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 戦後60周年にあたって

改めて、戦没者・犠牲者・遺族を悼む

本年八月十五日に戦後六十年目の終戦記念日を迎えました。九月二十三日にも、戦没者慰霊祭のため千鳥が淵に行ってまいりました。沖縄ひめゆり学徒隊の島袋さんのお話も伺いました。

改めて、先の大戦において、国の内外において尊い命を失われた方々、ご遺族、戦争被害者の皆様、それぞれが被られた多大なる犠牲と苦難に思いをいたし、悲痛なる思いが胸に迫るのを禁ずることができませんでした。

 終戦後の焼け野原から復興した新生日本は、幾多の困難に立ち向かった先人たちの英知とたゆまない努力、世界中からの寛容なる理解と協力により、飛躍的発展を遂げ、平和と繁栄のもとで、六十年目の節目を迎えることができました。

 しかし、二十世紀を代表する歴史家アーノルド・トインビーは「歴史のある章で見事な成功を収めたものは、次の章では、新しい挑戦に対する対応に失敗し、衰弱の道を辿ることになりやすい。というのも、見事な成功を経験したものは、絶頂期の自分を栄光化し、成長をもたらした制度や技術を偶像化して、それらに執着するからである」と語っています。まさに、我が国は、高度経済成長を見事に成功させたからこそ、それに執着することなく、今過去と訣別する勇気をもって根源的課題を克服し、新潮流を見極めた新たな国家戦略を早急に構築していかねばなりません。

 

 

歴史に学び、独立自尊の日本人を

平成七年の村山首相戦後五十周年談話を始め、多くの政党・政治家が、「先の大戦の過ちに謙虚に学び、二度とこのような悲劇を繰り返さない」旨の決意を発してきました。我が民主党も、政府も、国会も、この八月には、不戦平和の決意を表明いたしました。しかしながら、そうした決意とは裏腹の方向に、日本政治・社会が流れつつあることに、国内外から、少なからぬ懸念も寄せられています。

そうしたなかで、我々が真に歴史に学び・考えるべきは、「戦前においても、国内の民主化や民生向上を重視し、軍縮を推進した政治勢力があり、さらに、国家中枢においてすら戦争突入への疑問がありながら、最終段階において、無分別で粗暴な軍事的発展主義が、日本国民と近隣諸国の人々を、あまりにも悲惨な終末に導いてしまったのは何故か」との問題です。さらに、このことを日本国民並びにその信託を受けた政治家が六十年間総括も行わず今日に至っていることこそが、戦後、積み残された最大の懸案です。

目標に向かっては一致協力して勤勉に働くという国民性に恵まれた日本人は、悪しき目標が与えられた場合にも、その一員として有能に働いてしまいました。この国民性の善きところは大事にしつつも、目標設定にも参画する個の側の自律が必要です。

 我が民主党は、結党以来、創憲論議などを通じて、「この国のかたち」の再構築、ひいては、新たな日本人のあり方を問い続けてきました。憲法学の第一人者、佐藤幸治先生も主張しておられるように、日本人が「集団に埋没する個人」「統治の客体という立場」を脱することが必要です。独立自尊の自由な自律的存在として、自分たちの住む国の姿・かたちを省察し、より善き姿・かたちを求めて不断に努力し、能動的に関与していく存在となることが必要です。そのため、我が国の統治機構及び公教育などを抜本的に改革しなければなりません。すべての国民が統治の主体となった真の民主主義国家を構築することで、日本が、近隣諸国からも信頼を勝ち得て、より自由かつ公正な国際社会創造に向け、主体的な役割を果たしていけるようになるのです。

 

ソフト・パワー重視の国づくり

 冷戦の終結は、インターネットをはじめ軍事情報技術を民へ完全に開放しました。そうしたことを契機として、この十年間、本格的な情報革命が世界中に伝播し、情報のもつ社会的価値・影響力が急速に高まっています。これからの政治家は、こうした力の性格の変化に敏感であるべきです。

 戦後日本は、国民一人一人の知恵と汗の積み重ねによって、世界第二の経済力という大きな財産を築きました。二十世紀が軍事力と経済力の時代だったとすれば、二十一世紀を迎えて、私たちは手にした財産を基に21世紀に相応しいソフト・パワーを育む道を歩み出さねばなりません。

 これからの平和創造活動においては、軍事力・経済力に加えて、ソフト・パワーの存在を重視していかねばなりません。情報時代には、友好国や同盟国と協力する能力を向上させた国は、伝統的な勢力均衡政治で軍事的な勢力圏を構築するより、競争相手に対して戦略上の優位も確保できます。

外交におけるソフト・パワーとは、他国に無理やり従わせるのではなく、他国を魅了することによって、自国の望む結果を引き出す力です。魅力ある文化、他国も賞賛しうる理念・価値観の提示、他国から敬意を払われる行動などが、ソフト・パワーの源泉となります。

 終戦後、日本人は、軍事大国化の放棄、自由経済体制、国民の高い教育水準によって、世界史に残る経済立国建設に成功しました。こうした歴史に大いに学び、将来における日本の国益を冷静に分析すれば、世界の平和と繁栄に最も貢献するソフト・パワー立国化を国家戦略として選択することこそが、世界で「名誉ある地位」を獲得し、日本国民に最大限の平和と幸福をもたらす真の道であります。今後は、ソフト・パワー重視外交への転換、文化創造活動や学習・創造意欲を大切にする社会の創建について、多くの皆さんとの議論を重ね、共鳴・共感の輪を広げていきたいと思います。

 

 

ポスト冷戦時代こそ日本が東西の架け橋として積極的に国際社会に貢献すべき

 

 冷戦下においては、米ソの勢力均衡によって国際秩序が事実上維持されていました。ポスト冷戦時代に入り、イデオロギー対立ではなく、文明や民族の衝突を背景とした地域紛争が頻発するなか、人類の大儀にのっとった国際秩序構築をめざす国連の存在意義が高まっています。

昭和三十一年、国連加盟にあたり、重光葵外相は、日本の実質が、過去一世紀にわたる欧米及びアジア両文明の融合の産物であり、日本が、東西のかけ橋となりうるという大きな責任を十分自覚していること。国際連合の崇高な目的に対して誠実に奉仕する決意を有すことなどを表明しました。国連加盟時の初心に立ち返り、その目的のために誠実に奉仕することが、我々が目指すソフト・パワー重視外交の実践にほかなりません。

我が国は、戦前の反省に上にたち、戦後六十年一度も戦火を交えることなくきた実績があります。核製造・保有に必要な経済力・技術力を持ちながら非核三原則を堅持してきたことも含め、経済力と並ぶ誇るべき戦後の財産であり、ぜひそのことを世界の国々からの信頼につなげて、平和と協調のためにリーダーシップを発揮することが使命です。

具体的には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かねばならない。」と宣言したユネスコは、まさに、ソフト・パワーによる平和創造のさきがけでありますが、ユネスコやユニセフ、地球環境問題、生物多様化などの国際枠組み、昨今、世界的に様々な病禍が蔓延するなか対策に取り組むWHOなどの活動に、わが国としては、さらに貢献を強めていくべきだと考えます。

 また、国家の最も重要な責務である「国民の生命・財産・尊厳を守る」ために、テロや拉致などに対して、国家として、あらゆる努力を傾注することは、無辜な人命の尊重という崇高で普遍的な理念に基づく行動ですから、他国からも最大限の共感と敬意を当然に得られ、ソフト・パワー外交にかなうものと理解しています。

 この観点からも、ジェノサイド、人道に対する罪そして戦争犯罪といった国際社会に対する重大な犯罪に対し、国際刑事裁判所を設置し刑事裁判権を強化する「国際刑事裁判所(ICC)構想」の実現なども重要です。すでに、約100ヶ国が署名・批准するなか、我が国は条約署名すら行っていませんが、こうした活動こそ、世界の先頭に立って貢献するべきです。

さらに、唯一の被爆国として、核不拡散を始めとして国際的な軍縮に努力を傾注すること、東アジア共同体の創造、ASEANや韓国・中国との貿易・経済分野での連携強化、金融・環境・エネルギー・保健など広範なテーマでの政策協調も重要です。

 

戦後六十年の節目にあたって、いよいよ私達の世代が我が国と地球の明日を担っていかねばなりません。私も、改めて、歴史を正しく学び、政治の責任を明確に自覚したうえで、強い決意をもって、わが国が、国際社会の一員として、米国はもとより、アジア、欧州、中近東、第三世界とも連携を深めながら、明確なビジョンと戦略のもと、日本及び国際社会の平和な未来を、切り拓いていくことを誓います。

 




 
 

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