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 インターン・レポート

  東京大学経済学部3年 後藤 篤志

 こんにちは。昨年の夏から秋にかけて、スズカン事務所でインターンをさせていただいた後藤篤志です。
 僕がスズカン事務所にインターンしたきっかけは、議員インターンの先輩に鈴木 寛 事務所を薦められたからです。経歴に経済産業省とあったので、最初は経済政策をされている方だろうと思っていましたが、インターンをさせていただいて、教育問題にとても熱心な方ということがわかりました。
 寛さんが、「日本の国会議員で教育問題に本気で取り組んでいるのは自分を含め数少ない」とおっしゃっていました。教育は国の根本である「人間」を創る大変重要な問題であり、実際に学力低下などが起きてしまっているにも関わらず、世論、国会の大きな問題点になっていないと思います。寛さんのおっしゃるように、これからの世の中は、従来の詰め込み教育ではない新しいものが求められているにも関わらず、ゆとり教育にしても、政府の政策はあまりうまくいっていないと思います。
 寛さんが、土曜学校を主宰されたり、地域で塾をやっている方を視察されたりしているのを見て、今は小さく試行錯誤している新しい教育から、これからの日本に合った新たな教育を見つけ、教育を創っていこうとされているのだと思い、とても勉強になりました。今こうして真剣に考えている人がいるからこそ、これからの教育や日本が変わっていくのだと思います。
 もちろん、私が見た寛さんの活動は教育だけではなく、法務関係であったり、包括的に日本のOSを替えることだったり、多岐にわたっていました。スズカンTVも色々なゲストを迎えて、僕は手伝いをしながら、ゲストの話を聞かせていただきました。夏は衆院選の直前であったため、寛さんは日本各地へ応援に行っていらっしゃり、また、秘書の石井さんもお忙しそうでした。
 地道に、日本を変えようと活動していらっしゃる寛さんの姿はまじめであり、質素であり、テレビなどのステレオタイプ化された、派閥政治をしているような政治家とは対極にあるものでした。今まで、漠然としかわかっていなかった、政治や国会というものが、事務所でインターンをさせていただき、具体的なものに触れることによって、自分の中で政治に対してひとつのイメージをつくることができました。
 最後になりましたが、太郎さん、石井さん、小宮さん、土橋さん、一緒にインターンした高橋さん、色々お世話になり、ありがとうございました。寛さん、お体に気をつけ、がんばってください。



  ICU大学 2年 高橋 亜海

 ずっと政治と言うものに対して、自分がどういう関わり方をしたいのか、疑問だった。それが、今回インターンシップに参加した大きな理由だった。インターンに参加中、多くの友人から聞かれたようには、政治家になりたいとか、そんな大志を抱いている訳ではなかった。むしろ、私は、悪く言われがちな政治家や、政治参加をしない若者というもう実際聞き飽きる位に聞く、そんな世の中の構図に対して、何故か引っ掛かりを覚えていたこともあって、政治と人との関係について興味を持っていた。
 政治という言葉が、多くの人の想像を掻き立てるところは、やはりやれ55年体制が、だとか、昨今では二大政党制の時代の到来か、とかいったところで、最終的には「嘆かわしい」だとか「改革が必要だ」だなんて結ばれる訳だけれど、私は余りそういう語り方に意味があるとは思わない。勿論、より良い物を求める事は重要だし、実際年金制度なんてもう破綻しかかってる訳でとっとと、どうにかしなさいよ、なんて苛々したりもするのだから、事実状況に合わせての対応は適切に為されるべきだとは、思う。ただ、実際に国は動いている。今まで日本は日本であった訳だし、そしてどうにかこうにか治まってきた訳で、これから先も余程の抜本的構造転換がない限り、それは変わらないのだろうと思う。多分何とかなるものなのだ。ただし、そうやってどうにかなってきた裏には鈴木寛さんの様な人が決して少なくなく存在したのだろうと思い当たり、今回は純粋に感動をした。で、それを分かっていて、この上何を言いたいのかと言うと、つまり、否定し続けるだけの、批判だけが飛び交う世の中ってのは、寂しくないかい、ということなのです。あくまでも色々な事について議論はなされるべきだと思いますが。
 大学の授業の課題との関係で、民主主義についてチョロっと考えた。未だに民主主義って何よ、位に思っているけれど、それでもその基礎については思い当たった気がする。それは、互いに思い合える、ということ。嫌な事を嫌で嫌でたまらない、と皆が思うこと。必ずしも投票自体に興味なんてなくていいのだ。でも、例えば人が殺されたり、食べるものがなかったり、その存在を許されなかったり、望む様に生きられなかったり、そんなことを、絶対に絶対に嫌だと、決して他人事でなく、感じられるということは大切な気がする。私は「〜すべきだ」という表現が使えない。これは自分がまだ勉強中の身であるからということもあるけれど、それを別にしても、なんとなく強すぎる気がするのだ。だから感じる、ということ。誰もが。自分の生活の中に人を、社会を、世界を思うということ。難しいことではなくて。自分の幸せを祈る時に、ちょっとだけ世界の幸せを祈れたらいいと思う。心の中の、政治。私達が、出来る事。そして、批判して否定するだけの寂しい社会ではなくて、もっと認め合えたらいいのに、とも思う。
 本当は誰も苦しむ必要なんてなくて、毎日美味しいものを食べて、大好きな人と一緒にいられて、その存在を認められて、望む場所で望む様に生きられる筈で。人権という言い方は私にとってずっと余りにも想像を掻き立てない無味乾燥な言葉であったから、好きではないけれど、とにかくそうやって皆が幸せである為に、様々な場所で日々努力をしている人々と鈴木事務所で出会えたことも、本当に大きな収穫だった。頑張っている人を見ると、自分も何が出来るかな、と思ってとてもわくわくする。夏休み中だったけど、とてもとても勉強したくなった。そして、今、冬学期が始まって、私は政治の勉強をしている。たくさんの思想や理論。まだまだ政治って何?と頭を抱え続けるだろうけれど、楽しくてならない。勉強したいことも、しなくてはならないこともたくさんたくさんあって、まだまだ鈴木事務所にはお世話になりたいところです。でも、取り敢えず、本当にたくさんの経験をさせて頂いてありがとうございました。



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