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 今年も文教政策にチカラを注ぎます
         〜参議院文教科学委員会筆頭理事に〜

  国会活動も、いよいよ3年目に突入しました。1年目は文教科学委員会、2年目は法務委員会をメインに活動してきましたが、このたびは、再度、文教科学委員会に戻り、理事(野党筆頭)に任命されました。今後の参議院文教科学委員会は、事実上、文教科学委員長と与党筆頭理事と私の三者で責任をもって運営していくということになります。
 理事の仕事は、表にはなかなか見えにくいのですが、とにかく忙しいの一言です。
 まず、参議院民主党理事連絡会議において、全ての委員会の理事が集まって、それぞれの委員会の法案審議状況、与党との折衝状況、懸案事項などを報告し、同時に他の委員会での動きを把握しなくてはいけません。それから、文教科学委員会の与党や他の野党の理事たちと、それぞれの国対戦略に連動する形で、何を審議するか、どの法案をまな板の上に乗っけるのか、参考人の招聘から時間配分まで細かな折衝を続けます。そして法案の修正、付帯決議の文言の調整、折衝など、全てを理事が、請け負います。
 さらに、党内の文教科学部門では、それぞれの法案の処理を主体的にリードしなければなりません。必然的に、この分野でがんばっておられる各種組織・団体の方々や、一般市民の方々と議論する時間も増えてきます。単に政策論だけではない、バランス感覚が大いに求められる職責ですし、文教政策への発言の重みが一挙に増すやりがいのあるポジションで、文教科学政策をやるために国会を目指した私としては、わずか三年目にして就任させていただき、大変嬉しく思っています。


 ■ 『コミュニティ・スクール構想』発表から三年〜これまでの歩み〜

 私が国会議員になるきっかけの一つでありました「コミュニティ・スクール構想」が、実現にむけて大きく一歩前進する運びとなりそうです。国会議員になる前は、私は、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスの助教授を務めていましたが、同キャンパスの金子郁容教授らと一緒に、次なる時代を動かしていく重要な要素として「コミュニティ」の重要性に着目し、特に、教育改革の分野においても、コミュニティの活用が鍵だと主張していました。2000年の春頃から、官邸主導で教育改革国民会議が始まり、慶應義塾大学院教授兼慶應幼稚舎長(当時)の金子郁容教授が、国民会議のメンバーに就任したことも契機として、金子先生と一緒に「コミュニティ・スクール構想」を提起し、同年12月には、岩波書店から『コミュニティ・スクール構想』という本も出版し、日本全国の教育現場、政策現場に一石を投じました。民主党や自民党の国会議員にも、議員になる前から、学者の立場で、このテーマに関する講師として説明の機会などもいただいていましたが、この構想を本格的に実現するためには、教育政策の根幹に深い造詣を持ち、構想実現にかかりきりになって主体的に動ける国会議員の存在が必要だと痛感し、そのことが私自身を国政に駆り立てた大きな要因の一つです。
 私が参議院議員に立候補を表明してからも、加藤公一議員や松野頼久議員ら民主党の方々がいち早く呼応していただきました。早速、参議院選挙の民主党公約に盛り込まれ、コミュニティ・スクール・ワーキンググループが設置されました(今現在は、私が座長をさせていただいています)。自民党でもコミュニティ・スクール構想に賛同する議員が、次々と名乗りをあげ始めてくれました。
 政府の審議会では、金子郁容教授が、教育改革国民会議に引き続き総合規制改革会議の委員にも就任され、各審議会のメンバー、内閣、文部科学省の関係者などに、働きかけを続けられました。 
 我々の働きかけが功を奏し、遂には政府・文部科学省も動き始め、2002年には全国で9校が「新しいタイプの学校運営の在り方に関する実践研究」を実際に行うモデル校となりました。私自身も、東京都足立区の五反野小学校をはじめいくつかの現場に実際に出向き、現場の方々と意見交換を重ねてきましたが、現場の教員とそれを支える地域・保護者のやる気と熱意さえあれば、中央からの統制や教育委員会からの過度の指導がなくても、より自主的で効果的な教育が実践できることを確信しました。


 ■ コミュニティ・スクール構想とは?

 そもそも、コミュニティ・スクール構想とは、「Independently Operated (by Community ), Publicly Funded」というコンセプトの下で設置・運営される公立学校のことです。即ち、自分たちの知恵と努力でいい学校を作ろうという意志と能力のある人々によって組織された経営・運営チーム=学校運営協議会(仮称)が、市町村(教育委員会)の認可を、一旦得たならば、認可後は、学校経営・運営に関するほとんどの権限を有して、健全性・有効性を確保しながら、自主・自律性の高い学校づくりを行っていくという構想です。
 イギリスでは、ローカル・マネジメント・スクールといって、公立学校であっても、地域住民・保護者・教育専門家・学校長・教職員によって構成される学校理事会が主体的に学校経営・運営を行っていますし、また、アメリカには、チャーター・スクールといって、地方自治体から特別許可状(チャーター)をもらって、行政からある程度独立して公立学校を開設・運営する例が、この10年で急速に増加していますが、この2つの制度を大いに参考にしています。
 日本においては、まず第一ステップとして、地域が盛り上がり、環境や条件が整ったところからコミュニティ・スクールが開設されていき、将来的にはほとんどの公立学校がコミュニティ・スクール化していくことが望ましいと考えています。


 ■ 「コミュニティ・スクール」  いよいよ制度化へ!

 2003年12月16日付けで、中央教育審議会が「今後の学校の管理運営の在り方について」と題する中間報告を取りまとめました。審議会の審議経過・中間報告の策定過程では若干の紆余曲折ありましたが、コミュニティ・スクール実現への大きな道筋がついた内容になっています。日本語では、コミュニティ・スクールを「地域運営学校」と呼ぶことになったようですが、パブリックコメントを経て、2004年3月末までには最終報告がまとまり、通常国会において必要な法改正が審議されることになります。地方教育行政法の改正を軸に検討される予定です。
 現時点では、人事権の独立など、本来の構想に照らすとまだ十分でない点もありますが、とにかく2005年の春から各自治体・地域の熱意と意思があれば、コミュニティ・スクール開設が可能となる法的枠組は、整備されることとなります。まず、この枠組みで地域運営学校を各地でスタートさせていって、各地で実績が積み上がりコミュニティ・スクールに対する社会的な信頼・評価を得ていった上で、さらなる抜本的な制度改革を目指していきたいと思っています。現在、私の周辺では、地方教育行政法の抜本的な改革について検討中ですので、その動きとも連動させていきたいと思っています。(最適な教育行政ユニットの規模と自治のあり方を勉強しています。)
 社会改革は、継続的な意識改革を基調として、不断の制度の見直しと実践の積み重ねの両輪が、うまくかみ合うことによって初めて成功します。コミュニティ・スクール構想が途中で頓挫することなく、ここまで進展してきたのは、金子・鈴木の連携プレーもさることながら、全国各地での着実な実践活動が盛り上がっていることが、最大の原動力だと思います。
 たとえば、平成14年度予算で実現したコミュニティ・スクールのモデル校の公募に対して、当初の予想を遥かに上回る約30をこえる応募があり、予算が全然足らなくなってしまいました。また、杉並区立和田中学校校長に就任した藤原和博さんなどの民間校長が実践する「地域に開かれた学校づくり」の成果、兵庫県山口小学校教諭から尾道市土堂小学校校長にスカウトされた蔭山英男さんのカリキュラム改革の取り組み、品川区、足立区、杉並区、三重県、犬山市などの各地教育委員会の独自の取り組みなどが大変充実しています。さらに、構造改革特区法が実質一番活用されているのは教育分野であり、具体的にコミュニティ・スクール構想の主な要素(教育カリキュラムの弾力化、NPOを運営母体とした学校経営など)を先取りする形での計画が、志木市をはじめ全国各地から、どんどん申請されています。こうしたことが、当初、草の根からの教育改革に懐疑的であった中央教育審議会の委員たちの認識を変えていき、現場や地域に任せてみようという議論を後押ししたことは間違いないと思います。
 さらに、そうした実践活動、提案活動を、特集を組んで報道し続けた新聞社やテレビ局の心あるメディア人や、さまざまな事例を世の中に紹介し続けたジャーナリストの皆さん、そして、総合規制改革会議や構造改革特区法を担当した内閣官房や内閣府の官僚の皆さん、また、そうした動きに呼応して、当初、抵抗の強かった文部科学省内部にあって、改革の声を盛り上げていった若手文部官僚の皆さんなどの努力があったからこそと、多くの方々に感謝しています。まだ、構想全体からみれば、序章から第一章に入るという段階ですが、今後とも、こうした方々と一緒にコラボレーションしていきたいと思います。
 特に、こうした改革運動では、旧制度が現場での改革の足枷になっている時期と、現場の実態が新制度を十分に活用できていな時期が交互にきます。そういう意味では、法改正後は、後者の時期になるのかと思っています。現場の芽を育むことがさらに重要になってきます。各地域の教育に情熱を注ぐすべての皆さん、そして、各自治体の首長・議員の皆さん。地域運営学校制度を最大限に活用して、各地で具体的な学校づくりにがんばってください。私も最大限の支援をさせていただきたいと思っています。そして、早く現場の実態が新制度をも追い越して、次なる制度改革へのマグマがたまっていくことを祈っています。


 ■ 地域実践活動を支援のための「土曜学校」運動を展開中!

 教育改革運動において、より重要になってくるのが、各地域における実践活動現場からの盛り上がりです。コミュニティ・スクール構想推進の核は、文字通り「コミュニティ」です。今後は、全国各地に子供を育む、学び支援のコミュニティをいかに形成していくかが鍵だと思っています。そうした観点から、昨年あたりから、私は、土曜学校運動というものを提唱しています。
 私の考え方は、まず、学校五日制導入によって空いた土曜日を最大限活用して、塾でもない、従来の学校でもない、第三の学びの場を子供たちのために創ってあげることが大切だと思っています。即ち、学ぶ意欲を取り戻し、21世紀の情報文化社会を生きぬく力=考動力(真善美の判断力とコミュニケーション力・コラボレーション力・創造力)を身につけるキッカケづくりとなる、学び・出会いの場を、企業の社員でもなく、公務員である教諭によるのでもなく、まさしくボランタリーなコミュニティによって、創り出していこというのが土曜学校運動の趣旨です。このコミュニティには、子供を持つ保護者はもちろんのこと、次世代のために何かをしてあげたいとの思いをもつすべての人々、つまり、子育て卒業世代や、これから社会・家庭を担っていく若い学生の皆さん、新たなパラダイムを拓きたいと考えている教育の専門家などが、それぞれ個人の立場で参画して、学び場づくりを行っていきます。
 そして、土曜学校づくりを通じて形成されたネットワーク・コミュニティが実績を積み上げ、企画・運営のノウハウと人脈を充実させた後に、正規の学校と連携して、総合的学習の時間の授業運営について主体的に請け負う、そうして、そのコミュニティが実力をつけていった暁には、自らコミュニティ・スクールを経営・運営するという順番を経て、コミュニティ・スクールを担いうる母体が序々に成長していけばいいのではないかと思っています。
 すでに、各地には、土曜学校的な活動を展開しているグループが多数存在していますし、総合的な学習の時間を支援している地域の人材もかなり多くなってきました。そうした方々がさらに各地で結集していくことによって、コミュニティ・スクールを担うに足る実力のある運営母体が生まれてくると期待しています。こうした考え方を広めるために、私も大学祭のシンポジウムに参加したり、都内各地はもとより、秋田、岡山、茨城、関西各地などを行脚させていただいています。
 私自身も、子供を愛するひとりの個人として、教育研究者として、NPO活動家として、都内のインターカレッジ・サークルの学生さんや保護者の皆さんと共に「六本木土曜学校 mana VIVA」という学びの共同体づくりプロジェクトを2002年夏から構想し、2003年の4月から開校しています。なぜ六本木かというと、港区選出の横山勝司区議会議員や大塚たかあき都議会議員の尽力と、港区原田区長の英断により、六本木にある旧三河台中学校が、昔のままの校舎をそのまま使用し「みなとNPOハウス」として生まれ変わっています。この「みなとNPOハウス」や都内の各大学キャンパスなどを活用しているので、六本木土曜学校と名乗っています。
 土曜日に、都内各地から、幼稚園年長から小学校6年生まで15名〜20名程度が集まり、イギリス大使館訪問や大学の学園祭に子供たちが模擬店やフリーマーケットを出店などしながら、世の中との接点や多彩な人々との出会いを創り、子供たちの考動力を培うキッカケづくりを行っています。この活動を通じ、学ぶ意欲を掻きたてるカリキュラムづくりのノウハウ、子供の自発性を引き出す学びの共同体づくりのノウハウ(ナナメの関係が大事です)、子供に接する学生ボランティアの育成ノウハウなど、実践経験からしか得られない貴重な知恵を私自身、学ばせていただいています。


 ■ もうひとつの公約「希望者全員奨学金制度」に向けて

 「コンクリートから人づくりへ」 私がこのスローガンを掲げ、参議院選挙を戦ってから2年半の月日が過ぎようとしています。希望者全員奨学金を公約に、先進国の中でも群を抜いて低レベルの奨学金制度を充実させるため、努力を重ねてきました。その成果が、少しずつではありますが、形になって表れ始めています。特に、平成16年度予算編成は、文教科学委員会理事就任後の、初仕事となりましたが、他の分野の予算が厳しい査定を受けるなか、奨学金予算は大幅拡充しました。
 私が当選する前の奨学金貸与対象者は、69万人であったのが、平成16年度予算案では、96万人(前年度から約10万人分増加)を対象とする、6820億円の事業規模(前年度より1030億円増)が組まれることになりました。わが国の奨学金希望者は全部で130万人と言われておりますが、全てに奨学金がいきわたるまで、もう一息です。と同時に、奨学金制度の充実、例えば一人当たりの金額の増加や保証人制度の撤廃などにも力を尽くしていく必要があります。
 一方で、これまで奨学金事業の大半を担ってきた日本育英会が、行政改革の流れの中で、一時、廃止が打ち出されました。これには、一昨年の国会の論戦で、私が大反対論を展開し廃止は免れましたが、平成16年4月より独立行政法人・学生支援機構として再編されることとなりました。せっかく奨学金予算が増額されても、独立行政法人化によって実質的な運用面でのハードルが高くなっては元も子もありません。こうした点にもと目を光らせていきたいと思います。
 また、民主党では、奨学制度充実ワーキング・グループを創設し、私が、副座長として希望者全員奨学金構想をとりまとめ、党全体としてもオーソライズし、総選挙の公約政策集のなかにも、きちんと位置づけられました。この政策の実現の為にも、政権交代が強く望まれるところです。


 ■ いよいよ法科大学院スタートへ

 法科大学院構想が、遂にこの4月からスタートします。先日、66校が開設の認可を受け、この4月より新・法科大学院への入学が始まります。今まで一発の超難関である司法試験をパスしたもののみに道が開かれていた法曹への道のりが、今後は法科大学院において、より実践的な学習を積んだ者に開かれることになります。昨年には初めての適性試験が行われましたが、現場には多くの混乱があったようです。無論、ある程度の混乱はやむを得ないところもありますが、当局としてしっかりとした対応が取れたかどうか、私も法務委員会や文教科学委員会の質疑を通じて政府に質問を行いました。
 特に、私が取り組んだのが、法科大学院生に対する授業料と奨学金の問題です。一人の生徒あたり、5人から10人、もしくは、それ以下の教員を配置し、手厚い教育を提供することが求められる法科大学院の授業料が、特に私立大学において、年間200万円を超えるとの憶測が流れていたため、仮にそのようなことになれば、法曹の道を目指す入り口の時点で、経済的な理由であきらめざるを得ない人々がでてくるのを懸念したためです。私が本件に関して、本会議の質疑に立ち、政府にその点の見解をただしたところ、当時の財務大臣であった塩川正十郎氏が、「法律家を目指すような人はそもそも金持ちが多いから心配ない。」といった問題発言をしたこともありました。その後、そういった間違った政府の認識を改めようと活動してまいりましたが、この度の予算案にもそれなりの措置が認められ、法科大学院学生一人当たり50万円にあたる助成が文部科学省より施されることになりそうです。さらに、法科大学院で学ぶ学生については、特別の奨学金枠が用意され、概ね必要な学費・生活費は、希望者全員に確保されることとなりました。
 いずれにせよ、法科大学院制度は今後のわが国の法曹および教育制度を大きく変えるものであり、その初年度である今年の国会議論が、今後の制度運用に関して大きな影響を及ぼすことをしっかりと認識して、国会でがんばっていきたいと思います。


 ■ 教育基本法について

 本年以降、大きな政治課題となるとされているのが、教育基本法に関する議論です。私たち民主党も精力的に検討を行っています。党内には「教育基本問題調査会」が設置されており、私は事務局長として民主党内の議論を取り仕切る立場にあります。正直この仕事は、党内調整含めて相当大変です。
 そもそも、教育基本法は1947年に日本国憲法の精神にのっとり、民主主義国家日本における教育の基本的なあり方を定めたものですが、教育改革国民会議が、伝統・文化の尊重、家庭・郷土・国家の重視、宗教的情操を育むために教育基本法の見直しが必要と報告に記し、その報告を受け、中央教育審議会が検討を進め、2002年11月には中間報告が出されています。
 私も、21世紀の教育の哲学・基本方針を議論し直すために、教育基本法のあり方について議論をすることは、大いに結構なことだと思っており、我々も、仮に教育基本法を改正するとすれば、どこをどのように改善していくかについて、研究・検討を行っています。
 しかし、与党の一部にある「教育基本法改正を行えばすべての教育問題が解決される」かのような現実遊離の教条主義的議論とは一線を画したと思います。法律を直せば、ただちに、問題が改善されるほど、教育現場は生易しいものではありません。たとえば、いじめ防止法という法案を作ればいじめがなくなるのか? という問題を考えれば答えは明らかです。法律や通達による上意下達ではうまくいかないところが教育政策の一番難しいところなのです。
 それに、今の日本で、この議論に参画している人々の質、そして、そこで行われている議論の質が十分に高くないことに大いなる懸念をもっています。
 私自身、多くの若者が、自らを育ててもらい、今後は、自らが担っていかなければならない日本社会と、その社会の構成員である同胞に対して、もっともっと愛情や思いやりをもってほしいと強く思っています。その際、新たな日本社会づくりという壮大な大河物語に、縁あって、時間・空間・情報・思いを共有する人はすべて同胞だと思っています。そして、健全な意味で、自分を大切にしながらも、世のため、人のために、もっと尽くして欲しいと思っています。今まで縁のあった若者に対しては、私自身も少なからず、そう教育してきました。
 ただ、そうしたことを地道に考え、直接、若者に対して実践し、各地で伝統・文化・郷土を具体的に守り続けてきた人々と直接に交流し続けてきた私からすると、「愛国心の醸成」を熱心に主張している議員のなかに、同僚議員の税金の私物化を黙認し、追従的外交を容認し、国の主役である国民の人生を軽んじている人が少なからずいるのを見るにつけ、はたして、彼ら自身が、真に愛国的な毎日を送っているのだろうか? そして、実は、彼らのいう「国を愛する心」とは、私が考えているそれとは似て非なるものではないか? との疑念を抱いていることも事実です。
 
 さらに教育基本法改正議論に、真の賢人が十分に参画していないことが残念です。今、人類は、人類史上200年ぶりの大変革期に差しかかってきています。西欧から始まり、日本も明治維新以後取り入れてきた「近代国民国家・産業社会システム」が綻び、ハイパー・コミュニケーション革命・生命科学革命を経て、世界は、物質至上主義・ハードパワー優位の時代から、情報文化・ソフトパワー重視の時代・ポスト・モダン社会に本格的に移行していきます。生命観、死生観、人間観、社会観、世界観、国家観、宗教観、市場観、科学観、文明観など、そのすべてが根本的に再構築されなければなりません。そうした大変化を踏まえて、来るべき時代を生きていくために必要な教育とは何か? 大いに議論されるべきであるのに、右派も左派も旧時代の議論の上にたって、水掛論争に終始しているような気がいたします。
 憲法改正議論もしかりです。たとえば、近代国民国家において中心的な社会統治の手法・装置・道具である法律(ルール)というもの自体が、その効力・影響力に翳りが見えているという問題や、人治・法治・富治に代わる新たな社会統治の手法(情治・智治)を如何に創造するかといった問題についてはほとんど議論されていません。数十年前に設定された枠組みで議論が延々行われているうちに、社会・時代のほうが劇的に変化してしまい、従前に設定した問題設定の枠組み・論点や選択肢が、陳腐化してしまっている。しかしながら、国会、学会、マス・メディアがそのことにあまり気付いていないというのが、日本の憲法論議・教育基本法論議の最大の問題点だと思います。
 私も大学人の一人でしたからよくわかりますが、こうした問題は、法律学者や政治学者では、なかなか手に負えない問題なのです。だからこそ、政治家が、自らの知恵と経験と直観をもとに、あらゆる人脈をフル活用して、この社会が有するあらゆる知性・感性・悟性を総動員して、この問に対して、取り組んでいかねばならないのです。憲法改正や教育基本法改正というのは、そういう仕事だと思っています。
 特に、私としては、世の中で必ずしも有名ではないが、隠れた人材(本当の賢人というのは往々にして隠れているものです)で、特に、西欧近代合理主義を超えた方々の知恵を引き出す機会・環境を、もっと創っていきたいと思案しています。まずは、私が、そうした智慧を極力吸収して、自らも熟慮・熟考を重ねて、より深遠な議論を展開するべく、がんばっていかなければと思っています。特に、この点は、私、鈴木 寛に課せられた使命だと自認しております。
 さらに、私自身は、こうした大問題に取り組む一方で、与党が教育基本法改正しか、教育政策上の課題に挙げないことによって、置き去りされている大事な問題。即ち、子供の心身の安全、現場主権の教育、教育現場の指導力の改善など、子どもの成長のために、速やかに取り組まなければならない数多くの課題にも、精力的にエネルギーを注ぎ込んでいくことも、基本法改正と並んで重要な仕事だと考えています。
 今後とも、私、鈴木 寛の教育政策分野での奮闘にご期待・ご支援下さい!


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