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「正義の戦争は如何にして正当化されうるのか」

慶応義塾大学SFC 松本 泉 

昨今の国際政治の世界では、米国によるイラク攻撃が話題に上っている。ブッシュ政権はイラク攻撃の正当性の根拠として、(1)イラクの保有する大量破壊兵器による明白な脅威の存在、(2)国連安保理決議、特に687号から波及する決議において定められた国連査察をイラクが度々無視してきたこと、の2点を挙げており、現在国連安全保障理事会の場において対イラク武力攻撃容認決議案を採択させようと試みている。しかしブッシュ政権の掲げるこのような理由は、果たしてアメリカによる対イラク先制攻撃を正当化するのであろうか。

歴史的・主権論的な見解からすれば、米国による対イラク先制攻撃はイラクという国家に対する明白な主権侵害であり、大国による身勝手な攻撃から小国を守り、法治主義や人権といった近代国家の原理を遵守する国同士を相互に尊重し合うための仕組みである近代主権国家システムを根底から覆す行為であるといえる。米国は国連決議を基にして自国による先制攻撃を正当化しようとしているが、そのような国連決議がそもそも米国の力による圧力の存在を前提としており、正義を代表していない不充分なものであることは、また真理である。そして今回の対イラク先制攻撃は、まだ実現していない攻撃を未然に防ぐためという過去に前例のないものであるとするならば、米国は国連決議といった法的な正当性だけでなく、これまで長い年月をかけて形成されてきた主権国家システムを変容させるに足る、歴史的な正当性を示さなければならない。

ここで我々は上記の歴史的な正当性を証明するに当たって、「『自衛のための先制攻撃』と『侵略』との違いは何か」ということを考えなければならない。ある人は「それは目的の違いである」と答えるであろう。すなわち米国はイラクの保有する大量破壊兵器という「明白な脅威」による被害を未然に防ぐために先制攻撃を行うのであり、決してイラクを力によって屈服させ、米国の利益確保のために隷従させることを目的として攻撃するのではない、という論理である。我々は確かにそのような米国の意図を理解することはできる。しかしながらこのような目的や動機の違いというものは外部からの客観的な判断が極めて困難であるばかりか、現実に過去の独裁者たちでさえも「自国に対する明白な脅威」の存在を訴えて国民を侵略戦争に駆り立ててきた。すなわち目的の正当性というものは戦争を行う全ての国家が主張することであり、その意図を事前に証明することはできない。我々はいつも戦争が終了してから、その戦いの真実を知ることになるのである。

よってこのような目的・動機の正当性、すなわち「明白な脅威の存在」という理由は必要であるにはせよ、それだけで先制攻撃を正当化する根拠とはなり得ない。それでは果たしてどのような理由が「自衛のための先制攻撃」と「侵略」を区別するのであろうか。

筆者はそれは「行為・手段の正当性」によって区別されうると考える。すなわち明白で客観的な事実によってのみ、先制攻撃は「自衛行為」として正当化されうるのである。
ここで上記の「行為の正当性」とは以下の4条件を満たすものであるとし、このうち一つでも守られないならば、「自衛のための先制攻撃」は「侵略行為」もしくは「主権侵害」と等しい行為として認知されることになる。

(1)攻撃は一般民衆を標的としないこと。
(2)攻撃は必要最小限で、かつ軍事施設(工場や研究所を含む)のみを標的とすること。
(3)単独での長期間の滞在を行わないこと。相手国の政権が崩壊した場合のnation buildingは、多国間、理想的には国連主導で行うこと。
(4)攻撃終了後、必ず「脅威」の決定的な証拠を提示すること。

筆者は米国による対イラク先制攻撃の正当性の根拠が、国連決議と明白な脅威の存在だけでは歴史的・主権国家論的に不充分であると考える。すなわち米国はそれら2つの他に上記の4条件を満たさなければ先制攻撃を正当化することはできないのだといえる。

だが現在の米国の対イラク攻撃の決意は、攻撃の正当性如何に関わらず決して揺らがないもののように見える。ならば日本の役割とは対イラク先制攻撃にただ反対することではなく、米国の軍事行動を監視することでその正当性の担保を図ることではないだろうか。その際に基準となるものは上記の4条件を軸にしたものであるといえよう。

9.11テロが引き起こした新たな世界秩序構築の試みは、近代から現代にかけて形成された主権国家システムさえも変容させようとしている。我々は新たな時代の新しい秩序の形成に当たって、その方向性が正しさを失わないように積極的な関与を続けていかなくてはならない。


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