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 欧米各国の奨学金制度と日本の現状

1.はじめに

2001年9月に米国で発生し、世界中を震撼させた同時多発テロ事件。その大惨事を発生せしめた背景には「行き過ぎた洗脳教育」というものがある。また今年大阪府で発生した小学校児童殺傷事件や、日本における初めての無差別テロ事件ともいえるオウム真理教による地下鉄サリン事件などの様々な痛ましい事件から今日の世界および日本の現状を眺めると、歴史上これほどまでに教育の重要性が高まっている時はない、と痛感せざるを得ない。

 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」という名文句の下に創設をされたユネスコも、今回「テロリズムの根絶に関する決議」の採択を行った。我々は平和の回復と創造の出発点もまた、教育であるということを再認識しなくてはならない。

 また、「モノの時代」から「知の時代」になる、といわれている21世紀において、日本国および日本国民の将来は「知恵と人材」をいかに育み、活用することができるかにかかっていると言っても過言ではない。個人ならびにその家族の人生の充実と、それを支える社会・国家の健全な発展もつまるところ教育に依拠するものであり、そういった観点から人間が学ぶ権利、すなわち「学習権」は最も尊重されるべき基本的人権の一つであると言える。こういった事柄を考慮すると、すべての人々の学習権をさらに充実させ、その向上を図っていく役割の一端を担っている「奨学金制度」のさらなる充実、そしてさらなる拡大が、21世紀の日本国の発展を考える上で大変重要なテーマであることはもはや明白であり、現在の日本における奨学金制度の実情を把握するということは、非常に意義のあることだといえる。

 本論は以上のような観点から、欧米各国の奨学金制度の現状と日本の実情とを比較し、日本国における奨学金制度のあり方に迫っていくことを目的とする。

 

2.欧米各国の現状 

 本章においては諸外国の奨学金制度の現状について分析し、国際条約や国際機関に基づく、いわゆる「世界標準」の奨学金制度とはどのようなものであるのか、ということについて考察を行う。

    2−1.アメリカ

 アメリカは世界において最も奨学金制度が充実した国の一つであるといえる。その給付総額は1994年時点で約470億ドル、1$=120円計算で約5兆6400億円にも達し、後述するように単純比較でも日本の10倍強の規模となっている。受給者は全米で推計370万人にも上り、学生全体の約7割が給付を受けており、同様に2000年度における日本の同約70万人、受給率約8.9%を大きく上回っている。

 アメリカの奨学金システムはその性質から大きく分けて3段階に分かれており、それぞれが各長所を補完しあうことによって、あらゆる状況の学生に恩恵が及ぶように設計がされている。

まず1階部分は連邦政府が行う低所得者用の給付奨学金で、ペル奨学金と呼ばれている。これは家庭の所得が一定額以下の場合に、申請を行えばほぼ全員が給付を受けることができる公的な奨学金であり、最大で学費の6割までの給付を行っている。ペル奨学金の給付を受ける学生は1995年時点で奨学金を受ける学生全体の約30%を占めており、年平均で約18.7万円の給付額となっている。ペル奨学金は給付式の奨学金であるため学生やその家庭に負担が及ぶことはなく、学生はこのペル奨学金と後述する2つの奨学金や、州政府・民間独自の奨学金を組み合わせることによって在学中の教育費負担をほぼゼロにすることが可能となり、安心して学業に専念することができるようになっている。

2階部分の奨学金はスタフォード奨学金と呼ばれており、アメリカにおけるメインの奨学金制度となっている。これは連邦政府が保証人となって民間金融機関が貸与を行うもので、全体の約5割の学生が給付を受けており、総額は約220億ドル(約2兆6400億円)にも達している。

元金の返還は卒業後に行うことになっているが利子が在学中から発生するため、政府が利子補給を行うものとそうでないものに分かれており、給付金額は前者で年額8000ドル(約96万円)、後者が年額10000ドル(約120万円)となっている。民間金融機関は連邦政府が保証人であるために安心して貸与することが可能となり、学生も学費を充分にカバーする金額を受け取ることができる。

 3階部分の奨学金はパーキンス奨学金と呼ばれており、大学生および大学院生のみを対象とした年率5%の利子付き貸与奨学金である。パーキンス奨学金は特に学費のかかる大学生以上の学生に対し、ペル奨学金やスタフォード奨学金でカバーすることのできなかった部分などを保障する、補完的な役割を果たしている。

 以上の3つの奨学金の他に、民間独自ローン、州政府独自ローン、大学独自ローンなども存在し、それら豊富な奨学金制度が多元的に学生生活を保障している。

 なおアメリカの大学の授業料についても触れておくと、1998年のデータで州立大学が年平均約48.2万円、私立大学で約241.2万円となっている。これは日本において国立が年約154万円、私立が約207万円であることを加味して考えると、公立などのパブリックセクターに関しては安価で広範に教育を提供していると言え、私立などのプライベートセクターにおいては多少高額だが高品質な教育を提供していると言える。日本のように国立でも私立でも大して負担額が変わらず、かつその内容自体も画一化しているというのではなく、目的・対象・中身などによって様々な種類の教育を学生が選択できるという点で、非常に使い勝手がよい制度である。ただし、アメリカにおいて年間授業料が20000ドル(約240万円)を超える大学に通っている学生は全体の約4%ほどに過ぎず、75%の学生が年間授業料6000ドル(約72万円)以下の大学に通っているという事実も付け加えておいた方がよいだろう。

 以上これまで見てきたように、アメリカにおける奨学金制度は、総額、受給者数、保障の厚み、自由度の高さ、などどの点をとっても圧倒的であり、3段構えの制度によって両親の所得や家庭の事情に関係なく、全ての意欲ある学生に対して「学習権」が均等に保障されているといえる。また全ての奨学金制度に政府が関わっているため、家庭や企業の安心度が非常に高く、民間金融機関を活用することができるために、金融市場の活性化を促すことができるという二次的な効果もある。アメリカの制度の最も顕著な特徴はこの点にあると述べることが可能であり、奨学金制度などの公的な意味合いが強い分野においても民間への参入を促し、政府はあくまでその監視役としてなるだけ関与を行わないようにしている。それにより競争原理が働き、サービスの質や内容が向上し、ターゲットとなる相手の能力や事情等に応じた柔軟かつ多元的なサービスを提供することが可能となり、かつ民業の活性化を促すことができる。これらの制度からは日本も大いに学ぶべき点があるといえるが、その背景にはアメリカが「教育」という分野を国民生活および国の将来性という観点から、国家の最重点分野として捉えている、ということが大きく影響していることを忘れてはならない。

    2−2.イギリス

 「今のイギリスには大きな課題が3つ存在する。それは教育、教育、教育だ。」

これは1996年に労働党のトニー・ブレア首相が就任した時に行った演説の一部であるが、イギリスが国家戦略としてどんなに教育を重視しているか、ということの一端をうかがえるものである。イギリスには伝統的に「教育とは本来無償のサービスである」という考え方が存在し、実際に大学の年間授業料の平均は約1025ポンド(1£=約180円計算で約18万5千円)と日本の10分の1ほどの水準である。その上奨学金制度も充実をしており、1999年の時点で全学生の約74%が奨学金の給付を受けているというデータも存在している。無償のサービス=最も重要で根本的なもの、というイギリス人の教育に関する思想が、かつて大英帝国という世界一の大国を形成することができた一つの要因であることは疑いがない。

 イギリスの奨学金制度は主に政府系金融機関である、スチューデント・ローンズ・カンパニーが受け持っており、インフレ率に連動した低金利の奨学金の貸与を行っている。そしてイギリスの制度において最も特筆すべき点は、受給資格に収入制限がないという点であり、原則的に希望者全員が奨学金を受けとることが可能なことである。当然受給者の所得に応じて貸与限度額が設定をされているのだが、前述の通り平均年間授業料が約18万5千円と大変安価であり、かつ学生の半数が学費全額免除を受けているという現状に対し、貸与限度額は最高で約84万6千円、平均貸与額は27万5400円にも上る。奨学金は学費を完全にカバーしているのみならず、学生の生活費の大半をもフォローしている。その上、低所得者層のために法定奨学金という給付式の奨学金も存在し、全ての意欲ある学生が経済的な理由により就学を断念させられることのないように、システムの制度設計が行われている。

    2−3.ドイツ

 ドイツにおいては奨学金の殆どが連邦奨学法に基づく公的奨学金であり、地方自治体や民間団体なども奨学事業を行っているが、いずれも小規模なものである。またドイツの奨学金制度の特徴は大変公的な性格が強いということである。受給対象者はドイツ国籍を有する者か、長期間にわたってドイツ国内に居住している外国人のうち、その年齢が学習開始時に30歳に満たない者で、かつ家庭の収入が一定水準以下な学生であり、上記の条件を満たした全ての学生に自動的に法律によって奨学金の受給が保証される。給付水準も充分な額が保証されており、その額は学生の必要生活費(学費{なお州立大学の学費は原則無料となっている}、生活費、教材費などのあらゆる必要経費を含む)から家族収入を引いた差額となっており、2001年時点で両親と同居している学生で平均約50.3万円、別居している学生で約62.2万円となっている。なおこれは受給者が生活をしていく上で十分な金額である。また受給者は給付を受けた金額の半額を返却すればよい上、返還する半額も無利子貸与となっている。

このようにドイツの奨学金制度はある意味でアメリカと対をなすような制度となっている。教育に関わる費用はほぼ全て政府が保障を行い、受給者も法律によって機械的に決定される。しかし奨学金制度が充実していて、家庭が教育費について頭を悩ます必要性がない点はアメリカと共通している。ドイツの連邦政府がこのように大変厚い給付制度をとっている背景には、教育の効果は個人に帰属するのではなく、国家・社会に還元されるというドイツ人の思想と密接に関わっている。そのために将来人的資源の蓄積によって恩恵を受ける国家自身が教育費を負担するのである。さらにドイツの特徴としては、給付金額および給付対象に恣意性が存在しないという点である。前述のように法律によって一定基準を満たした者は自動的に奨学金の給付対象となるために、必要とする学生全員が、今必要とする額を受け取ることが可能となる。この制度はその点で大変フェアであるといえ、貧困階級の再生産といった資本主義経済における不可避的な現象をも緩和する効果を担っているといえる。

このようなドイツの制度から日本が学ぶべき点は、非常に多いのではないだろうか。

    2−4.フランス

 フランスの奨学金の主流は「社会的基準給与奨学金」と呼ばれるもので、横軸を所得別に5階層に分け、縦軸に家庭内の事情を加味した要素をポイントで数値化したものをおき、両者のマトリクスがクロスする箇所で給付金額が決定されるというものである。

フランスにおける奨学金給付額決定のマトリクス(横5×縦17)

年収○○○円以下 年収○円〜○円まで 年収○円〜○円まで 年収○○○円以上
0〜3ポイント ○○万○○円 ○○万○○円 ○○万○○円 13万8000円
4〜6ポイント ○○万○○円 ○○万○○円 ○○万○○円 ○○万○○円
7〜9ポイント ○○万○○円 ○○万○○円 ○○万○○円 ○○万○○円
46〜48
ポイント
○○万○○円 ○○万○○円 ○○万○○円 ○○万○○円
49〜51
ポイント
37万9000円 ○○万○○円 ○○万○○円 ○○万○○円

 ポイントは加算式で様々な細かい設定がなされているが、その計算方法は例えば自宅から学校までの距離が30?〜249?までだと2ポイント、それ以上遠い場合は3ポイントが加算され、身体に障害がある場合に2ポイントが加算される、というようになっている。給付額は最高が37万9000円で、年収が最も低いグループに属し、ポイントが最も高い場合に給付され、最低額は同様に13万8000円である。フランスにおいては国立大学の学費が原則無料であるために、この給付額は生活費などに当てられ、必要な費用の大半をカバーしている。

 フランスにおいては上記のようなマトリクス方式を採用しているため、奨学金を給付する基準に家庭の所得水準に加えて、その他の家庭内事情が加味されることとなる。そのためその家庭ごとのニーズに応えたピンポイントな対応を行うことができ、より国民本位な奨学金を給付することが可能となる。今の日本の行政に必要なものは画一的な制度ではなく、国民一人一人に合わせた柔軟な政策対応ではないだろうか。その点からフランスの制度は大いに研究されてしかるべきであるといえるだろう。

    2−5.オーストラリア

 オーストラリアの奨学金制度の特徴は、現在および将来にわたる家計の負担が全くのゼロであるということである。オーストラリアの学生の平均貸与額は、平均生活費(住宅費、食費、教材費、通信費などを含む)の110%にも及び、約8割強の学生が給付を受けている。これは「授業料の後払い制」という方式を採用しているからであり、学生は卒業後の自身の所得から税金方式で授業料を返還する。返却税率は給料水準によって異なり、失業中は返却を免除され、学生はインフレ率に応じた額のみを加算して返還すればよいため、実質利子率は0%である。事前に一括して学費を支払うことも可能で、その場合には25%の割引となる。(学生全体の2割弱が選択)

  この制度によって学費、生活費を含む教育費を全て政府が保証することとなるため、家計に対する教育費負担が一切かからなくなる。その上返済の責任が全て学生個人に帰属するため、自身の将来のために学習をしているという意識から、学生の就学意識が著しく向上するという調査データも存在する。家計の負担がゼロになるということは、家庭が本来ならば教育費を賄うために行うはずだった貯蓄が必要なくなるということであり、その分消費に回るキャッシュフローが増大し経済の発展に寄与するばかりか、将来の教育費負担を気にして子供を生むのを1人、もしくは2人に抑えていた両親が、子供の数によって養育費の増大に与える影響が大幅に軽減されるため、もう1人、2人多く子供を作るなど、出生率を上昇させる効果も期待できる。このように奨学金制度を充実させることで意欲のある学生全てが就学をすることが可能なばかりか、マクロ経済や出生率にまで影響を与えることができる。このことは「10年不況」や1.35という戦後最低レベルの低出生率に悩む日本にとって、大きな示唆を与えてくれるといえる。

 以上見てきたように、第2章では諸外国における奨学金制度の現状についての分析を行った。国によって奨学金の制度・体系は様々であったが、その中で共通する点も何点か見受けられた。

まず第一に諸外国はできるだけ広範な学生に奨学金を付与することを目指しており、家庭の貧困などの生得的な影響をできるだけ排除するように、所得に応じて給付対象を設定しているということである。それは学習意欲のある全ての人に均等に教育機会が与えられるよう、生まれや能力に応じた区別を行わないようにしているともいえる。これは「学習権」という全ての人間に生まれながらにして保証された当然の人権を各国が認識しているということでもある。

 第二には奨学金が学費分は確実にカバーし、学生の生活費まで保障する水準まで与えられているということである。もともとヨーロッパは学費が大変に安価なことも含め、限りなく「学習権」を追及しており、その結果が如実に現れているともいえる。

 そして最後に当然のことであるが、全ての国が「教育」を国の根幹であると位置づけ、それに大変な力を注いでいるということである。ヨーロッパでは教育問題を語れない人間は政治家になることができないとまで言われているが、それも教育を国力の源泉とみる長期的な視点から出来上がった習慣であるといえる。

 以上3点が本章において推察する教育の「世界標準」である。

次章からは以上のことを踏まえながら、日本の現状について分析を行い、政策提言を行うこととする。

 

3.日本の奨学金制度の実情

  本章においては日本の奨学金制度がどのように制度設計されているのかについての分析を行う。

 日本においては文部科学省所管の特殊法人である「日本育英会」が主体となって奨学金事業を行っており、2001年度の事業規模は約4732億円であり、民間団体や地方自治体が独自に行う奨学金事業を含めて総額約5500億円ほどである。これは前述の通り単純比較でアメリカの10分の1ほどの事業規模となっている。また上記の奨学金は高校生で全学生の約2.5%、大学生で約16.5%、全体で約8.9%の割合で給付されており、これはアメリカの約8分の1、オーストラリアの約11分の1であり、先進国中間違いなく最低の水準にある。

また量的な面だけではなく質的な面からも見てみると、2000年度の学生生活費(学費と生活費の合計)の平均は、国立大学で約154万円かかるのに対し、それに対する育英会の貸与は54万円に過ぎない。これは学生生活費のわずか3分の1程度であり、さらに私立大学においては同207万円の学生生活費に対し、わずか67万円の貸与額(約32%)に落ち込んでしまう。大学全体の平均をとってみても、前者が約194万円かかるのに対し、後者の貸与額はわずか約61万円(約31%)に過ぎない。これでは生活費どころか学費すら満足に賄うことができず、学生は在学中もアルバイトに明け暮れるか、もしくは就学以前の段階で進学をあきらめてしまうかのどちらかを選択する以外にない。後者の仮説を裏付けるものとして「家計調査報告」の2000年度版より、所得別に5つに分類した最も低所得なグループと最も高所得なグループの比較を行ってみると、可処分所得に占める教育費の割合にして高所得者層は低所得者層の約2.5倍強、実数にして約6倍ものお金を拠出しているというデータが得られた。このことより低所得者層出身者の相当数が経済的な理由により自身の望む教育を受けることが出来ずに、半ば強制的に社会参加を迫られているという実態が浮かび上がってくる。これは大変に由々しき問題であり、早急に奨学金の量および質を改善することが求められる。

 育英会の奨学金制度には「第一種奨学金」と「第二種奨学金」の2種類が存在し、両者共に給付基準が学業成績であるため、中学・高校の成績が3.5以上という一部の成績が優れた学生しか給付を受けることができない。奨学金を必要としている学生は大抵仕事をしながら勉学を行っている場合が多いため、勉強だけを行っている学生に比べどうしても学業成績が劣ってしまう面があるのはいなめなく、本来もし勉強だけに集中することができたならば、それらの学生をはるかに上回る学業成績を収めることも可能なはずである。第二種奨学金の方は多少選考基準が緩やかではあるが、同様の傾向は変わらず、学力による給付対象の選考が学生の就学機会を奪っているという現状が浮き彫りになってくる。この状況は「学習権」を保障した日本国憲法およびユネスコ憲章などに違反する可能性も否定はできず、喫急の課題として奨学金の選考方法の見直しが求められる。また第一種奨学金は無利子の奨学金であるが、第二種奨学金の方は年率3%の利息を支払う必要があり、大学4年間に月10万円ずつ総額480万円の貸与を受けたとすると、卒業後20年間で総額645万9510円もの額(元金+総額約35%の利子)を返済しなくてはならないことになり、卒業後の家計を大変に圧迫している。これはもはや奨学金ではなく、営利目的の消費者金融に近いと言わざるを得ない状況である。

 以上のように日本における奨学金制度は、質、量、規模、満足度のどれをとっても他の欧米諸国の足下にも及ばず、国際的に見て完全に立ち遅れているといえる。これはひとえに政府の教育政策の失敗を如実に表しているといえるのだが、何よりも一番大きな問題は、欧米各国は所得水準や家庭内の事情といった経済的な理由からのみ給付対象者を選考しているのに対し、日本では貧しいことは勿論、頭のよい、能力のある人間のみを給付対象者としていることである。これは「頭のいい奴にしか教育は受けさせない」というある意味での優生学的な発想からきているものであり、明白に人間の「学習権」を侵害する行為である。政府は向学心が旺盛な能力のある若者が経済的な理由によって進学をあきらめている実態を、一体どのようにとらえているのであろうか。政府は目下の急務として、学力による奨学金給付対象者の選考制度を改めるべきである。

4.結論〜全ての若者が自らの可能性を活かせる社会をつくるために

 以上、これまで欧米各国の奨学金教育制度の現状と、日本の現状との相違点を比較してきた。本論の結論として、これから先の日本の奨学金制度のあり方についての提言を行いたい。

 2章において「世界標準」の奨学金制度の定義として、

 1.学習権の保障

 2.学生が在学中に勉強に集中できるような給付額の保証

 3.教育の国家基幹目標化 

をあげた。これを踏まえて日本の現状を分析した結果、日本は「世界標準」をクリアするばかりか、世界各国にはるかに遅れをとっているという実情が浮き彫りとなった。1976年に発効した「経済的、社会的および文化的権利に関する国際条約」の13条第2項(c)には、「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会があたえられるものとする」と規定されているが、本条約を締結した145カ国中で、無償教育の漸進的な導入の留保を行っている国は、日本の他にマダガスカル以外存在しないという状況となっており、今や日本の奨学金教育制度は、先進各国と比べて著しく遅れていると言わざるを得ない。以下にそんな状況を改善するために日本が行わなくてはならないことを列挙し、それを本論の提言として結論と代えさせて頂きたい。

 まず第1点目は奨学金の規模の拡大である。前述の通り日本の奨学金の給付総額は5500億円ほどであり、アメリカの10分の1にも満たない。そのことが不十分な給付金額や厳しい選考基準を生む背景となっている。現在の5500億円を3兆円規模に拡大することができれば、希望者の内の9割に必要な金額の奨学金を給付できるという試算もあり、いきなりその規模にまで増やすことは不可能ではあるが、まずは1兆円規模を目指し、以後民間部門を拡大するにせよ、政府が制度を担うにせよ、漸次拡大を図っていく必要がある。

 第2点目は奨学金の給付選考基準において学力を用いるのを早急に取りやめ、所得水準に応じた選考体制を確立することである。この点は3章において繰り返し人権侵害の疑いがあると述べておいたが、学生の学習機会を奪う学業成績基準を改め、より公平な基準の下に奨学金の給付を行うシステムの確立が望まれている。

 第3点目は教育費の負担を学生個人に担わせるオーストラリア型のシステムか、国家の繁栄という形で恩恵を受ける国自身が担うドイツ型のシステムか、それとも全く異なる受益者負担のシステムを構築するかして、教育制度の理念構築を行うことである。そのためには誰のために・何のために教育を行うのかということを明確にし、教育目標を再考する必要性がある。

 そして最後の点でこれまでの全てに共通する事柄であるが、我々国民一人一人が改めて教育の重要性を認識し、教育の新たな価値付けを行い、これからの国家100年を設計するにあたっての国家戦略を教育理念の中に組み入れることである。これまで日本人は、学校教育は「読む」「書く」「話す」「聞く」「覚える」という能力を伸ばすことだけに主眼をおいてきた節がある。だがこれからの21世紀において価値観が多様化し、ボーダーレスな競争にさらされる世界の中で、強く日本人としてこの国の発展に寄与することのできる人間を育成するのには、その他の様々な能力が必要となってくる。日本は22世紀になった時にどのような国家であることを目指しているのか。戦略なき国家に未来はないが、理念なき戦略もまた無意味である。これからの「国家100年の計」をどのように描いていくか、それを構築することが、現在の日本に必要とされることなのである。

 

5.参考資料一覧

     服部憲児「欧米主要国における奨学金事業の動向」1996年 広島大学教育研究センター
     郭長虹「中国における貧困大学生問題」1997年8月 民主教育協会
     宮沢節生「私の視点」2001年9月17日 朝日新聞朝刊
    
文部科学省「教育指標の国際比較」2001年1月
    
坂上貴之「OECD諸国の奨学事業と日本の国際教育」1994年6月 大学と学生
     学生課「平成7年度育英奨学事業に関する実態調査」1996年3月1日
    
日本育英会「2001年度概要」2001年 日本育英会本部
     山下和茂「アメリカ・ドイツにおける奨学金事情」1995年1月 大学と学生
    
国立学校財務センター「欧米主要国の大学ファンディング・システム」2001年8月
     服部憲児「フランスにおける高等教育奨学金事業」1996年 広島大学教育研究センター
     東海銀行「子どもの教育費」2000年6月
    
米沢彰純「イギリスにおける奨学事業」1999年6月 大学と学生
     高等教育局学生課「日本育英会奨学金制度について」1997年2月 大学と学生

    
池本正純「現代学生経済事情」2000年6月 教育と情報
    
矢野眞和「奨学金の家族社会学」2000年6月 教育と情報
    
舘昭「アメリカにおける育英奨学事業の新展開」1997年8月 大学と学生
    
服部憲児「フランスにおける高等教育奨学金事業」1996年6月 関西教育学会
    
文部科学省高等教育局学生課「平成10年度学生生活調査結果の概要」2000年6月
    
孫力鳴「中国における育英奨学事業の立法化について」1999年3月 立教大学教育学科
    
週刊東洋経済「特集 本当に強い大学」2000年9月16日
    
今村令子「学費援助政策」1993年11月 IDE現代の高等教育
    
文部科学省「教育指標の国際比較 平成13年度版」2001年
    
加藤毅「転換期にあるドイツ連邦奨学金制度」1999年6月 大学と学生
    
舘昭「アメリカ大学学費事情」1997年7月 IDE現代の高等教育
    
海外経済協力基金開発援助研究所「東南アジア3カ国の高等教育の現状と課題」1997年
    
http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/data01/right_study.html
・     その他 文部科学省から頂いた内部資料が数点

 上記に加え、2001年10月30日の第153回臨時国会 文教科学委員会の一般質問において、鈴木 寛が行った一般質問の内容等を参考として、本論文の執筆を行った。

 


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