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 憲法を語る 教育基本法を語る

■高まる憲法議論

 私、鈴木寛の国会内外における活動の中で、大きな割合を占めているのが、憲法問題であり、教育問題です。昨年度に引き続き、今年度も、参議院憲法調査会幹事、民主党憲法調査会事務局次長として活動させていただいています。また、教育問題に関しても、引き続き、参議院文教科学委員会理事と民主党教育基本問題調査会事務局長を仰せつかっていますし、この九月から新たに、民主党の次の内閣で文部科学総括副大臣を仰せつかることになりました。

任期が六年の参議院に身を置かせていただいている者としては、こうした国家の根本的な課題について、地道な議論をしっかりと行っていく義務があると思っています。

国会における憲法調査会は来年の通常国会でその調査を終え、その次をどうしていくのかをめぐり議論が盛り上がりつつあります。そもそも、憲法に対して、私たちはどういった姿勢で臨み、何を論ずるべきなのでしょうか。

 

■憲法を論ずることは、国会議員の重要責務

 私も元々国家公務員でしたが、そもそも国家公務員というのは、与えられた憲法や基本法の枠組みの中で、現実の問題を適法かつ的確に処理していくのが主な仕事です。私が通産省に入ったころは、この職務を超えて活躍する大物の先輩も大勢いらっしゃいましたが、最近は、世間がそうした大物官僚の逸脱を許さなくなりました。わが国の民主主義が健全に成熟していく過程で、官僚の役割が低下していくのは当然のことだと思います。

少し話しはそれますが、今から10年ほど前に、小沢一郎先生が「試験によって選ばれた官僚ではなく、選挙によって選ばれた政治家が、国づくりの舵を取り、責任をとっていくのが本来の民主主義国だ。国士たらんとして霞ヶ関に入った官僚諸君で、本当に、国を想い、国づくりをリードしたいと思っている者がいるならば、堂々と政治の道をめざすのが筋だ。」とおっしゃったことがありましたが、まさに、正論だと思いました。私が参議院議員となったのも、小沢先生のご発言が、私の潜在意識に残っていたのかもしれません。

本来、国会議員とは、現実に立脚しながらも、現状追認だけではなく、理想に向かって、知恵と情熱をもって世の中を変革し、新たな社会を創造していくことが、その任務だと思っています。

憲法についても、官僚は、与えられた憲法の枠組みのなかで直面する問題を解釈技術で処理します。しかし、あるべき社会を論じそれを具現化するための憲法とは何かを議論し、必要に応じ改正憲法案を提起する、このことが国家公務員には与えられず政治家にのみ与えられた権能と義務であります。


憲法九条以外にも重要な論点が

その際に、私は、憲法九条問題ばかりが注目される今の憲法論議を是非変えていきたいと思っています。今の憲法論議で決定的に欠如しているのは歴史認識です。今、時代はハードパワー(物理的な力)の時代からソフトパワー(知的・美的な力)の時代へ移行しつつあります。軍事力・経済力もさることながら、文化力・知力・コミュニケーション力が、これからの社会においては大切な力になっていきます。例えば、アテネ・オリンピックでの日本選手、大リーグでのイチロー選手、ノーベル賞、国際的な音楽コンクール、国際映画祭での活躍などは、ソフトパワーに該当します。武力よりもこうしたソフトの力が大事になる時代が着々と到来しつつあります。

従来、ハードパワーの問題と思われてきた安全保障問題ですら、二十世紀における安全保障の鍵は、パワー・バランス(勢力均衡)でしたが、二十一世紀はコミュニケーションの促進・充実や国際世論形成に焦点が移りつつあります。たとえば、いまやオリンピックや国際フォーラム(会議)が戦争を一時停戦させる力すらもっています。

こうした時代の変遷について、EU憲法づくりを行なうEU(この夏6月に合意、今後は批准・施行へ)は明確な歴史認識をもっています。ポスト・モダンの時代、文化多元主義の時代における新たな社会の根本ルールづくりを行なうんだといった高い志と識見に満ち満ちています。さすがです。

しかし、我が国では、ソフトパワーが優位となる新たな時代における社会の根本ルールづくりを行なうのだという認識がほとんどありません。自民党は、ハードパワーの時代であった二十世紀における普通の国の憲法に改正したいと主張しているに過ぎませんし、メディアからも、新たな時代の憲法づくりをとの声は沸き起こってきません。


新憲法創造の柱は「コミュニケーション」

現在は、どの国の憲法も、物質・エネルギー志向の社会、産業社会における憲法です。せっかく我が国がこの時期に新しい憲法を議論するのですから、私は、ポスト・モダン、脱工業化社会における憲法を作り、日本から新時代の憲法を世界に発信していくぐらいの気概を持つべきだと思っています。

それでは、新しい時代における価値というのは何か?極めて難しい問題です。平成十二年に日本学術会議が「脱物質・エネルギー志向の価値観」という報告書を発表していますが、ポスト・モダン・ソサィエティは情報文化社会ということになると思っています。近代産業社会においては、生産活動・消費活動が重要な活動であり、情報文化社会においては、大量生産・消費に代わって、コミュニケーションというものが人間の活動の中心になると考えられます。そして、国家・社会の役割は、帝国主義的な富国強兵政策から、学習および文化活動に対する支援と健康的な生存の保障にその中心が移っていくのだと考えられます。

もちろん、安全な生存の確保は引き続き国家の最重要課題です。この点については、わが国の不完全な安全保障政策をきちんと立て直す必要があると私も思います。しかし、この点についても、私は、ソフトパワーとハードパワーとヒューマン・パワーをベスト・ミックさせることによって、真の安全が確立できると信じています。ハードだけでも、ソフトだけでも、だめです。しかし、今の議論は、ハードパワーの議論だけにとらわれすぎで、ソフトパワーを強化することによって、ハードパワーもより有効に生かされるのです。

このことは、二〇〇一年当時、世界で、アフガニスタンと中東とインド・パキスタンという三つの地域で、安全保障上の緊張がありましたが、この三つのうちで、インド・パキスタン問題は、この三年間で、前の二者に比べて、かなりの緊張緩和が図られたと思います。そのプロセスをつぶさに観察してみても、「目には目を、歯には歯を」の力による外交よりも、ハードパワーに裏づけられたコミュニケーション・対話外交のほうが、緊張緩和・寛解誘導には、有効であることが立証されています。

新たな憲法においては、身体の安全が確保された人々の健康で文化的なコミュニケーションを保障し支援する社会づくりということがその主眼であり、そのためには、個人ないし団体の情報入手、情報理解、情報編集、再構成、情報創造、そして情報発信が重要になります。現行憲法でも、情報権をめぐり、アクセス権、知る権利、表現の自由が規定されていますが、コミュニケーションという観点で諸規定を再構成できるのではないかと思います。豊かなコミュニケーションが実現されている状態を、文化度が高いと定義できるわけですが、その意味で、文化権あるいはコミュニケーション権、または、情報編集・コミュニケーション能力を獲得するための学習権などが、次なる憲法の骨格に据えられてしかるべきだと思います。

EU憲法では、行政と市民とのコミュニケーション権がきちんと位置づけられています。知る権利をこえて、回答される権利までもが規定されています。



多様な価値を認めることは日本のアイデンティティ

EU憲法論議においてもアイデンティティ問題が重要な論点のひとつでした。一つ指摘したいのが、情報文化憲法の重要な概念である価値多元主義・マルチカルチャリズム(文化多元主義)は、そもそも、日本のアイデンティティでもあったということです。日本には、多神教が社会意識の根底にあります。多数の価値が共生・調和すべきであるという、まさに「和をもって尊しとなす」という思想が、聖徳太子の時代からの伝統的に日本の重要価値の一つであろうかと思います。

多様な価値の存在を認める。どんな一見些細な存在でも、すべての存在に価値・意義を認めた上で、全存在と共生する。様々な存在の仲を取り持って、全体を調和させていくメディエーター・仲取持(なかとりもち)として、今後、我が国は世界の中で重要な役割を果たすべきだと思いますし、この国・社会は、そのためのコミュニケーション、ハーモナイゼーション(調和)あるいはコラボレーション(協働)を大事にしていくということを表明すべきだと思います。そういう観点から憲法も議論していくべきだと思います。


全国民参画により新たな憲法作りを

また、こうした憲法議論は、ぜひ、学者まかせにせず、あらゆる人々が参加すべきだと思います。私も、学者の端くれですが、学者の方々も、従来の近代憲法については確かに専門家かもしれませんが、次なる時代の次なる憲法というものについては、専門家も素人もないと思います。すべての人たちがそれに参画する資格と責任があって、すべての人たちの直感とアイデアと行動がひとしく重要であり、すべての方々の発言、行動、イニシアチブ(主導)というものが、ハーモナイズ(調和)・シナジー(相乗)することによって新時代の憲法を作って行くことができるのです。改正の担い手は国民にあるということを再確認する必要があります。

たとえば、世の中の多くの人々にとっては、「これからはソフトパワーの時代だ」と力説する情報社会学者の論文も大事ですが、スポーツや芸術の場でプレイヤーやアーティストが創りだす感動のほうが、何倍も説得力があります。

また、近代国民国家では、理性と真理が大切にされ、中央が現場よりも重視され、官が私に優先してきましたが、これからは、理性と感性と悟性が等しく重要に、真理と正義と美学が等しく大切に、中央よりそれぞれ現場が重視される時代になりますし、公と私も再構成されなければなりません。たとえば、社会の宝である子供の育成、つまり「子育て」に関わるということは、それは家庭内におけるものではありますが、極めて社会性・公共性の高い崇高な活動として公的にも高い位置づけをされる時代であり、たとえば、子育てに携わる人々の声というものを、新憲法づくりでは、もっとも大事にしなければならないということにもなります。ですから、すべての人々に新時代の憲法づくりに参画していただかなければなりません。




教育基本法―役人任せの議論をやめよう

 もう一つ、しっかりと論ずる必要があるのが教育基本法です。今の教育の現状を鑑みたとき、続発する余りにも痛ましい事件、減少しない不登校、ゆとり教育の是非、子供の学ぶ意欲をいかに育んでいくか等々、難問が山積しています。教育こそが国家の最大課題であり、私は、教育改革を成し遂げるために、国会議員となったと言っても過言ではありません。21世紀は、教育文化国家たるべきと信じています。

我々政治家は、改めて、この国のあらゆる問題の最終責任者としての役割と責任を自覚し、問題解決と再発防止のため、国民の皆様の先頭に立って、あらゆる努力を行なう覚悟を新たにしなければならないと思います。具体的には、憲法調査会に準じたかたちで国会のなかに教育基本問題調査会を設置し、国会の場で、このテーマを議論すべきだと考えております。

 ところが、与党政治家にはその自覚はないようで、人づくり・国づくりの根幹にかかわる教育基本法の議論までも、文部官僚任せにしてしまっています。こうした与党の態度は、国民の皆さんの代弁者たる国会議員の最大の責務を放棄したものといわざるを得ません。




教育基本法とは −憲法付属法−
 

それでは、そもそも、教育基本法とはどういった法律なのでしょうか。それは、教育基本法の前文を読めば、まさにその特性が一目瞭然であります。

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教育基本法前文
  
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
  
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。  ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

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つまり、教育基本法は憲法付属法であり、人づくり、国づくりの根幹に関わる法律であります。教育基本法の改正を決して小手先だけのものにしてはいけないということです。

誤解なきよう申し上げますが、私は、教育基本法を作り直すべきという立場です。そして、自らをはぐくみ育ててくれた家族、親族、郷土、母校を愛し、そして、その延長として、自分たち及びその子孫が充実した人生を送っていくために関わりの深い日本社会の平和と繁栄を願い・その一員として貢献をする。多くの日本人が、自然な形で、自発的に、そうなることを強く希望する立場です。その立場の私からみても、今までの政府・与党の議論は、底が浅すぎるといわざるを得ません。


部分修正ではなく、創憲と連動すべき

〜教育・人づくりの基本法の創造を!〜

教育基本法についての議論は、新たに創られるべき憲法の基本理念・基本構造と連動し、新時代に相応しい本格的な教育・人づくりに関する基本法を新たに創造していくことを目的とするべきです。

しかしながら、与党における検討は、憲法論議との連動は視野になく、教育基本法のみが先行し、しかも、特定の課題にのみ検討が集中し、部分的かつ限定的な修正案となっています。現在の与党案は、机上の観念論に終始し、実際の教育現場が抱える問題については、議論の俎上にすら乗せられていません。このような低調な議論から、教育現場の抜本的改革のダイナミズムを生み出していくことは難しいと言わざるをえません。

現在、我々は、新たな時代に相応しい憲法のあり方を民主党憲法調査会において行なっており、これらの動きと連動・連携して、教育・人づくりに関する基本法の創造を目指しています。多くの関係者の意見も聴きながら、検討を煮詰め、それを具体的な各現場での改革の動きに繋げていきたいと考えています。




教育法体系全体の再構築により、現場からの具体的改革運動を!

私は、学校・家庭・地域・社会などが抱えている問題を直視し、教育基本法のみならず学校教育法、地方教育行政法、私立学校法など、我が国教育制度の根幹を担う教育法体系全般及び教育財政制度を再構築し、国民の皆様と共に、真の教育改革を目指していくべきだと考えています。

その際、子供の生命・身体の安全、乳幼児の健全な成育環境の保障(就学前教育の無償化)、高等教育・生涯学習の支援、建学の自由、教育における現場主権、教育財政(公的教育支出の拡大)、文化多元社会における健全なアイデンティティの醸成、特別支援教育の充実などの問題について、さらなる議論の深堀が必要だと思います。

いづれも大変な議論ですが、今後とも、こうした地味だけれども大事な議論を行なえる国会づくりを目指して、あきらめずに努力してまいりたいと存じます。さらなるご支援をよろしくお願い申しあげます。





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