かざるを得ないわけです。しかし、学校の実態は、教育をそうした権力行為ととらえている以上、私は進展はないと思います。
更に申し上げると、今回もこれ、今までのフレームワークの中で考えればこういう条文にならざるを得ないのは百も承知ですが、いまだに学校管理規則の改定と、学校管理規則で規定するとし、しかし、教育委員会の仕事は管理ではもうないはずなんですね。教育委員会の仕事は支援だと思うんです、学校に対する。したがって、学校支援計画とかというふうに私はやっぱり改めるべきだ、例えば、言葉一つ取ってみても。しかし、言葉というのは大事でありまして、しかし、今までは学校管理、要するに管理の体系として地方教育行政法というのは全部できている。人事もそういうことです。
だから、やっぱり、この三月からそうしたことも含めて、河村文部大臣の御達見で、教育委員会制度あるいは地方教育行政法全体の体系を見直そうと、こういうお話なんだということで大変期待をいたしておりますけれども、正に、その地教行法、一九五六年以来の抜本改正というものが私は必要だというふうに考えておりますが、まず、中教審、今どういう議論が行われているのか、御紹介いただきたいと思います。
○副大臣(小野晋也君)
教育委員会の問題につきましては、鈴木委員が御指摘になられましたとおり、「地方分権時代における教育委員会の在り方について」というタイトルで本年三月四日、中教審総会においての諮問を出したところでございます。現在、教育制度分科会の下に新たに地方教育行政部会が設置をされて、その場で審議がなされております。
そのテーマとして御検討いただくことにしております点は、例えば主に、一つは教育委員会制度の意義と役割、今先ほど御指摘いただいた様々な問題があろうかと思います。
そして二点目に、首長と教育委員会との役割分担や連携の強化、これをいかになすかという問題であります。
それから三点目に、小規模市町村の教育委員会を広域化するというような問題の検討、さらに、市町村と都道府県との教育委員会相互の関係の在り方がいかにあるべきかという問題もございます。
四点目には、学校の自主性、自律性を高めるための学校と教育委員会との関係の在り方、これは先ほど御指摘いただいた点に関連する問題だろうと思いますが。
このような基本的な問題についてただいま御検討をいただいているところでございまして、各事項ごとに、関係者のヒアリングや委員からの意見発表を交えながら、教育委員会制度の現状と課題について論点整理に向けての御議論が進んでいると、こういう状況でございます。
見通しでございますが、この中教審に対しましては、一年を目途に結論を出すようにお願いをしているところでありまして、来年の早々には何らかの取りまとめをいただけるものと考えている状況でございます。
○鈴木 寛
私はやはり、文部科学省があって、都道府県教育委員会があって、市町村教育委員会がある、この三層構造ということをやはりもう一回きちっと抜本的に見直すべき時期にあると思います。文部省は、確かに地方分権をいたしました。しかし、その分権の先がどこであるべきなのかということをやっぱりもう一回きちっと議論しなきゃいかぬ。
私は、学校及びその学校を支援する地元の教育委員会に財源と権限と人間というものを手厚く充当すると、そして財源の部分については国がきちっと責任を持つと、あるいは人間確保の部分についてはですね。
しかし、そこで起こる問題については、きちっとその学校で学ぶそれぞれの子供たちの顔が見えていて、この子が鈴木だと、この子が河村君だということが分かっている大人がその日の顔色を見て、声を掛け、励ましたりしかったり、そういうふうにしながら正にオーダーメード、カスタマイズということを申し上げましたが、それをやっていくと。で、学校が多くのことを決められるんだけれども、しかし学校だけでは無理なこともありますから、それを現場の市町村の教育委員会が支援をすると、こういうことが私は望ましいんだろうというふうに思っております。そういう中で、都道府県教育委員会というのはこれからどうしたらいいのかということについては、特に真剣に御議論をいただきたいというふうに思います。
それと、そもそもこの三層構造を見直すべきだと申し上げていますのは、私は先ほど山口小学校のことを申し上げましたけれども、朝来町というのはこれ小学校二校しかないんですよね。だから、教育長が二つの小学校のすべての先生の顔まで分かっています。下手したら学校の生徒の顔まで教育長が分かっているんですよ。そうすると、何か問題が起こったときに、だれそれ先生のだれそれ教室でこういうことが起こりましたと。そうすると、担任が直接教育長に話す、場合によればですね、こともできるし、あるいは当然学校長と教育長なんていうのはもう毎日のように会っている。しかし、一方で横浜市、これは三百を超える学校があります。教育長とあるいは教育委員会の担当主事、担当者と学校長が年に一回会えればいいと。これでどうやって各現場でいろいろ毎日起こっている大変な問題を臨機応変にかつ即断即決で対応できるかと。
今、私立と公立が、なぜ私立に行ってしまうのかという原因はそこにあるわけですね。少なくとも、保護者、子供からすれば、私立の場合は校長先生に言えばそこで何か物が決まるんです。そして次の日から何か実行されるんです。もちろんすべて正解はありませんが、文句があれば次の日また文句を言って次の日直ると、こういうことが毎日のように行われることが予想されるわけですね、私立の場合。しかし公立の場合は、例えば横浜市に行ってしまったら、別に横浜市が悪いと言っているわけじゃないんですが、果たしてこの問題が、学校長に権限はない、学校で決められない、教育委員会に相談しなきゃいけませんと。しかし、教育委員会に相談できるのが三か月待たなきゃいけないと。そうこうするうちに、うちの子供は卒業してしまいましたと。こういうことにやはり私は問題があるんであって、いわゆる教育委員会と学校の適正サイズ、その権限の配分ということについてはこれは早急に議論を私はすべきだと思います。
例えば、私は選挙区は東京でございますが、東京都の教育委員会は、小学生だけ見ましても五十三万六千二百五十四人の小学生を、要するに面倒を見、そして先生の数だけでですよ、小学校の、二万七千九百五十九人なんですよ。一方、鳥取県は、東京都は先生の数は二万七千九百五十九人です。一方、鳥取県は生徒の数が三万五千五百四十人なんです。さらに申し上げますと、江戸川区というところがあります。江戸川区教育委員会が面倒を見ている小学生の数が三万五千五百二十九人です。鳥取県の県教委と江戸川区の区教委が面倒を見ている小学生の数がほとんど同じだと。にもかかわらず、法律は、鳥取県は県教委、江戸川区は区教委、市教委以下の権限しか持たされていないということが現状でありまして、これはどう考えても破綻をしているんではないか。
そうすると、ただ一方で、二千人とか三千人の村や町の教育委員会が人事の、要するに教員の採用の問題、あるいはローテーション、人事異動の問題で余りにも少な過ぎるサイズでありまして、人材の確保と適正な、正に教員としてのキャリアというものの積み方がうまくいかない、ということができない。あるいは学校の方からいいますと、やっぱり老若男女、それから科目別にもバランスの取れたベストチームを組むという上で、やっぱり二千人、三千人でやれないということもよく分かります。
そういう中で、そういった教育行政あるいはより質の高い教育サービスを行う学校現場というものを支えていく教育委員会、あるいはそのユニットサイズというものについて早急に人事権の取扱いも含めて検討をすべきだというふうに思います。そして、そのやっぱり調査もやっぱりやっていただいて、どういうところにボトルネックがあるのか、どういうところがうまくいっているのかいっていないのかといったことについては是非この中教審の議論で御議論を深めていただいて、私たちにも早く教えていただきたいというふうに思います。
我々民主党は、別途、地方教育行政法の抜本見直しについての検討も始めておりますけれども、是非その点について早急に御検討を、御調査をいただきたいと思いますが、いかがでございますか。
○政府参考人(近藤信司君)
御指摘のように、市町村、これは住民に最も身近な基礎的な自治体として小学校、中学校の設置運営を行う一方、都道府県が広域自治体として義務教育諸学校の教職員の任命や給与負担などの事務を掌理をしているわけでございまして、なかなか適正規模と申しましょうか、なかなか難しい問題があろうかと思っております。我が国の地方自治制度全般における都道府県と市町村の地方公共団体としての位置付けに基づいていると。したがいまして、一概に人口規模だけで権限関係を論じるということは、これは教育行政のみならずあるわけでございますから、難しい課題だろうと思っております。
いずれにいたしましても、教職員の人事における都道府県と市町村との関係でありますとか、小規模市町村の教育委員会の課題等も指摘をされているわけでございますので、中央教育審議会でも都道府県と市町村との関係、役割分担、あるいは市町村教育委員会の在り方、これは人事も含めてでございますけれども、今回の大きな議論の一つのテーマだと思っておりますので、私どもももちろん参画しながらしっかりとこの問題は今後議論してまいりたいと思っております。
○鈴木 寛
今回の改正案で大きな一石がいずれにしても投ぜられたんだと思います。恐らく多くの波紋も混乱もあるんだと思いますが、しかし、その混乱に対してやっぱり関係者すべてがいろいろの立場で知恵を絞り、汗をかき、頑張っていく。そして、今回は極めて多くの重要な事柄が学校管理規則にゆだねられていると。これいろんな意味で注目をしていかなければいけないです。何を法律で決めなければいけないのか、何を地域に、現場に任せなければいけないのか、そのあんばいといいますか、考え方もこれが本当にいいのかどうか心配をすれば切りがありません。
しかし、今回は地域、現場を信用して、任せてみようと。そういうある意味で文部省に珍しく清水の舞台から飛び降りたというところもあって、そして恐らくいろんな形で、教育というのは法律だけでできるわけでありませんから、むしろそうした正に現場の力といいますか、そこにいろんな学校管理、運営、経営、正にスクールプロデュースの様々なノウハウ、あるいは人的な支援、相談の体制、いろんなことが、官も頑張っていただかなきゃいけないけれども、学界それから教員の仲間たちからの支援ということもこれいろんな人たちがこれを、取りあえずどういうことになるのか、子供たちのために頑張ってみようと、その一石が投じられたんだと思います。
で、ここから、本当に戦後の義務教育体制というものを抜本的にここから見直して、そして何を国でやり、何を現場に任せ、そしてその財源はどうするのか、その権限はどうするのか、人事はどうするのかといった本当に本格的な義務教育改革がこの法案の議論から正に始まっていくんだなということを痛感をしております。是非、極めて重要な時期に河村文部科学大臣始め当たっておりますので、私たちも一生懸命頑張っていきたいと思いますが、御奮闘を祈念申し上げまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
○委員長(北岡秀二君)
他に御意見もないようですから、討論は終局したものと認めます。
これより採決に入ります。
地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案に賛成の方の挙手を願います。
〔賛成者挙手〕
○委員長(北岡秀二君)
多数と認めます。よって、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。
この際、鈴木寛君から発言を求められておりますので、これを許します。鈴木寛君。
○鈴木 寛
私は、ただいま可決されました地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案に対し、自由民主党、民主党・新緑風会、公明党及び無所属の会の各派共同提案による附帯決議案を提出いたします。
案文を朗読いたします。
地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)
政府及び関係者は、本法の施行に当たり、次の事項について特段の配慮をすべきである。
一、学校運営協議会が円滑に導入されるよう、制度の意義について、全国的な周知徹底に努めること。その際には、保護者や地域住民等に対し、PTA、学校評議員制度との相違点やそれぞれの役割等について十分な説明を行い、理解を得るよう努めること。
二、学校運営協議会を置く学校を指定するに当たっては、学校や地域の実情を踏まえ、公平・適切に行うこと。特に、学校が地域コミュニティの拠点であることに配意し、保護者や地域住民の主体的な意欲と要望を尊重し、指定の是非について検討すること。
なお、市町村教育委員会と都道府県教育委員会の事前協議が必要な場合、市町村教育委員会の判断を尊重すること。また、事前協議には必ずしも都道府県教育委員会の同意を得ることまでは必要としていないことについて周知すること。
三、保護者や地域住民等が一定の権限と責任を持って、より主体的に学校運営に参画することを可能とするという目的を踏まえ、教育委員会は、地域の実情に応じた個性や特色ある教育活動を展開するため、学校運営協議会の委員について、委員構成の適切な均衡にも配慮し、公募制、推薦制などの手続により、幅広い分野から任命すること。
なお、委員の確保・任命が円滑に行われるよう、委員の都合・事情等を配慮した学校運営協議会の開催、委員の事務的負担の軽減などにも十分留意すること。
四、指定学校の指定及び取消しの要件、委員の任免手続など、教育委員会規則で定める学校運営協議会に関する事項については、各地方公共団体間で大幅な相違が生じないよう通知等による適切な指導、助言を行うこと。
五、指定学校の運営に当たっては、教育委員会、校長及び学校運営協議会の学校運営に関する責任の所在をあらかじめ明確にするとともに、関係者間の意思疎通が十分に図られるよう配慮すること。
また、学校運営協議会が十分に機能し、指定学校の運営が適正・活性化されるよう、学校運営協議会に対する情報提供には十全を期するとともに、委員の要望等に沿った研修の機会の確保等の支援を促すほか、学校運営協議会の特色ある取組や活動については、広報・紹介に努めること。
六、指定学校における校長の裁量の充実と必要な予算の確保等が図られるよう、適切な指導、助言を行うとともに、基本的な教育水準の面では、指定学校とそれ以外の学校とで格差が生ずることのないよう、教育の機会均等の確保に配慮すること。
七、学校運営協議会が任命権者に対して指定学校の職員の採用その他の任用に関する事項について意見を述べるに当たっては、学校運営協議会において適正な判断がなされるよう、教育委員会、学校等は必要な情報の提供に努めること。
また、教育委員会は、引き続き教職員の人事制度及びその運用の公正・公平性の維持に努めること。
なお、任命権者が学校運営協議会の意見と異なる判断をせざるを得ない場合には、その合理的な理由について学校運営協議会に対して説明責任を有することについて周知すること。
八、学校運営協議会制度の実施状況について、継続的な評価を行い、その成果と問題点を明確にすることにより、この制度の在り方も含め、学校運営の更なる改善に努めること。
九、学校運営協議会制度の実施状況等を見極めつつ、教育委員会と学校との関係など教育委員会制度の在り方について真剣に検討を進めること。
十、指定学校とそれ以外の学校の運営に当たっては、地域社会や家庭との連携と協力を一層進め、地域と家庭の教育力を高めるよう努めるとともに、必要に応じて、児童生徒の発達段階に配慮しつつ、児童生徒が意見を述べる機会を得られるよう適切な配慮に努めること。
右決議する。
以上でございます。
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