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 衆議院選挙を終えて

 昨年11月9日投開票で、衆議院議員総選挙が実施されました。私は、民主党副幹事長として、また、民主党東京都連合会総選挙対策本部事務局長として、さらには、今回、民主党が、他党に先駆け立ち上げたインターネット放送局「D-Vision」の編集長として、フル回転の日々を送りました。
 特に、日本よりも外国のメディアが、私の主張・行動に注目してくれました。インターネット放送局の編集長として、外国人記者クラブにも呼ばれて会見もいたしましたし、ウォール・ストリート・ジャーナルのアジア版にも、選挙前に私の論文が大きく掲載されました。同論文では、今までのスズカン・タイムスでも一貫して主張させていただいている「日本政治のOS(オペレーティング・システム)の入れ替えの必要性」について論じ、面白い切り口だと、各国のジャーナリストから高い評価をいただきました。奇を衒わずに地道に自らの信ずることを続けていれば必ず取り上げられるという信念が裏付けられました。と同時に、外国人ジャーナリストとは成り立つ質の高い充実した議論を、今後、どのようにして日本のメディアの皆さんと共有していくかが次の課題です。
 
 さて、衆院選に関してですが、鈴木 寛 が選出いただいている東京都は、有権者数1000万人で、東京23区のみならず、西は奥多摩、南は伊豆七島や小笠原諸島まで含み、小選挙区数は25を数えます。
 また、全国各地で奮闘する若手の新人や、現職候補応援のため、北は北海道の室蘭から、山形、茨城、長野、岡山などなど、とにかく全国を走り回る日々を送りました。投票日の前々日に放送された、テレビ朝日系「朝まで生テレビ 総選挙特集」では、民主党を代表して、番組に出演いたしました。政権獲得を目指す政党として、他党の方々に好き勝手なことを言われていましたが、これも政権交代が現実的な視野に入ってきた政党の宿命と思って、対応いたしました。
 小選挙区25、比例区17と、全選挙区の実に一割近くの議席を争う首都決戦の総指揮をするということは、実に荷の重い仕事でした。正直、自分の選挙よりも気力・体力を消耗しました。


 ■ 政権交代実現せず
 
 結果は、皆様ご承知の通り、わが民主党は、四〇議席増加を果たしたものの、至上命題であった「政権交代」を果すことはできませんでした。自民党も改選前議席を下回ったとは言え、追加公認を含めて過半数議席を占め、与党では絶対安定多数を占めることとなりました。結局民主党の議席は、共産党や社民党が激減させた議席の分だけ増えた形となり、特に公明党の厚い支持基盤に支えられた与党の勝利を許してしまうことになりました。
 東京に限って言えば、25小選挙区中、民主12、自民12、公明1で、東京比例区については、民主8、自民6、公明2、共産1という結果で、名実ともに首都第一党の地位を確固たるものにできてよかったと思っています。
 
 今回の総選挙で、何よりも残念であったのが投票率の低下です。最終的な全国の投票率は、59.86%、東京都は58.35%となりました。前回(2000年)総選挙の投票率が、全国で62.49%、東京都では60.46%でありましたから、約2〜3%も投票率が低下したことになります。前回の総選挙から不在者投票の要件が緩和され、投票時間も午後6時までだったのが、午後8時までとなり、前々回よりも投票率があがりました。しかし、公選法の改正によって前回上った投票率も、たった1回だけで、その貯金をもう吐き出してしまったことになります。
 選挙に「タラ」、「レバ」はありませんが、東京の小選挙区だけみても、1000票から数千票差で惜敗した選挙区が4つほどあります。無党派層の民主党支持率は6割から7割と報じられていますから、前回並の投票率が確保されれば、さらに、これらの選挙区で民主党が勝利することができました。そうすれば、首都決戦は圧勝でしたので、本当に投票率の低下は悔やまれます。
 「投票に行かなければ、世の中は変わらない!」そのことを強く訴えてきた私にとって、この数字は少なからずショックでした。当日のお天気がよくなかったとか、色々な言い訳もありますが、事実はひとつです。要は私たちの訴えが、一番投票に行ってもらいたい若い方々、組織やしがらみにとらわれない人々に十分伝わらなかったのです。これでは、「投票率がそこそこ低ければ、政権維持することができる」と考える与党のまさに思うツボです。

 投票率を上げることが、なぜ至上命題と考えられるのでしょうか。その理由は明白です。自民党を中心とした与党の政治家は、まさに既得権の恩恵を受ける一部の利益団体に支えられた議員であり、そうした議員が、組成する内閣には、積み上げられた利益団体の利益を守り続ける政策しか採り続けられないということです。

 投票率が6割弱だと、共産党が全選挙区に候補者を擁立しつづけるなかでは、事実上、有権者全体の約25〜28%の得票をすれば勝利することができます。ですから、与党議員は税金依存業界の票と特定宗教団体の票を中心に票固めをし、若干の無党派層を多少取り込めば選挙に勝てることになります。そのようにして当選してきた議員が、有権者の大半を占める納税者の意向よりも、この2つの勢力の意向に従うのは当然です。よって、納税者の意向を国政に反映させるためには、候補者が一般の納税者に目を向けないと当選できない構造をつくることが必要で、そのためには、この2つの勢力に属していない一般の納税者の皆さんにも、しっかりと投票権を行使していただくことが、どうしても必要なのです。
 私たち政治家本来のミッションは、国家国民全てに尽くし、その上で世界全体にも、未来にとっても最善の結果をもたらす政治を実践することにあります。もちろん、そうした大きな方向性が、特定の利益団体と重なっていることも結果としてはあるでしょう。特定の団体の利益だからという理由によって、その利益追求が、ただちに否定されるべきものではありません。そうした団体の利益誘導が、全体益に合致していれば問題はないのですが、一部の団体・組織の利益が、常時、過度に擁護・追求されることによって国家全体の命運が左右されることは、決して許されるものではありません。現に、未来への投資、知恵の投資、人への投資がおろそかにされています。
 今回の選挙では10人のうち6人だけが投票に行きました。残りの4人の人々は「関心がない」「自分が選挙に行っても何も変わらない」「民主党にも魅力がない」などと思われたのでしょう。こうした方々に重い腰を上げていただき、一人一人に自分が未来への当事者なんだと自覚していただき、また、そうした方々の思いをしっかりと民主党が汲み取ることが出来なければ、何度総選挙を経ても同じ結果しか得られないと思います。


 ■ マニフェスト選挙

 今回の総選挙で画期的とも言えたのが、政権公約=マニフェストを各党が掲げ、その是非を国民に問うものでした。マニフェストは流行語にもなりましたが、マニフェストとは、従来のスローガン的な政策でなく、「何を」「いつまでに」「どうやって」実現させるか、達成目標や財源などを明記した政権公約のことです。総選挙直前には、公職選挙法も一部改正され、マニフェスト配布の道が開けたことは、今回の総選挙における一つの大きな成果です。
 私もマニフェストの策定には参加しました。特に、教育分野や司法分野では、私が実質的なとりまとめをした部分も多く、行政訴訟の実現や教育の地方分権・奨学金充実など、私の主張がそのまま取り入れられることになりました。 
 ただ、政権公約としてのわかりやすさを追求する余り、不適切な表現となってしまった部分も、いくつかできてしまいました。特に「学校の週休五日制の見直し」とマニフェストに書かれましたが、この表現では、まるで週六日制復活との話にとられかねません。私の真意である「充実した土曜日を地域社会が子どもたちに提供」と言ったニュアンスが読み取れないものになってしまいました。いわゆるPRのプロの手にかかって、表現が歪められた(?)例の一つです。
 また、民主党にも、大いに責任があるのですが、マニフェストが真の政権公約として国民一人一人に選択を迫ったというよりは、単なるファッション化、流行モノ化してしまった感があり、その本質通りの役目が果たせたとは私は思っていません。短時間でわかりやすさを追求するとの命題のもとで、いわゆるプロといわれる人によるPR手法が導入され、正確さ、精緻さが、誠実さ、真剣さが、犠牲にされたという一面も、見受けられました。「インスタント(即席)なわかりやすさ」を求めすぎる弊害を率直に感じました。日本社会・世界平和のことを、数分で理解してもらうには、おのずと限界があると思います。私としては、複雑な現代社会の諸問題を、時間をかけて、手間をかけて、ていねいに説明していくことももっと大事にすべきだと思います。やはり、30分程度のボリュームの映像を見て、雑誌一冊・本一冊読んでみて、なるほどと思う話もあるわけです。
 とはいえ、マニフェストによって、今までとっつきにくかった政治の入り口を広げたという効果を発揮したことは事実です。与党対民主党の構図が明確化され、上述したとおり二大政党制の時代が到来したことは誰の目にも疑いようのないところです。今後は、マニフェストも何種類か、作っていけばいいのかなあとも思いますし、さらに工夫もしたいと思います。いずれにしても、このマニフェストを活用して、より有権者にとってわかりやすい選挙の実現のために、がんばって行きたいと思います。



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