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 153回臨時国会を終えて


 127日をもって、第153回国会が終了しました。729日に当選させていただきたました私スズカンにとりまして、事実上の初国会が72日間の会期を終了しました。正直、かなり疲れました。有権者の皆様方のご信託を頂戴して、本当に国の一大事を決めさせていただいているとの重圧をひしひしと感じながらの毎日だったからだと思います。昼食を落ち着いて食べた日は一日もありませんでした。特に、この国会は、一大事がいくつもありました。

私は、9月初頭に代表室次長を拝命いたしたわけですが、いわば、会社の社長室のようなものです。就任直後に911日のテロ事件が発生をいたしました。それからが、本当に大変でした。鳩山代表が的確な判断を下すための情報収集・整理が私の任務の一つでありました。時々刻々と変化する世界の状況について直接情報をどれだけ集めるか腐心しましたが、改めて民主党の人材の層幅広さに感激したことも事実です。今回、外務省ルートのみの与党よりも、明らかに意義ある直接情報を豊富に収集しうる立場にわが民主党はあったと思います。

 たとえば、西から行きますと、我が親愛なる同期の榛葉参議院議員はイスラエルのヘブライ大学の研究員をやっておられた関係でイスラエル及びパレスチナ問題の大変な深い人脈があります。また、民主党東京都連の幹事長として大変お世話になっています末松衆議院議員は、湾岸危機時の外務省事務方の責任者で、日本きってのアラビストです。また、神奈川の首藤衆議院議員は、現役の東海大教授で、ご専門が危機管理というだけあって本当に博識ですし、特に、平和創造・難民支援関係のNGOに関しては世界中に人的ネットワークをもっていらっしゃいます。インドについては、私も、それなりにパイプがあります。国連関係では、元ユニセフ職員の井上和雄衆議院議員や、アナン事務総長の秘書室長とも関係の深い藤田幸久前衆議院議員、そして、米国政府について言えば、民主党東京第21区総支部長の長島昭久さんは、アメリカの外交委員会の元上席研究員で、アーミテージ国務次官や、マイケル・グリーン国家安全保障委員会アジア太平洋担当部長などとももに仕事をされておられ、共和党系にめっぽう強く、また、大谷信盛衆議院議員も米国民主党に大変に太いパイプをもっておられます。また、このほかにも、国内では、制服組や官庁・在外大使館などとの有力な情報源をもった議員は本当に多く、国会期間中も手分けして、実に多くの在京大使のみなさんと意見交換の場を持ちました。

ですから、相当程度的確な情報収集のもとで、@日本のみなさんの生命と財産を守る、A米国との関係を大切にしながらも決して米国一辺倒ではなく多くの国々との友好協力関係を維持・強化する、というこの二つの観点から的確な判断を下すことができたと自負しておりますし、そのことはいずれ歴史が明らかにすると思います。当初、鳩山代表がぶれているのでは?との報道がなされました。そうした報道のたびに感じましたのは、国際情勢は時々刻々変化しますから、その変化にも即時に対応して、より深く的確な判断をしているのであって大方針は一貫しているのにと、マスコミの報道に対して臍をかんでおりましたが、このような重要な機密を前提にした判断についてのこちらの真意を伝えることの難しさも併せて痛感させられました。

私は、民主党がこのたび設置したテロ対策・アフガン支援本部も総合調整担当ということにもなりました。民主党は、現地視察しすぐ帰ってきてしまう他党と違って、パキスタンに現地事務所を11月初頭に立ち上げました。このときにも、第一陣で派遣された首藤議員、榛葉議員が大活躍で、タリバンに囚われていた日本人ジャーナリスト柳田大元氏の引き渡しをタリバンのザイーフ大使に掛け合いました。今は、民主党職員が常駐し、民主党議員が毎週交代で現地に赴き、常時現地の情報を収集し、我々の政策判断に生かすともに、現地NGOの支援をしています。また、日本では、現地報告にもとづきアフガン支援募金などを全国各地で開始いたしました。

代表室におりますと、実に、案件が立て続けにやってきます。テロ問題の直後に狂牛病問題が発生いたしました。また、テロ特別措置法の採決が終わったかと思うと、景気・雇用対策のための補正予算、選挙制度見直し、道路公団などの特殊法人改革問題、医療制度改革問題、そして、再びテロ特別措置法に基づく自衛隊派遣の承認・PKO法改正問題とひっきりなしに重要案件が続きました。いずれも、安全保障、民主主義体制、予算構造・制度、社会保障制度などの基本原則をめぐる議論でありました。そうした議論の推移をつぶさにみることができ本当に勉強になりましたが、と同時に、今日本がありとあらゆる分野で20世紀なるものを今抜本的に変革しなけばならない時期にまさに来ているのだということを肌身で実感をさせられ、そうした時期に国会に身を置くことの責任を痛感する毎日でもありました。

たとえば、民主党は党首討論や我が同期の松井参議院議員の本会議質問などで、自民党政権における与党事前審査の問題をとりあげ、マスコミ各社もそれを支援していただきました。与党事前審査、つまり、与党自民党が法案・予算案・税制改正案など国会に提出する際には、かならず、自民党の部会・調査会で十分議論し、総務会で最終判断をしなければ閣議決定して政府案として提出できないという慣例ができあがっています。無駄な高速道路は作るのをやめようとかいう構造改革は、当然に既得権をもつ道路族の議員たちの猛反発をくらいます。部会は、既得利権をもつ議員たちで構成されていますから、多くの改革案は部会で、もみ消し・握りつぶし・先送り・骨抜き・捻じ曲げられてしまうという政策決定過程上の構造問題が重大なのです。ですから、折角、政府の経済財政諮問会議などで、経済界・学界などの有識者を集めて改革の知恵を出していただいても、結局は、自民党の部会からの圧力がかかり当初の案が骨抜きにされてしまいます。道路特定財源見直し、道路建設見直しなどの改革案が結局この年末大詰めに来て、すべて反故にされてしまったのも、この与党事前審査制があるからなのです。こうした慣例を見直さない限り、結局、族議員の巣窟である部会・調査会の決定に縛られてしまって、いくら総理大臣が改革の意欲をもっていたとしても、政府の成案にならないというわけです。私は、今後ともこの政策形成過程の構造改革を強く主張しつづけていきたいと思います。

歴史の変わり目というのは、常に、新勢力の前に旧勢力が立ちはだかるものであります。新勢力が強くなればなるほど、旧勢力は牙を剥きます。さらに、横からいろんな勢力が登場するものですから、時代は混乱し、動乱します。私は、歴史というものは、3歩進んで2歩下がるということを繰り返していきながら、一歩、一歩、前進していくものだろうと思っています。我が尊敬する孫文先生も、1911年に辛亥革命を成功させるまでに起こした蜂起の数は、実に39回とも40回ともいわれています。歴史を創るということは、そうした挑戦をあきらめずに積み重ねていく壮大な作業なのだろうと私自身は思っています。今、40回の蜂起が必要であるとするならば、何合目くらいのところまできているのか?現在の我々には図り知ることはできません。しかし、確実に登ってきていることの手応えも一方で感じております。

新しい歴史の胎動が、我々の目に見え始めたのは、自民党の下野、そして、日本新党の誕生・細川内閣の成立あたりからだと思います。しかし、その後、自民党の政権復帰による反革命勢力による巻き返しが今は続いています。その間、新進党が生まれ・消滅し、政権担当候補として民主党がそれに代わりました。民主党は、98年参議院選挙で快勝し、2000年6月の総選挙で自民党政権交代直前まで追い詰めました。先進国であれば完全に違憲状態にある都市と地方の一票の格差が解消されてさえいれば、政権交代が実現していたのですが、日本の歴史はそんなに単純ではありませんでした。だから、面白くもあるわけですが・・・・東京などは民主党が単独で衆議院の議席の過半数をとりました。そして、2001年3月ごろまでには、自民党政権支持率が一桁前半までに落ち込み、いよいよ参議院選挙での与野党逆転、その後すぐに行われるだろう衆議院選で政権交代というシナリオを多くの有識者が書いていました。わずか、9ヶ月前です。そのシナリオでいくと、ちょうど、2001年の秋・冬が政権交代の時期でした。しかし、歴史は、そんなに単純ではありませんでした。4月小泉純一郎総理の劇的なデビューです。今度は、国民の多くが、小泉総理によって、今までの政治が改革されると信じました。そして、期待しました。しかし、ここに来て、来年度予算編成が終盤戦にさしかかるあたりくらいから、やはり政官業癒着・族議員の集合体である自民党型政治が再び息を吹き返しました。そして、そのもとで経済はぼろぼろ。失業率は6%にも近づき、国債はどんどん格付けが下がります。実質的な改革が皆無になってしまったことが、12月の末に予算で明らかになります。

私も文教科学委員として就任以来一貫して奨学金制度の充実問題を取り組んで来ていますが、実は、鳩山代表も、コンクリート依存型の経済産業政策をいち早く脱し、知恵や人を大事にした経済産業政策への転換を推し進めるために、予算構造改革についての議論をしたかったのです。「国民の税金をコンクリートから人づくり・知恵づくり」にどれだけ回せるかそれが本当の構造改革だということを訴えたかったのです。公共事業予算の対GDP比率をとると、日本は6.2%、米国は1.9%、独2.0%、英1.2%とあきらかに突出しています。そして、将来の人づくり・知恵づくりのための予算、たとえば、高等教育費の対GDP比率は、日本0.7%、米1.1%、独1.5%、英1.3%。この数字で問題は明らかだと思いますが、知の国ニッポンづくりのための予算が道路などのコンクリート予算のわずか9分の1であるという日本の予算の実態をまずは変革していきたい、そして、将来への希望をつくりだすことが、株価を改善し、投資意欲をかきたてるのだということで本年最後の国会を締めくくる予定でしたが、幻に終わりました。幻に終わったことも何かの意味があると思っています。

9月初頭以来、民主党の実態もよくみることができました。何が出来ていて、何が出来ていないのか、何が足りないのか、かなりわかってきました。率直に申し上げると、現時点で、3月ごろのシナリオ通り民主党が本格政権を担うだけの準備が整っていたかと問われれば、やはり、少し無理だったと思います。確かに、民主党という政党は、テロ法案をめぐる民主党議員達の海外情報収集ネットワークの充実ぶり、また、今国会中、本会議、委員会での演説・質疑・発言から明らかになった民主党と自民党の議員の実力差などから判断して、民主党が、実に有能で多様な力のある人材が集まっていることは明らかであります。しかし、それが組織の力になっているか?と問われれば、政権を担うまでにしっかりしたものになっているとはいえないこともまた事実だからです。だから、今国会では、組織の力をつけるために造反議員処分にあえて踏み込むということを鳩山代表は決断したわけですし、菅幹事長も、民主党の組織改革について今一生懸命知恵を絞り、着手しているということもお伝えをしたいと思います。こうして、序々に今国会を期に、組織としての総合力強化の挑戦がはじまりつつあることもご理解いただきたいと思います。私も、微力ですが、違ったアプローチでがんばっていきたいとは考えています。私の弟分 鈴木烈君が葛飾区議選挙で今までの常識を全く覆すトップ当選を果たしたのも、そのごく一部ではありますが、このアプローチについては、今後、あせらずじっくり取り組んでいきたいと思っております。

今国会、いろんな局面に直面することができました。歴史の神様というものがいるとすれば、民主党が、まだ、新時代を完全に担うだけの勢力が十分に成熟していないことを見抜かれているなと思います。そして、その歴史の神が、我々がその準備ができるまでの間、小泉総理を登場させてきたのだと思います。しかし、来年から小泉総理の改革の失敗が、次第に、白日の下に晒されてくると思います。ワイドショーがいくらがんばっても、今の景気の低迷、失業者の現状から、小泉内閣の失政を隠蔽することはいよいよできなくなってくると思います。そうすれば、いかに、多くの人々が不条理にも旧体制の犠牲になってきたか?もっと明らかになります。歴史の変わり目においては、本当に歴史はものすごい勢いで変化していきます。早晩、小泉内閣では、もうこの国の運営は無理だとの評価と雰囲気になってくると思います。小泉政権のあら探しをするよりも、一刻も早く、鳩山チームを政権担当できるレベルまで引き上げておくことが大事だと思っています。政策の立案・判断能力については、もう大丈夫だと思います。組織的対応力については、今国会で脱皮できたと思っています。後は、それをTVや直接対話などを通じて、わかりやすく有権者の皆様にプレゼンテーションしていく力など、広報は少し改善する必要があると思います。

いよいよ、日本の現在と将来を心から憂える人々が、今こそ真剣に、日本の現状を直視し、旧来の考え方、思想、態度、仕組み、システムでは、これ以上にっちもさっちもいかないのだということを思い知り、日本再建・再生のために真剣に立ち上がらなければならない時が早晩くると思います。そうした、自発・連携・協働の「志民」運動が、全国各地から湧き上がってくるまで、様々な試練は続くのだろうとも感じます。この試練に対して、新年をもって、恐れず、怯まず、真っ向取り組み、そうした「志民運動」に全身全霊を捧げていくことを改めて皆様にお誓いしたいと思います。日頃、十分に皆さんにお会いできないことを心からお詫び申し上げ、日頃の皆様のご理解・ご支援に心から感謝申し上げ、今後、益々のご指導とご支援を心よりお願い申し上げます。ありがとうございました。

2001年128日 


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