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 米国同時多発テロ事件と国際協力のあり方を考える


新しい戦争? いや、あくまでもテロリズム=犯罪である!

 去る9月11日に米国で発生した同時多発テロ事件は、約6千人の罪のない市民を巻き込んだ卑劣な犯罪行為でありました。同時に、これまで安全と繁栄を創造してきた、近代国民国家システムへの挑戦でもありました。

 ブッシュ米大統領は今回の事件を、「新しい戦争」とし、国際社会に対しアメリカとの協調行動を強く要請しました。ソ連のような国にアメリカが打撃をうけるのならまだしも、アルカイダという国家でもない単なる狂信グループによって、国家が大打撃をうけたという点で「新しい」ということを強調したかったのでしょうが、国際法上の「戦争」はあくまで国家間の武力紛争のことを指し、一旦は国家としてお互いにみとめあった国同士が武力による紛争解決を図ろうするものを戦争とよぶのです。タリバンについては、その正統性についてアメリカなど多くの国は承認していませんし、まして、アルカイダは、単なる非合法テロ組織でありますから、規模が余りにも大きかった犯罪行為であることは間違いありませんが、あくまで、戦争ではありません。パウエル国務長官は、このあたりの問題については十分認識してことにあたっておられるようですが、いずれにしても、大統領が「戦争」という言葉を使用したことによって、犯罪行為と国際紛争を混同させ、その後の事態への対応に混乱を生じさせる原因を作った感があります。

 日本を含めた国際社会の初期対応も、あまりにも「戦争」という言葉に躍らされすぎました。事件解決への正しい入口は国際的な警察活動の強化であるべきでした。今回のケースでは事件の首謀者である可能性の高いウサマ・ビンラディン及びその支援組織であるアルカイダ逮捕のための捜査活動や、第2段、第3段として計画・実行される犯罪行為であるテロの防止・抑止を目的とする警備活動・治安活動の充実が、まず検討されるべき最優先課題であったと思います。捜査・警備・治安ということになると、その役割を第一義的に担っているのは警察と海上保安庁です。自衛隊法は、第3条で、「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。」となっていることから明らかなように、その任務は、国の防衛が主であります。

一方、海上保安庁法では、海上保安庁は、海上における犯罪の予防及び鎮圧、海上における犯人の捜査及び逮捕、海上の安全及び治安の維持を図ることを任務としておりますし、警察法で、警察は、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、公共の安全と秩序の維持をその責務とすることになっています。海上保安庁や警察は、その活動領域は、国内だろうと皆さんお思いかもしれませんが、法律で、国際捜査共助や国際緊急援助活動が謳われており、その活動は、国内に限定されたものではありませんから、警察や海上保安庁が今回の件の対応でも、まずは、その役割を検討されるべきでありました。

では、自衛隊は、国の防衛以外に全く役割はないかというとそうではなくて、自衛隊も、防衛出動以外にも、治安出動、要請による治安出動、海上における警備行動、災害派遣(地震、原子力含む)、などを行うこととなっています。ただ、治安出動などの場合が典型ですが、一般の警察力をもっては、治安を維持することができないと認めら場合とか、海上における人命・財産の保護または治安の維持のための特別の必要がある場合といったように、警察・海上保安庁の能力では、対応しきれない場合には、自衛隊を活用するとの理解が日本の法体系のなかでは確立しています。

また、自衛隊法では、国賓の輸送、在外邦人等の輸送、国際緊急援助活動、国際平和協力業務などについては、警察・海上保安庁などと並んで、その有する能力・人材を活用して活動を行うこととなっています。

こうしたことから総合的に考え、今回のテロ問題に対して、どのような対応をとるべきだったかというと、まず、昭和55年に成立した国際捜査共助法を充実させて国際捜査協力法に格上げして、警察と海上保安庁が積極的に国際犯罪捜査活動を協力して行えるようにする。そして、昭和62年に成立した国際緊急援助隊の派遣に関する法律、平成4年に成立した国際平和維持活動協力法などを参考にしながら、国際テロ防止・根絶活動協力法とか、国際治安・安全確保協力法といったものを作り、海上保安庁、警察、自衛隊がそれぞれに役割を担うということにすべきだったと思います。

警察や海上保安庁の役割を吟味した上で、自衛隊の役割論を検討すべきだったにもかかわらず、その点を飛ばして、まず、自衛隊派遣ありきで議論が進行していった点は、問題だったと思います。結局、最初に戦争だと言ってしまったことに原因があるのです。すなわち、本当は、あくまで自衛隊の主任務である防衛行動の延長線ではなく、自衛隊が事実上有しているいろんな能力をかんがみたときに、自衛隊がその能力を活用するのにふさわしい業務があって、それを自衛隊の任務に従たる業務として非軍事的なテロ防止・根絶のための国際協力活動を追加するのだという認識と理解のもとで法案作成・審議がおこなわれるべきでしたが、最初に戦争だということになってしまったので、与野党、メディア、学者いずれもが誤解にもとづいた議論に終始してしまったのです。

また、戦争=防衛論で議論が始めてしまったので、安保条約を結んでいる米国に限定した法律になってしまいました。ここも、本当はおかしくて日米安保条約は、極東有事に限定されているので、今回の行動の根拠にはなりません。今回の行動はあくまで国際協調主義からの行動でありますから、当然に、アメリカ以外の国に対する協力も可能であるべきです。現に、インドでは、カシミール地方、及び、国会議事堂で9月11日以降もテロがおこっているのですから。

 

 ◆自衛隊派遣まずありきの湾岸トラウマからの脱却を!

 ではなぜ、このようにバランスを失した法律が成立してしまったのでしょうか?一言でいえば、湾岸トラウマです。湾岸戦争において日本政府は増税までをも決行して、実に130億ドルもの巨額の資金貢献を行ないました。しかし、その結果たるや誠に残念なもので、「小切手外交」なる不名誉な名前を頂き、国際社会からは非難され、クエートが戦争終結後に新聞に掲載した感謝広告の中にも日本の名前はありませんでした。このことが、日本人、特に与党政治家の心に残したトラウマは大きいようです。「テロ対策特別措置法案」をめぐる議論においても、まず自衛隊派遣ありき、という政府側の姿勢は顕著なものでした。本来、この議論は「日本が平和創造においてどのような役割を担っていくのか」「憲法や従来の法律体系との整合性・一貫性をどう図っていくのか」といった点から、きっちりと議論されるべきだったのに、湾岸戦争のトラウマで重要な判断が鈍らせてしまいました。

 トラウマに加えて、今回の国会審議で気になってことは、リーガルマインドの欠如です。本法案の審議のなかで小泉首相は、「はっきりした法律的な一貫性、明確性を問われれば、答弁に窮してしまう。そこにはすき間がある。」などと述べ、法的な整合性を突く質問はすべて「常識で」との答弁ではぐらかしています。人それぞれにその人の考える常識というものが少しずつ違っているからこそ、議会というものが必要になるのです。国会という場で、何がこの社会の常識なのかを一つずつ検証していこうというのが、民主主義の基本です。本当に法治国家の長にあるまじき発言です。

 民主党は、今回のような大規模なテロ行為は国際社会の平和と安全に対する重大な脅威であると認識しています。また、自衛隊派遣を含めた日本の国際貢献は、あくまでも世界の国々及び国際機関との協調行動の一環であり、わが国の国益にもかなう措置であると考えています。従って、現行法では対処が難しい問題について、必要な法改正を行うか、具体的な活動のあり方や条件等を定める新たな法律の制定は必要との立場です。しかしそうであればこそ、曖昧でなし崩し的な自衛隊派遣は、決して許されるべきではありません。きちんと難しい問題について、英知を振り絞って整合性をつけるべきです。民主党が、与党側との法案協議において、あくまでも基本計画の国会における「事前承認」をゆずらなかったのもそのためで、国民の代表たる国会が安全保障という国家の重大事をしっかりとチェックすることは民主主義国家としてはきわめて当然のことで、妥協すべきことではありません。したがって民主党は本法案に反対しました。私も、この党としての姿勢を評価しています。これこそ、世界の常識であります。

 

 紛争終結後の人道支援を!

 アフガニスタンはかつて同国へ侵攻したソ連軍とそれに抵抗する義勇軍ゲリラとの激戦の舞台でした。ソ連軍撤退後のアフガニスタン国内は、戦争の置き土産のような武器があふれていたにもかかわらず、それを統治・コントロールする政府は存在せず、国際社会からの仲裁の手も差し伸べられないまま、部族間対立に政権争いの絡む長い内戦状態に突入しました。この無政府状態こそがウサマ・ビンラディンやアル・カイーダなどのテロリストを活動・潜伏させる温床となってきたのではないでしょうか。今、またアフガニスタンは武力紛争の舞台になっています。私たちは歴史に学ばなければなりません。タリバン政権が崩壊しても、同地域に自動的に平和が訪れるのではないということです。むしろ武力紛争後の治安維持活動や難民支援活動こそがアフガニスタンに継続的な安定と繁栄をもたらすもっとも有効な処方箋です。

 難民支援活動については、すでにさまざまなNGOがパキスタンでの地道な活動を続けています。日本政府も、NGO組織に対して資金援助(平成13年度予算からは24.7億円)を行なうなどして、難民救済活動を支援しています。しかし、あくまでも民間の機関であるNGOを支援するという形のみの難民支援では、日本の顔はまだまだ見えてきません。私は、日本という国家が国家機関として責任を持って食料・物資の援助や、医療支援活動などを行なっていくべきだと考えます。例えば、医官や保健所、病院などの職員から人材を募集して日本の医療チームを派遣するのもよいかもしれません。また、難民が国へ帰っても生活が出来るように経済システムの構築などの分野でも、日本の特性を活かした人的貢献は行なっていくべきです。

 さらに、民主党では、アフガニスタン難民支援事務局会議を構成し難民支援のための迅速且つ的確な活動を実施しています。私もそのメンバーですが、活動の一例を紹介すれば、事務局のプロジェクトの一環として、難民支援のための募金活動を党独自に実行中です。厳しい冬を向かえ飢餓状態にある人々を救うためにも、必要なものを必要なタイミングで、且つ責任を持って現地へ届けることは私たちの使命です。私も党幹部として、街頭での募金活動に積極的に参加しています。加えて、刻々変化するアフガン情勢を正確に把握するため、民主党はイスラマバードに常設の事務所を開設し、定点観測を行なっています。正確な情報収集と、現地での諸活動のため、これまでにも数次にわたって民主党の議員がパキスタンへ派遣されています。

 

 ◆やはり重要なのは「命の教育」だ

 再発防止のために必要なことは何でしょうか?新たなテロリストを生まないということです。貧困がテロの原因だとよくいわれますが、私は、この議論は半分正しいけれど、半分は違うのではないかと思っています。今回の実行犯、決してすべてが貧困にあえいでいたわけではありませんし、また、同じく貧困にあえいでいるアフリカ地域から、テロリストが続出しているのかといえばそうではありません。ユネスコ憲章では、戦争は人の心のなかにおこるものだから、人の心の中に平和の砦をつくっていかなければならないと謳われていますが、私は、テロの最大の原因は洗脳教育にあると思っています。タリバンというのは、もともと「神学生たち」という意味であることからもわかるように、今回のテロは、共通の教育を受けた人々、いわば、同窓会ネットワークによって行われているのです。「自分の命よりも大事なことは、アメリカを倒すことだ」と洗脳によって若者がどんどんテロリストに仕立てられていきました。貧困によってほかの学校にいくことができなかったという点において、貧困の問題が影響していることは事実ですが、そこで、仮に「すべての生けとし生けるものの命の尊さ」を教えていたならば、このような惨事にはならなかったと思います。再発の防止に必要なことは、洗脳教育から人々を解放する、生命尊重教育を現地にいかに実施・普及していくかということになると思います。

また、問題の根底には、宗教問題があることをやはりさけては通れないと思います。大変な難問だとは思いますが、今こそ、本格的な宗教協力について、世界中の宗教界、国際機関、国家が総力をあげて取り組むことが本当に大事になっていると思います。

 

 2001年9月11日は、明らかに歴史の転換点となることでしょう。それは、わが国にとってももちろん例外ではありません。平和を無償かつ無限に与えられると錯覚してしまっている日本人に、新しい脅威である今回のようなテロリズムが、常にわれわれの背中合わせにあることを認識させることとなりました。半世紀以上の平和を享受してきた私たちにとって、自らの手で“平和”を意識し維持することは容易なことではありませんが、まずは一人一人がそのことを認識し、大いに語り合い行動することが大切と考えます。そのために、私は最大限の努力を惜しまない所存です。

 


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